あなたとまた会える日まで
ある寒い冬の日だった。
孤児院に貴族や貴族と関わりのある人達が、視察で孤児院に訪れた。
孤児達は礼拝堂に集められ、シスターや神父様の普段と違う様子を疑問に思いながら、普段会えない貴族に興味津々だった。大人はピリピリ緊張し、孤児達は浮かれていた。
神父様は孤児達を一列に並ばせて、一人一人に自己紹介をさせた後、皆に自由にしていいと指示を受けて、貴族達は神父様の案内で客間に向かった。
貴族は客間に入ったのに、王国一の商会であるアインドル商会の会長夫妻がその場に残り、シスター達と何か話をしている。
そしてシスターの一人がアルに声をかけて、アルとシスターと会長夫妻は、貴族達がいる部屋とは別の空き部屋に案内している。
アインドル商会の会長夫妻は、アルに何か用事なのかな?凄く気になる。中で何を話しているんだろう?落ち着かない。
今日は私の誕生日。
いつもは忙しいアルも、今日は私と一緒にいるって約束してくれた。アルは町にでて小遣い稼ぎをしたり、 沢山の大人や子供に声をかけられ、町でトラブルがあった時も、みんなに頼りにされていた。もしかしてアルのお仕事の関係かな?
…………まだかなー。
もう結構時間はたつけど、まだ出て来ない。私は礼拝堂でそのままアルの帰りを待ち続けてる。本当はアルの入った空き部屋の前に居たかったけど、シスターにその場に居る事を止められてしまった。大事な話をしているからダメって言われたけど、大事な話って何だろう?
礼拝堂の窓から外をみると、貴族達が帰って行く。神父さまが貴族達にお礼を言い礼拝堂から出て行った。会長夫妻と一緒に来たんじゃないの?帰ってしまったけどいいのかな?
礼拝堂に残ったシスターが神父様に声を掛け、話を聞いた神父様はアル達の入った空き部屋に入っていった。
礼拝堂の長椅子に座り、漆喰の壁に寄りかかりながら、目を閉じて祈りの為に手を合わせる。
…まだかな?もう二時間はたつよ。
嫌な予感がする。
パパもママも、私の誕生日に死んでしまった。
私の大切な人は、私の誕生日にいなくなってしまう。
アルは私の前から居なくなったりしないよね?
お願い!!お願いだから私からアルを奪わないで!!!
どうかアインドル商会の会長夫妻からの大事な話が、私の予想から外れていますように。
神様、お願いします。
私はアルとずっと一緒にいたい。
ずっとアルの隣にいたい。神様―――!
礼拝堂のドアが開かれた。孤児の子供やシスター達、ボランティアも集められ、アルと神父様、シスターとアインドル商会の会長夫妻も入ってきた。
神父様は皆に聞こえる大きな声で、アインドル商会の会長夫妻には子供が出来なかったので、跡取りとなる養子を孤児院から引き取りたい旨を説明し、町でも文武両道優秀で評判なアルを、商会と家の跡取りとして引き取りたい申し出があり、アルがそれを了承した。
会長夫妻はアルの年齢で貴族しか通えない高等大学部の勉強を、全て修めた事を高く評価したらしい。
皆がアルにおめでとうといい、笑って祝福しているのに、私は祝福する事なんて出来ない。
――――アルが私の前からいなくなる?
アインドル商会は隣町とはいえ、気軽に子供が歩いて会いに行ける距離ではない。アルの向かう家は、王家や貴族達とも取引のある王国一の大商会らしいと、周囲の大人や孤児が興奮して話をしている。
私は話を聞いていられなくなって、礼拝堂からも孤児院からも飛び出す。
「リディ!!?」
アルの声が背後から私を呼ぶけど、私は振り返る事も、足を止める事もできなかった。
町の人達は突然孤児院から飛び出してきた子供に、驚いて声を掛けられるけど、泣きながら走る私はその声を無視した。
走って、走って、息が切れても走って、私はここではない、どこか遠くに行きたかった。
結局行動範囲の狭い孤児の行き先なんて、行った事のある場所になってしまう。私はアルと二人で遊んだ公園の大きなイチョウの木の下で足を止めた。
この世界のイチョウは黄色く色づいてから、二ヶ月近く私達の目を楽しませてくれる。今も黄色い葉を揺らして、私を慰めてくれるみたいに、風で葉をざわつかせている。涙で濡れた頬でイチョウの木皮に触れながら、イチョウに抱きついて寄りかかる。
あー、格好悪いなぁ、私は…。逃げてどうするんだ…。
アルはもの凄い努力をして、十四歳で前世でいう大学生の勉強まで修めた。剣技も、運動も、武道も、人脈づくりも沢山努力してきた。
きっと何か夢があったから、あんなに必死に努力して、死に物狂いで食らいついて、叶えたい理想のアル自身の未来の為に、前を向いてひたすら頑張ってきた。
今回アインドル家の養子になるのを受け入れたのは、それがアルの理想の未来の為に必要な事だから。自分の夢の為にひたすら頑張って、一番その姿を近くで見てきた私が、アルの門出を祝えないなんて情けない。前世を含めたら、アルより長く生きた記憶があるのに。
笑顔でアルの背中を押してあげなきゃいけないのに、良かったねって笑ってアルの夢を応援したいのに、アルと離れる事が、寂しくて悲しくて堪らない。
