襲撃
宙を走りきった車はゆっくりと降下を始めていた。景色は見る見るうちに木々で埋め尽くされていく。
森の中に着陸するのか?
一抹の不安を抱えて森の中を窓から覗いてみると、森の中には小さく灰色の建物がうっすらと見え始めた。俊はその建物をボーっと眺めていると、運転席の傍に備え付けられた無線が不意に鳴り出し、次の声が流れてきた。
<こちらSA本部ESA対策課観察指令班、戦闘A班山際隊長至急応答願います>
切迫感のこもった無線からの声に、車内は緊迫した状況に一瞬にして塗り替えられた。山際はその緊迫感を諸共せず、逆にゆっくりと無線を取り上げる。
「こちらA班の山際、何かあったか」
落ち着いた調子で本部に応答する。
<今すぐ山際隊長の車を基地付近から遠ざけてください。近くにESAがいます>
「ESAだと?」
山際の落ち着いた調子は一瞬にして乱された。表情には動揺と困惑が入り混じった表情が浮き彫りになっている。
ESA……? そういえばさっきもそんなこと言ってたような……。
俊は軽く首をひねる。
「なぜESAがここにいる。ここら一体はバリケードが張られている。奴らはこの森林には入ってこれないはずだ」
山際は荒げようとした声を、俊をちらりと見て自然と落とした。
それが聞かれたくないから、来客がいるから考慮したのかと言うことは俊にとって定かではない。
<わかりません。ですがバリケードに異常は見られませんでした>
「異常なしだって? そんな馬鹿な、バリケードが破損してないかの確認は誰か行かせたのか?」
山際はしきりに車窓の様子を伺っている。俊も釣られて外にそびえる立派な木々の隙間に人影などがいないか様子を伺う。
<いえ、行かせていません。陸地将軍からの指示で本部全域には待機命令が出されています>
その言葉に山際は耳を疑った。
「どうして待機なんだ! そのままこの森林にESAを野放しになんてしておいたら、本部に進入されるのも時間の問題になるんだぞ? ここは戦闘班を動かすべきじゃないのか!」
山際はついに俊の存在も気にせず声を荒げ始めた。表情はひどく眉間にしわを寄せ、険しい顔つきを見せている。
さっきまでの楽観的な感じとはまるで異なり、猫がカラスに対して威嚇するときに毛を逆立てるように、山際の周りの空気が殺気立っていく様子が俊にひしひしと伝わってきた。
<無茶ですよ、森の中は広い。どこに何人ESAがいるかもわからないのに、戦闘班を出動させても無駄死にを出すだけです。それに基地は将軍命令で動かさなきゃいけないのは山際隊長もわかっていることでしょう?>
山際の勢力的な声は無線先を圧倒したのか、観察指令班は怒りを宥めるように返すがその声が小さい。
すると基地のほうで何かがあったのか、無線からざわめきが聞こえてきた。車内では二人で無線に耳を傾ける。
すると何の前触れもなく、さっきまで応対していたはずの声とは別物の声が聞こえてきた。
<山際、基地の隊員を惚れさせるなら別の手段を検討したほうがいい>
無線から聞こえてきたそのジョークに、車内でもましてや基地でさえも笑いは起きなかった。
だが山際の表情だけはさっきよりも険しく、そこにだけ緊迫感のベールが舞い降りているようだった。
「陸地……戦闘班はそんなに弱い奴らの集まりじゃない。ESAが何人で来ようとも、どんな力をもっていようとも、そう簡単には倒されないことぐらい将軍のお前でもわかるはずだろ」
山際の隣で俊は軽く縮み上がった。
将軍……? 今の話し相手、将軍なのか……?
