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Case:2

 母なる精霊、ドリュアが創造した慈しみの大地、「ドライアド」。古から伝わる技術と魔法によって生活をしている、種族の坩堝であるこの場所では今、深刻な病が蔓延していた。

その名も「異世界転生病」。

 「自分は異世界からやって来た選ばれし民であり、この世界の危機を救う勇者である」と錯覚を引き起こす精神の奇病だ。この病が発見されたのはつい十年前の話で、それから感染が爆発的に広まっている。この病の不可解な点は、「今まで普通に生活していたヒト族にのみ」感染すること、そして「従来の文化には存在しない文明について喋りだす」ことだ。ドライアドにある技術や解析魔法を駆使しても、異世界転生病の患者の精神を理解、及び回復させることは未だ出来ていない。

 そのために、ドライアドの中枢機関であるアスピドケロンはドライアド全土に研究施設を設置した。それが、「異世界転生研究所」である。魔法や医療技術を習得した者ならば、アスピドケロンの支援を受けてあらゆる研究を行える制度だ。

 そしてその「異世界転生研究所」の一つとして、ドライアドの外れにある小さな集落「ボカ」の、研究者たった二人の診療所が存在したのだった。


 異世界転生診療所の朝は早い。

「先生~、おはようございます~」

「おはよう助手ちゃん。患者の様子はどうかな」

「ばっちりですよぉ! 昨日のスドウタケルさんもちゃんと目を覚まして暴れまわってました~」

 耳の毛並みを整えながら、フィアンマが笑う。朝の見回りの定期報告を聞きながら、先生は診療所の奥にある流しで朝食の準備をしていた。野菜を包丁で刻む音だけが響いている。

「瞳孔は確認した? 昨日の段階で既に輪が出来てたけど」

「は~い。一回り大きくなって一本増えてました。この頃あんまり転生者っていなかったから油断しましたねぇ」

「でも新しい研究対象が増えてくれてぼくは嬉しいよ? これからまた話を聞きにいかないと」

「今回の転生者さんってタイプはどれに分類されるんですか?」

 その言葉に、先生は包丁を扱う手を止めて考え込んだ。沸騰を始めた鍋の中に切った野菜を入れながら上機嫌で答える。

「三型のマイナスだね。最近は二型プラスしかいなかったから研究し甲斐がありそうだ」

「ほどほどにしてくださいよ~? 先生ってすぐ周りが見えなくなって……あ、そうだ。殺処分した個体の埋葬はお昼にやっておきます!」

 身支度が終わって白衣の裾を直しながらフィアンマが湧かしてある飲料を木製のマグカップとビーカーに注いだ。柔らかな湯気と香りが部屋に広がっていく。先生はその匂いを嗅いで、首を傾げた。

「助手ちゃん、それ何?」

「コーヒーと言うモノらしいです~! 豆を焙煎して粉末状にしたものを抽出して飲料にするんだそうですよ~」

「また患者と長話したのかい? 君こそほどほどにするようにね」

「は~い!」

 元気よく手を挙げて返事をするフィアンマに笑い掛けながら、先生は作り終えた二人分の朝食を持って診療所の大机に置いた。本日のメニューは簡単な野菜スープと備蓄してあるパン、そしてフィアンマが淹れたコーヒーだ。フィアンマはビーカーを先生に差し出して、早速席に着く。

「いっただきま~す!」

「いただきます……うわ、苦い! 苦いよ助手ちゃん! 何これ!」

「コーヒーと言うモノらしいです~!」

「それはさっきも聞いたよ! こんな苦い飲み物で本当にあってるの?」

「さあ? 患者さんは美味しいっておっしゃってたんですけどぉ……失敗なのかしら」

「まあ、次に転生者が来たら聞いてみればいいよ。ムギチャは成功だったからね」

「はい~」

 両頬にパンを詰め込み、幸せそうな顔をするフィアンマを見て先生も朝食を口にした。熱いスープを啜って、昨日書いたメモとカルテを眺める。


 スドウタケル 十六歳。

 コウコウ、ニネンセイ。

 トラック、ひかれる、ガードレール、転生。

 目覚め。アマーロ草原。

 今回の患者「スドウタケル」の話についてのまとめ。コウコウという単語が出てきたため、今回は学徒の一種とみられる。ニネンセイというのは年齢による階級。そのほかにもイチネンセイ、サンネンセイと呼ばれる場合もあり。転生者特有の創造言語の語録作成が急がれる。トラックと呼称される大型の金属の塊と衝突して轢死。居眠り、という単語を用いたため、今回は他殺ではなく事故死と判定。よって分類は三型。ガードレールとはこれまでの転生者の話を統括すると、金属の塊の道路逸脱を防止する用途で舗装された道に設置された柵であると考えられる。便宜上「神」と呼ばれる未確認存在との接触について言及はなし。ここでマイナス型と判断するに至った。

