Case:3
晴天。雲一つない青空が広がっている。ドライアドは基本的に晴れの日が多いが、それでもやっぱりこんな良い天気の日には心まで晴れやかになる。
「ぎゃああああ!」
「痛い! 痛いいいい!」
そう、晴れやかに。フィアンマがシーツを干しているすぐ脇で、先生は異世界転生病の患者で実験をしていた。今日の実験は「転生者に特別な力が備わっているか」を確認するものだ。
先生は二、三人を診療所の外に転がして動きを封じ、その上に跨って腕にメスを入れていた。
「いだいいぃいい」
「うーん。やっぱり二型プラスには痛覚があるんだね。これ痛い? どれくらい痛い?」
「いやだああ、もうや、やだあ!」
「嫌なくらい痛いのか……案外普通だな。精神の錯乱ってだけで脳内麻薬の放出はない……と。物理的な攻撃に対しての防御手段を持たないってことは感染の心配が無くてもあんまり役に立たなさそう」
「先生~。実験もいいですけどあんまり血が飛ばないようにしてくださいね~」
「分かってるよ助手ちゃん。あ、ところで今日の夕飯って何?」
「シュリ肉のミンチです~!」
「今日の夕飯だよ? 食欲失せるなぁ」
呑気に会話をしながらも、先生は止まらない。
「君、魔法とか使えないの? ぼくにもそれなりの心得はあるけど」
「はっ、はっ……」
「ダメだこれ。使い物にならない」
「別の個体に聞けばいいんじゃないですか~」
「それもそうだね」
よっこらしょ、と腰を上げて白衣を軽くはたくと先生は目標を隣に転がっている男性に移した。既に腕に切り傷を付けられてはいるが、その目は憎しみに燃えている。
「どう? 元気になった?」
「殺す……! 絶対殺す!」
「怖い怖い。君はなんだっけ……魔法のある世界で無双がどうのって言ってた子だよね。助手ちゃん、名前覚えてる?」
「ん~? ん~……なんでしたっけ。ツチミカドナオキさんでしたっけ」
「それそれ、そんな名前だ」
指をぱちん、と小気味いい音で鳴らした先生はそのまま掌を広げて唱えた。
「風よ、風よ吹け。その刃で汝の障害を切り裂け」
突如、草原に吹く穏やかな風が頬を斬る程に鋭くなった。先生の掌には可視化した風が刃のように絶えずぐるぐると動き回っている。
「ひっ……!」
「魔法を見るのは初めてかな?」
フィアンマが飛ばされそうになったシーツを押さえつけている様子を眺めながら、先生は楽しそうに笑った。
「これは初歩の風魔法だよ。せっかくだし講義してあげよう」
触れれば斬れる鋭さの風を掌で遊ばせながら先生は教師のように話を始める。
「ドライアドに存在する万物は魔力を帯びている。この魔力をトア、と呼ぶんだ。母なる精霊ドリュアが作り出したドライアドには、この祝福のトアが満ち溢れている。水、火、風なんかにはもちろん、僕が着ているこの服にもだ。そして、魔法というのはこのトアを導いてあげる技術を呼称する。火に宿るトアに「ここを燃やしなさい」と教えてあげることで物が燃えるし、水に宿るトアに「この水を清浄にしなさい」と命じることで飲み水が作り出せる。トアには意思が無いから、普段はただそこに留まるだけ。なんだけど、そうやって方向性を指すと僕たちに恩恵をもたらしてくれるんだ。まあ、ぼくは難しい魔法なんて使えないからどれも初歩しかできないんだけどね」
そこで言葉を止め、先生は少し考えてからまたしゃべりだした。
「それで、今言った「トアに方向性を与えることで魔法という技術が使える」って話なんだけど、逆の使い方も出来るわけなんだ。簡単に言えば魔法の相殺。魔法で燃焼を命じたトアに「やっぱり燃えるのをやめてほしい」って伝えて消火する。単純な話なんだけど、今から君にする実験においてはとても重要な点なんだよ」
ひと際勢いを増した風に、先生が目を細める。それに反するように、土御門の目が見開かれた。先生の言った意味を正しく理解したのだ。彼の口の端から零れる悲鳴を聞いて、先生はにんまりと口角を吊り上げる。
「お、言った意味が分かった? そう、つまり君を使った今回の実験は「魔法の相殺を用いた魔法防御を転生者は使用することが出来るか」ってこと! いやあ、アスピドケロンが牛耳ってる中都では倫理がどうとかで、人体実験するといい顔されないんだよねぇ!」