涙が溢れて止まらない。
「リディ!!!」
私の体がビクッと震える。
どうしよう。とうとう見つかってしまった。私はイチョウの木から手を離して、自分の胸の前で両手で包み込む。
涙でぐちゃぐちゃの顔だから後ろを振り向けない。アルとの孤児院での最後の私を、泣いたままの顔では終わらせたくない。
「アル…探してくれたんだね。ありがとう…ごめんね…逃げ出したりして……ちょっと待って」
涙声で震えるが、今の自分の出来る限りの高い声を出して、なんとか誤魔化そうとする。右手で頬の涙を拭い、左手は背後のアルに向かって軽く左右に振る。
左手をアルに引かれて、私は背中から後ろに倒れ込む。ぎゅっと目を瞑って地面に叩きつけられる衝撃に耐えようとした。
固い地面ではなく、ふわっとアルに私は背中越しに抱き留められる。背後からお腹にぎゅっと手を回された。
「えっ、ちょっ…アル?私は待ってって言ったよ?」
「顔を見られたくないなら見ないから、俺から逃げないで。泣きたい時は、俺の所に来いって言っただろ?一人で泣くなよ」
私の側から居なくなる癖に、私を一人ぼっちにして何処かに行ってしまうのに、そんな事を言わないでよ。
「…嘘つき、アルは私の側にずっといるって言った。行かないで…。リディの隣にずっといてよ!アルと離れたくないよ」
こんな事を言いたいんじゃないのに、私の口からアルを責める言葉ばかりでてしまう。
「リディ…ごめんもう決めたんだ。僕はアインドル家の息子になって、将来はアインドル商会の会長の後を継ぐ。僕も本当はずっとリディと一緒にいたい。僕の叶えたい未来を実現させる為に、僕はアインドル家に行く」
力強く言い切られたアルに、私は冷静さを取り戻す。彼の人生があるのに私は何をワガママを言ってるんだ。ずっと一緒には居られないって本当は分かってるでしょう?
「………そうだよね、ワガママ言ってごめんなさい。大丈夫だよ!本当は…分かってるんだ。アルがずっと頑張ってた事は私が一番知ってる。
アルならきっとアインドル家でも、上手くやっていけるよ。私はアルのやりたい事を応援する。私を心配しなくても大丈夫だから。だからアルのしたい事をして欲しい!
私は一生アルの味方だから!離れてもずっとあなたを想っています」
ああ良かった。やっと素直に言えた。
背後のアルから私のお腹に回った手が離された。
「んっ、冷たっ、何?」
首に冷たい何かが巻かれる。よく見るとシルバーチェーンのペンダントだった。ペンダントトップには雫型の青とオレンジが混ざりあった石が嵌め込まれている。
「リディの十二歳の誕生日プレゼント。リディの色と僕の色が混じった摩石のネックレス。僕が魔法守護・物理防護魔法をかけた。離れている間はこれがリディを守ってくれる。
本当は十一歳の誕生日に渡したかったけど、複数の魔法を込められる力の強い石が見つからなくて、リディ誕生日おめでとう」
優しいアルの声音とプレゼントに驚いて涙が止まる。
「ありがとう、アル。プレゼントはとても嬉しい。でも…複数の魔法を込められる摩石なんてかなり高価なものだよ?もしかして町で働いてたお金をほとんど使ったんじゃない?」
「リディが倒れた時から、僕は自分が無力なままでいたくなかったからいいんだよ。どうか受け取ってずっと身につけて欲しい。きっとリディを守ってくれる筈だから。
リディとは長い間会えなくなる。でも僕はいつもリディを想っているよ。出来る限り早く僕は一人前になる。手紙を沢山出すから返事を書いてね。
リディがこの日に産まれてきてくれた事に感謝します。産まれて来てくれて、僕と出会ってくれて、ありがとうリディシア」
ああ!
せっかく泣き止んだのに、また泣かせられた。
私は私の誕生日が嫌いだった。
アルも自分の誕生日が嫌いだった。
だって、自分の誕生日に私たちは両親から引き離されたから。
私の誕生日に両親が事故で亡くなり、アルは誕生した日に両親から捨てられ、私達は自分の誕生日を祝うのが嫌だった。
でも……あなたは出会ってから今までの、全ての私の誕生日を本心から祝ってくれた。両親に負けない位、私の産まれた日を祝ってくれたね。
だから私も、誕生日を嫌うだけの自分では嫌になった。
きっと一生少し胸は痛む日になるけれど、それでも私を望んでくれるあなたの事を、私自身よりも大切に想うよ。
「ずるいなぁ、アルは?」
「え?」
「だって私もずっと同じ事をアルの誕生日に思っていたのに、先に言うしね」
驚いた顔をしたアルが可愛い。
「私も私が産まれてきた事に感謝します。そしてアルが、この世に産まれてきてくれた事にも感謝します。あなたが産まれてきてくれたから、私はとても幸せよ。アルのママがアルを産んでくれて本当に良かった。あなたのパパとママにも、私は“ありがとう”と言いたい」
背後のアルを私は振り返り、夕日色の瞳に涙が残る顔で精一杯の笑顔を見せて、正面からアルに抱きついた。
そんな私をアルは優しく抱きしめてくれた。
風に揺れて黄色く色づく葉を揺らしたイチョウの木だけが、優しく二人を見ていた。