 スドウタケル、タイプ三型マイナス。新規情報の獲得を早急に行う予定である。


「先生~? スープ冷めちゃいますよ?」

「あぁ、ごめんね助手ちゃん。すぐ食べるから」

 慌てて先生は、ぬるくなったスープを流し込んだ。クリップボードを脇に挟み、慌ただしく食器を下げに戻る。ただ、机の上に置きっぱなしのビーカーの中だけは、黒々とした苦くて酸っぱい液体が残っていた。


燃えよ、燃え続けよ(カルロ、カルロコンテ)

 診療所の地下に伸びる階段の前で、先生がランプに向かって唱えた。ランプの中に残っていた獣脂がゆるゆると燃え、暗闇を照らすには十分な明かりを作り出す。

「助手ちゃん、ちょっとぼく下の様子見てくるから待っててね」

「は~い。お客さんが来たらお呼びしますね~」

 玄関口の掃き掃除をしながら、フィアンマが返事をする。先生は満足そうにうんうんと頷きながら暗い階段をゆっくりと降りて行った。


「出せーーーっ! ここから出せよーーー!」

「助けてください! どうしてこんなこと!」

 左右の牢から、患者たちの叫びが響いてくる。鉄格子を何度も打ち付ける音の中を、先生は笑顔で歩いていた。鉄格子には材質強化の術を施してあるし、万が一外に出たとしても防衛策は万全なのだ。叫び声程度、心配することもない。ランプを片手に、先生はある牢の前で立ち止まった。そこは先日、薬を盛られてあえなくここに投獄された哀れな須藤尊の牢だ。

「やあ、スドウタケルくん。ちょっと話でもどうかな」

「お前、お前は本当は悪の手先だったんだな! 俺を捕まえてどうする気だ!」

「君の病気には感染の可能性があるからね、ここに隔離しておくのは当然だろ」

「病気ってなんだよ! 俺は健康だ! 特別なんだ!」

 鉄格子を掴んで何度もガシャガシャと揺らすが、たかが高校生の力でそれをこじ開けることはできない。

「なるほど、三型マイナスでも感染している自覚を持つ事は無いのか。これは興味深い」

「ここから出せよ! お前なんて、世界を救う前に殺してやる!」

「お決まりの文句だ。割といつも聞くね。それもその異世界ではよく聞く言葉なのかい?」

「お前……!」

「先生~! お客さんですよ~!」

 呑気な声が、須藤尊の叫びを遮った。階段の方から聞こえてきたのは、フィアンマが客の来訪を告げる声だ。

「あぁ、今行くよ助手ちゃん! 時間が無くてごめんね、スドウタケルくん。また来るから」

「おい待て! おい! お……」

 にこにこと笑いながら踵を返して戻っていく先生を、須藤尊は止めようと叫んだ。が、その怒りは先生が持っていたものを見て即座に恐れに変わる。

 ランプではない。逆の手に握られていたのは、魔法の光を反射して鈍い光を放つ大ぶりな鉈だった。ところどころに錆が浮いていて、柄には赤黒い液体が染みた布が巻かれている。白衣を着た医者には不釣り合いなそれを、使い慣れたように軽く持って先生は帰っていく。階段を登る靴の音だけが響き、やがて地下牢と診療所を隔てる扉が重く閉じた。


「助手ちゃん、お客さんって?」

「わたしの友達がフルイーをこじらせちゃったみたいなんですよ~」

「いつもすいません先生……」

 地上に戻ってきた先生を出迎えたのは、フィアンマと同じように大きく垂れた耳を持つぺルラ族の女性だった。口元に布を巻いて、飛沫感染を防ごうとしている。先生は納得したように笑ってから診療所の戸棚を開けた。

「ペルラのフルイーは長引きますからね。この時期は夜も寒いですし、少しでも風に当たりそうなら暖かい格好を心がけてください」

「ありがとうございます先生……本当に助かります」

「もともとこれがぼくの本業ですから」

「先生はわたしよりずーっと腕のいいお医者さんなんですよ~!」

 戸棚から出した粉薬を受け渡し、三人は平和に笑った。その床下に、何人もの患者が嘆きの叫びをあげていることなど気にも留めずに。


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