Case:1
俺は須藤尊、高校二年生。何の変哲もない、どこにでもいる高校生だ。取り柄も特になくて、強いて言うなら人より少し前向きなことくらい。部活も興味なくて入ってないし、勉強もそんなに得意じゃない。面白くもない毎日を送っていた。
そんなある日、目が覚めると俺は見知らぬ土地にいた。頬を撫でる風は爽やかで、足元には草原が広がっている。日本にこんな自然豊かなところなんてあったのか?
「ここは……どうして……」
俺は自分が目を覚ます前の事を思い出そうとした。確か、あれは下校中で。
そうだ、俺はあの時トラックに轢かれたんだ。運転手が居眠り運転をしていて、学校からの帰り道に轢かれて死んだはずだ。なのにどうして生きているんだ。そもそも、ここはどこなんだ?
考えても仕方がない。こんなところで立ち止まっていたって何も変わらない。幸運なことに、ちょうど俺が目覚めた場所から少し離れたところに街のようなものが見える。建物だ。あそこに行けば何かが分かるかもしれない。
それに、これってもしかして異世界に転生したんじゃないのか? そんな期待と興奮が俺の不安を吹き飛ばした。もしも本当に俺が異世界に転生したのなら、きっと特別な力を手に入れたり、世界を救ったり、はたまた美少女と恋愛ができてハーレムが作れるかも。そう考えると楽しくなってきた。それならば、と俺は街のある方角に歩いていく。
街だと思っていたが、そこは小さな集落だった。村、と呼んでもいいかもしれない。長閑な風景が広がっていて、よく異世界転生モノのアニメで見るような寂れた感じはしない。なんてことのない平和な村だ。そこかしこを歩いている村人の服装はファンタジーなゲームにありがちな質素なものだった。やっぱり俺は異世界に転生してきたんだ!
ただ村の入り口で立っている俺を訝し気な目で見ていた村人の一人が、声を掛けてきた。腰の曲がった老人だ。杖をつきながらゆっくりとこちらに歩いてくる。
「おや、どちら様かな……?」
「何かお困りの事はありますか? 俺、この世界に転生してきた勇者なんです」
老人は俺の言葉にひどく驚いたようで、少し悩んでから悲しそうに頷いた。
「なるほど……君もそうなんだね」
「君も? どういうことですか?」
「ついてきなさい。少し話でもしよう」
俺の返事を待たずに、老人がどこかに歩いて行ってしまう。慌ててその後を追いかければ、そこは小さな広場のようなところだった。置かれているベンチに腰掛ける老人の隣に俺も座り、辺りを見渡してみる。まだ幼い子供たちが楽しそうに追いかけっこをしているのを見ながら、老人はぽつりぽつりと話し始めた。
「最近はね、君のように「自分が勇者だ」という若者が増えているんだよ。ある日突然現れては世界を救う事を目指していると言うんだ。まさに君と同じ、勇者がたくさんいる」
「俺の他にもいるんですか!?」
驚きだ。まさか俺の他にも転生してきた奴がいたとは思わなかった。まあ転生モノの小説は数多くあるし、それと何か関係があるのかもしれない。
「……君は、自分を勇者だと言ったね。どうしてそう思ったんだい?」
「えっと……」
俺はこの人に、もともと自分はタダの高校生だったこと、ある日トラックに轢かれて確かに死んだこと、そして目が覚めるとこの村の近くの草原にいたことを話した。老人はトラックや高校生といった単語を知らないようで、何度か首を傾げていた。やっぱりここは俺が今まで住んでいた世界とは違う場所なんだ、とそれを見て再確認する。
その時、俺たちの前を一人の少女が横切った。
ふわふわの金髪は緩いウェーブを作っていて、腰辺りで毛先が遊んでいる。頭のてっぺんには青いリボンがちょこんと結ばれていて、とてもかわいい。純白の白衣は裾が風に揺れていた。腕に下げているかごには布が被せてあるが、その隙間からは瓶や果物が覗いている。買い物の帰りだろうか。そして何よりも目立つのがその耳だ。普通の人間の耳がある位置にうさぎのようなたれ耳がついている。明らかにそれは人間のモノではない。これは、いわゆるケモ耳ってやつじゃないのか?
「あ、おじいさんこんにちは~! 体調どうですか~?」
「最近はとても楽だよ。先生がくれた薬が効いているみたいだ。本当に感謝していると伝えてくれるかい?」
「もちろんです~! きっと先生も喜びますよ~」
リボンを揺らしながら、青くてきらきらした目で笑う。天使みたいだ、と思った。きっとこの子がメインヒロインに違いない!