陸地と呼ばれたその男は、無線の先で失笑する。
<もちろん、何もなしに戦闘班を待機命令にしてESAを野放しにするなんて事しないよ。ちょっと厄介なことがあってね>
「厄介なこと……?」
山際が話に乗ってきたことを悟ると陸地は軽く咳払いをした。
<実はお前と同じ、スカウト任務を遂行して帰省中だったA班の海部野の車がESAに強襲を食らったようでね。海部野自体はあいつの運転技術でギリギリ本部の屋上に落下したんだが、肝心のスカウトしてきたSAを森の中に置いてきた様なんだ。探し出す手段も今のところ見当たらないし、このまま戦闘班を出動させてしまったら間違えてスカウトしたSAに危害を加えてしまう可能性もある。それに…>
陸地は言葉を濁す。
「それに、なんだ?」
山際は話を促すように聞き返す。
陸地はばつが悪そうに渋々言葉をつなげる。
<それにスカウトされるSAは純粋な奴ばかりだ。これは一可能性としての話だが、既に悪に転じていると言うこともありえなくはない>
山際は唇をかみ締め決まりの悪そうな顔をした。そのまま反論にも窮する。
<基地局の判断としては『森に落ちた新人SA君には悪いがここで彼との一切を切らせてもらうこととする』に意見がまとまった>
陸地の言葉に車内は衝撃が走った。
「一切を切るって、それはつまり『見捨てる』と言う事ですか……?」
<そういう事だ>
山際は落胆の色を浮かべ悲しげに訊ねる。だが陸地はあっさりとした後ろめたさを感じない返事を返した。
山際はウルフカットの黒髪をくしゃくしゃにして頭を抱える。髪の中では一部だけ緑色の部分が黒に囲まれながら暴れまわっていた。
「いくら将軍である陸地の言うことであっても、純粋なSAを見捨てるなんて駄目だ! 森に落ちたSAはまだ高校生になったばかりなんだぞ! 今後の未来を見捨てるつもりなのか!」
山際は怒気をこめて再び声を荒げる。その勢いはさっきよりも増していた。
俊はそのとき一瞬だけ驚いた。それは山際の怒りに臆したからではない。自分と同じ高校生になろうとしている人が被害に晒されていたという事をそこで初めて知ったからだ。
俊は思わず車窓に広がる森を見る。
車はゆっくりと空中を降下し、本部基地の屋上はすぐ近くにまで迫っていた。改めて基地を見ると敷地の外と内を隔てる灰色の壁が何ともいえない威圧感を放っているような感じに見える。
あの壁にもバリケードは張られているのだろうか。だとしたらあの壁を開かない限り、森に落ちたその高校生も助かる見込みは……。それ以前にもうESAとか言うやつにやられている可能性だって……。
俊は視線を森の中に再び移す。何かが動く気配は見る限り何もない。
すると俊はある言葉を思い出してハッとした。視線を山際に戻すと山際は悔恨の情で思い切り車内の扉を叩く。
<それが彼の運命だったと思うしかない>
陸地がそう告げるのに重なって俊は声を上げた。
「山際さん! この車を本部基地から早く遠ざけてください!」
突然発せられた大声に不意を突かれた山際は体をビクッとさせ、キッと怒った眼を俊にぶつける。
「何だよ急に声を上げて!」
山際の声は、『見捨てる』という悔しさと何もできないやるせなさ、さらに何もできない自分を許せない怒りにもまれた複雑な感情をもったトーンで言葉を思い切りぶつけた。
俊は一瞬勢いのある返答にひるみつつもすぐに首を振る。
「その無線でさっき言ってた海部野っていう人の車は本部基地に入る直前で強襲にあってるんですよね?」
「そんな詳細ではないが、恐らくそうなんじゃないか? 状況的に」
「もしそうだとしたらこの車も狙われている可能性があります。こんなゆっくり本部に入っていこうとするなんてESAからすれば煽っているようなものです」
山際は我に返って考える。
「確かに……筋は通っている」
「しかもその無線。元はといえば、この車を基地から遠ざけるための命令を自分たちに報せるために送られてきたものですよ。命令の通りに早くここから離れないとこのままじゃ……」
俊が話を続けようとした瞬間、車の真ん中に埃の様に何かが舞うのが感じられた。
「えっ…」
山際と俊、思わず二人の声が合う。
二人はほこりの立つほうを見るとそこには微かな溝が生まれていた。その溝はだんだんと開き、目の前にいる山際との距離が離れていく。
何が起こったのかと二人は車内を見回す。そこで俊が森に落ちていく黒い影に気づいた。
「山際さん、どうやら誰かに車のど真ん中切り裂かれたみたいですよ」
「嘘だろ?」
「嘘じゃないです。森に帰っていく影を見ました」
二人は思わず口元に笑みを浮かべる。二人とも中途半端でぎこちない苦笑いだ。
車は空気抵抗によってどんどん二つに分断されていき、もう取り返しはつかない状態にまでなった。
すると山際は後部座席に身をよじりガラクタの中を漁りだす。
「何してるんですかこんなときに!」
俊が口を開けば大量に流入してくる空気圧に必死に耐えながら大声を上げる。すると山際は古新聞の記事を握って元の姿勢に戻った。
「これは、未来のSA発掘に必要な唯一の必需品だからよ」
山際も苦しそうに言いながら俊に記事を見せ付けると、そのまま両手をハンドルにやった。
「あなたまさか、このまま運転する気ですか!」
「当たり前だろ! どっかに捕まれ!」
山際は口元に笑みを浮かべハンドルをきる。俊は運転席側の座席シートを目いっぱいの握力で掴んだ。「死にたくなけりゃ、しっかり捕まってろよ! 行くぞ!」
山際はどこに向けて発しているかわからない声をその場にばら撒き、一気にアクセルを踏む。とたんに車のスピードは加速する。
「くっ…」
俊は勢いよく襲い掛かる空気に圧迫され思わず咽びながらも、歯を思いっきり食いしばる。
まだ死にたくない……
俊の心にはその言葉だけがあふれ続けた。
空気で乾燥した目が思わず瞼を下ろす。すると今度は俊の傍で爆発が起こった。爆発と同時に俊の片手が運転席から離れる。薄目を開くと後部座席が既になく傍にはこれまで神秘的に見えていたはずの明るい緑色が、落ちていく自分たちを地獄に誘うような深緑色に感じられた。
また斬撃にあったのか……?