「え~! 血が飛ぶならもうちょっとあっちでやってください~!」
「もう無理。あとで染み抜き手伝うから許して!」
「テーザさんのケーキつけてください~!」
「お安い御用!」
フィアンマと繰り広げる会話は平和そのものだ。先生は風が乗った掌を土御門に向けて一言放った。
「行け!」
「ああぁぁああぁ!」
長閑に掌に収まっていた風の刃が、先生の命令に従って土御門の四肢を貫く。肌が裂かれ、血潮が飛び、風圧が無慈悲に肉を抉る。もだえ苦しむ様を見ながら、先生はため息を吐いた。
「ダメじゃん……」
「ひゃ~~! せ、先生~!」
「どうしたの助手ちゃん」
「シーツ一枚飛んでいっちゃいました~!」
「やばい!」
「先生が手加減しないから~!」
「ごめんって! 今取りに行かせるから」
先生は申し訳なさそうに頭を掻きながらおもむろに、右手の親指と中指で丸を作り口に咥えた。ぴゅい、と澄んだ音が響き渡り、一瞬の間を置いて診療所の開いた扉から何かが飛び出してきた。
四つ足の生き物だ。力強い筋肉が唸り、槍のように一直線に草原を駆けていく。飛ばされたシーツに容易く追いついたそれは、しなやかに跳ねて難なくキャッチする。
「お~! すごい!」
耳をぱたぱた動かしながらフィアンマが拍手で喜びを表現している。その横で先生はもう一度指笛を吹いた。その音に反応して、生き物はシーツを咥え戻ってくる。フィアンマは膝をついて生き物を呼んだ。
「偉いね~キーちゃん! よしよし! おりこうさん!」
シーツを受け取り、生き物を抱きしめて撫でまわすフィアンマを見て、息も絶え絶えな土御門は息を呑んだ。
その生き物は、実に醜悪だ。ねじれた人間の両手を無理やり一つにまとめたせいで片足に指が十本ある。足は筋肉を継ぎ接ぎしたため歪に膨れ、酷くでこぼこしていた。皮膚と呼べるものはおおよそ存在せず、赤黒い繊維がむき出しになっている。血管のような何かが脈打ち続け、血液とは思えない黒い液体を循環させていた。苦痛と恐怖によって曲がった人間の顔を付けたそれを、フィアンマは愛おしそうに抱きしめている。
「思ったより長持ちしたなぁ。それ何号だっけ」
「五号ですよぉ! 先生、もしかして屍術魔法の練習しました?」
「ちょっとだけね。やっぱ死体も多すぎると困るし、活用していかないと」
受け取ったシーツを抱えて立ち上がり、フィアンマはそれに納得したように言う。
「キーちゃんがいれば便利なことありますもんね……あ!」
「どうしたの助手ちゃん」
「先生また白衣汚した! お洗濯するの大変だってわたし言いましたよね~!」
「困ったねぇ……どういうわけか、転生者の血液にはトアがないみたいだから魔法でも落ちないし」
「これはもうテーザさんのケーキ二つ買ってもらわないと割にあわないですよ~」
「あはは。じゃあ今日のおやつはケーキかな。これ、よろしくね」
先生は白衣を脱いでフィアンマの頭に被せた。先生よりも小柄なフィアンマはあっという間に汚れた布に埋もれてしまう。
「あわわわ、せ、先生酷いです~!」
わたわたと慌てながらフィアンマは白衣の中でもがいた。それをニコニコと見ながら、先生は指を拳銃のように土御門に突き付けた。
「撃て」
不可視のエネルギーが弾丸となって射出され、土御門の脳天を直撃する。声もなく絶命した彼を見て、先生は鼻で笑った。
「やっぱり、転生者が自称する「特別な力」なんてないじゃないか」
「ぷはっ! 先生~! ひどいです!」
「ごめんごめん。じゃあ今度こそ行ってくるから、それの洗濯と掃除お願いね」
「は~い! いってらっしゃい~!」
満面の笑みで手を振り、先生を見送るフィアンマ。歩き出した先生は思い出したように足を止め、四つ足の生き物―混成獣―に声を掛けた。
「キーちゃん。食べなさい」
先生の言葉を受け、混成獣の中を巡っているトアが動き出す。指示された通り、混成獣は唸りとも呻きともつかない音を口から吐き出し、ぐぱ、と大きく開けて、物言わぬ転生者の死体に食らいついた。ぐちゃぐちゃと草原の緑を血に染めながら、ゆっくりと死体の体積を体に詰め込んでいく。
フィアンマはにっこりと笑って、大きく伸びをした。
「ほんっとうに、今日はいい天気です!」