俺は座っていたベンチから勢いよく立ち上がり、彼女の手を掴む。いきなりの事でびっくりしたのか、彼女は大きくて丸い目をさらに大きく見開いた。それと一緒に耳もぴんと立って、可愛い。
「えーっと……あの、あなたは?」
「俺は須藤尊っていいます! あなたのお名前を聞いてもいいですか!」
「わ、わたしですか? わたしはフィアンマといいます」
ぺたりと耳を降ろし、フィアンマは笑った。握った手が恥ずかしいのか、少しもぞもぞと動かしている。座ったままの老人が言った。
「彼女はこの村の外れにある診療所で助手をしているんだよ。とても腕がいいんだ」
「そんな褒めないでくださいよおじいさん~! わたしじゃなくて先生が凄いんですよ~!」
赤くなって照れ隠しをするように耳をぱたぱた動かしている。すると、老人が何かに気が付いたように声を上げた。
「そうだ、君。フィアンマと一緒に診療所に行ってみたらどうだい? 彼女と先生なら何とかしてくれるかもしれないよ」
「? 何かお困りなんですか? うちはそんな難しい治療とかはできないんですけど……」
「ほら、あれだよ。例の」
老人がそう言うと、フィアンマは怪訝そうな顔を一瞬にして輝かせた。俺が握っていた手を嬉しそうにぶんぶんと上下に振る。
「なんだ、スドウタケルさんって転生者だったんですね! それなら任せてください! わたしと先生はそういった方々に手を差し伸べるのが仕事なんです~!」
診療所と聞いてただの施設かと思っていたが、どうやらそこは転生者御用達らしい。どういったサポートをしてくれるんだろう?
「そうと決まれば、早速行きましょう~! 先生はわたしなんかよりずっと腕がいいから、きっとうまくいきますよ!」
柔らかくてあたたかい手が俺の手をきゅっと握りしめる。はしゃぐように手を引いてどこかに連れて行こうとするフィアンマからは、なんだか甘い匂いがする気さえした。女の子だ。なんだか顔が赤くなりそう。
たどり着いたのは二階建ての小屋、というのだろうか。村の外れにあるというだけあって、結構な距離を歩いてきた。息切れしている俺の横で涼しそうな顔をしたフィアンマは、何のためらいもなくその扉を開ける。大きく声を張り上げて、彼女は中にいる人物に話しかけた。
「先生~! ただいま戻りましたぁ!」
「あぁ、助手ちゃん。おかえりなさい……その方は?」
「転生者さんです~!」
転生してきた人間に対して、この世界は随分寛容らしい。そんなに頻繁に転生してくる奴がいるのか、と思ったが、ファンタジーな世界観といい村を歩く人外がいたり(フィアンマだってそうだ)なのだからきっとそういう世界なのだろう。
先生、と呼ばれた青年は見た感じ人間だ。角も鱗も無ければ、フィアンマのようなケモ耳もついていない。白衣を着ている、現代のお医者さんみたいな人だった。かけていた眼鏡を胸ポケットに引っかけながらこちらに歩いてくる。俺より身長の高い先生と呼ばれる男性は、見下ろすように少し腰をかがめて俺を見た。糸目だから本当に見ているかはよく分からない。
「ふむふむ。君が転生者くんなんだね。助手ちゃん、悪いんだけど食材片付けたらお茶淹れてくれるかい?」
「は~い」
ぱたぱたと軽い足音を立てて、フィアンマの姿は診療所の奥に隠れてしまった。男性は俺から離れ、少し向こうにある木製の机を指さす。
「とにかく、君の話が聞きたいんだ。少しお茶でもどうかな、転生者くん」
「あの、あなたが診療所のお医者さんなんですか? 転生者に手を差し伸べるのが仕事って、フィアンマさんが言ってましたけど……」
「そんな大層なものじゃないよ。ぼくはただの、研究が好きな医者だよ。気軽に先生って呼んでくれ」
にっこりと笑い掛けながら、適当な椅子に先生は腰かける。向かい合う席に俺も座り、先生はクリップボードを机の下から取り出した。まるで病院の問診だ。
「楽にしていいよ。少しメモを取ってもいいかな?」
「は、はい」
「そうだなぁ……まず、君の名前は?」
「須藤尊です」
「スドウ、タケルっと……年齢は?」
「十六です。高校二年生」
「コウコウ! いいね、久しぶりに聞いたよ」
くるくると指先でペンを躍らせながら先生は楽しそうに笑う。興奮気味に続きを促す姿に、なんとなく俺は優越感を覚えた。そうだ、転生したんだからこんな風に驚いてもらわないと。
「それでそれで? 転生してきた経緯は?」
「まず、俺が高校から帰る途中にですね」
「お話し中にごめんなさい~。お茶、お持ちしましたよ~!」
お盆を持ってフィアンマが歩いてくる。氷がグラスの中でからからと音を鳴らしていた。透き通った紫色だ。本当にこれがお茶なのだろうか?