俊の手はだんだんしびれてくる。もう運転席を持つ片手にも限界が来ていた。
「持ちこたえられるか?」
すさまじい空気圧の中で山際が再び大声を出す。俊はその質問を耳に入れるが反応できない。
「無理」という言葉だけが心を泳ぎ回っている。息もできず、握力にも既に余裕が残っていない。
もう……駄目だ……
俊の手が座席シートから離れていくのがわかった。次の瞬間に俊は助手席に叩きつけられるとその振動によって分断しそうになっていた車は真っ二つに別れた。
俊の目の前が一瞬にして山際から青一色の空へと変わる。水平線にはその青い空と、どこまでも続く緑色の森が広がっていた。
綺麗な、世界だな……
俊の乗った助手席側は森の中へと落ちていった。
俊の乗った車はすさまじい衝撃音と共に森の中へ落下した。
助手席は生憎頑丈な地面に着地するが、車自体にプロテクト加工がしてあったおかげで俊はほぼ無傷で助かった。
砂埃が舞い散る中、車体に手を這わせゆっくりと俊は立ち上がろうとして、俊は車外に転がりでた。
宇宙人か未知の生命体が登場するならこうダサくはないな。
こけた自分を嘲ってしょうもないことを考えた。
立ち上がって制服についた砂をはたいて落とすと、辺りを見まわす。
ここってESAとか言うのがいるんだよな……戦場……だよな……。
俊の身体は急に身震いをする。次にやるせない恐怖と不安が俊の身体をたたった。足がすくみ、その場にある落下した車体に身を預ける。
戦場に送り込まれる兵士の気分なんて生まれてこの方考えたこともない。むしろなぜこんな状況に陥ってしまったのか、原因なんてたどったところで出てくる答えは山際という男の言葉にのってしまったから、そんな結論しか出てこない。
「余計なことを考えるのはやめよう」
俊は自分に言い聞かせるように言い首を左右に振ると、車内のほうを見た。
戦場と言うなら武器は必須だ。SAとか言う警察組織なら何か武器ぐらい積んでるはず……。
俊は試しに助手席の辺りをあさり始めた。探してる間はどうしても背中を向けるので辺りを逐一チェックしながら手探りを進めた。
基地の戦闘班とか言うのが動かないことは散々聞いたし、助けは誰も来ない。それなら自分の身は自分で守るしかない。
考える中でふと手が止まった。
「でも敵って……何人いるんだろう。基地のほうでも予想はついてなかったみたいだし」
疑問をぶつける相手もいないので、言葉に出しても虚しさだけが残る。
「探そう……」
ため息を一つこぼし、再び周囲を警戒しつつ手で助手席に探りを入れた。
今度は入れ物の中も入念に調べる。
これだけでかい音をたてて落ちてきたんだし、そもそも落ちた原因は敵の襲撃だ。そろそろ敵も来るはずだ。
考えつつファイルの入っていた引き出しをあさると何か硬いものに当たった。
「ん……?」
俊は不思議そうに引っ張り出す。すると掴んでいたものがみるみる日光を浴びて姿を表した。
「これだ……!」
そういって掴んでいた物は、まさしく俊が求めていた武器、短剣だった。
短剣の柄を持って鞘からゆっくりと引き抜く。少し錆びていたが十分使えるものに違いはなかった。
「これで生きて返れる……望みが見えた!」
短剣を鞘に戻し両手で大事そうに持ち上げ立ち上がると、俊の背後で砂煙が巻き上がった。
「えっ……」
俊が思わず後ろをふり向くと、砂煙の中で一人ぶっきら棒に立つ人の姿がそこにあった。