「はい、どうぞ~! これ、わたしの自信作なんです~!」
「あ、ありがとうございます……?」
グラスを受け取って、中身を透かして見るがやっぱり紫だ。本当にこれが飲み物なのだろうか?
「これはね、君たち転生者からの話を聞いてぼくたちなりに再現したお茶なんだ。どうやら色だけは違うみたいだけど、味は保証するよ」
そういいながら先生が笑って透き通った紫色の液体を飲む。すごく不味そうだが、俺の横でニコニコ笑っているフィアンマのためなら! と一気に中身を呷った。
だいぶ歩いてきて乾いた喉に液体が心地いい。色はあれだけおかしいのに、味は麦茶だ。すごい。
「美味しいですか?」
「はい、本当に麦茶の味がします!」
「ほうほう、なるほど、これがムギチャか……」
熱心に先生がメモを取る。こんな普通の事も、彼らにはきっと新しい発見なんだ。
「それで、コウコウ? から帰る途中の話だね」
「あ、はい。俺が帰ってる途中に、居眠り運転してたトラックがガードレールに突っ込んできて、確かに事故ったのは覚えてるんです」
「トラック、ガードレール……聞き覚えのある単語ばかりだ! 以前ここに来た転生者も同じようなことを言っていたよ! 続けて!」
「それで、轢かれて意識がなくなって、死んだと思ったらこの村の外の草原で目が覚めたんです。持ち物とかは全部なくなってたんですけど、やっぱりこれって異世界転生なんですよね」
「うんうん、そうだね。草原と言ったかな? 村の外ならアマーロ草原か……今まで二十一名の転生者が現れている。あそこは出やすい傾向でもあるのか……」
すっかり熱中して何かを執拗にメモに書き込んでいる先生に困惑する。この人、自分で研究が好きって言ってたのは本当だったんだ。
「あ、あの……」
「お話、続けてください~。先生はああなるとしばらく戻ってこないんで~」
優し気に微笑みながら、フィアンマが俺の隣に立った。耳はぺたんと垂れて、ふわふわの金髪にもぐっている。
「えっと、それでですね……」
ぐらり。視界が歪む。突然やってきた睡魔に驚きながら目をこするが、見えている世界はぐにゃぐにゃに曲がったままだ。え、なんだこれ、どういうことだ?
「スドウタケルさん? どうされました~?」
「いや……なん、か、あたまが……」
「大丈夫ですか? 体調がすぐれないんです?」
心配したように俺の顔をフィアンマさんが覗き込んでくる。大きな青い瞳に俺の顔が写っていた。だが、彼女の表情は心配そうな声色とは全く正反対だ。
嬉しそうに、笑っている。
「先生、そろそろですよ~」
「ん? ああ、もう効いてきたのか」
なんてことのないように先生が、白衣のポケットに入っていた眼鏡を掛ける。クリップボードを机に置いて、俺の近くに歩み寄ってきた。脇に退いたフィアンマと入れ替わるように俺の顔を覗き込み、無遠慮に頬に触れたり瞼を引き上げたりする。
「あー、出てる出てる。助手ちゃん、これ寝たら隔離しておいて」
「は~い!」
一体どういうことだ? 何が起きているんだ? どんどん身体から力が抜けていき、ついに俺は机に突っ伏してしまった。もう顔も上げられない。辛うじて開いている目も、もうすぐ閉じてしまいそうだ。
すると、視界に金色の糸が見えた。フィアンマの髪だ。俺の横で机に顔をぺたりとつけて、俺をじっと見ていた。
「大丈夫ですよ~スドウタケルさん。先生はわたしより腕がいいって言いましたよね」
無垢な瞳で、楽しそうにフィアンマは笑う。俺はどうすることも出来ず、そのまま意識が暗闇に堕ちていった。
「お疲れ、助手ちゃん」
「いえいえ~! ところで先生、そろそろ地下牢がいっぱいになりそうなんですけど、どうします~?」
「殺処分かな」
「了解で~す!」
フィアンマは表の看板をセットしながら機嫌良さそうに返事をする。
黒檀で出来たそれには、「異世界転生診療所」とだけ白いペンキで書かれていた。