SA
不審者の男の車に乗り込んでから、まもなく三十分が経とうとしている。
依然として車内は静寂にあり息が詰まるような空気に包まれていた。
男への不信感をいまだ拭いきれていない俊は、警戒心をひたむきに隠しながらも不審者の男を睨みつけ続けている。
一体何を考えているんだこいつ。
全く動きを見せない不審者の男に貧乏ゆすりをしたくなる思いで足をそわそわさせていると、不審者の男は俊の様子を目に焼きつけ口を開いた。
「何だトイレか?」
急な質問に俊が戸惑う。
「トイレ……?」
俊は自分の足元を見て、足を静止させた。
「違いますよ。不審者の癖に何も要求を言ってこない事に、不審を抱いていただけですから」
すると不審者の男はほくそ笑む。
「ははっ、確かに。もうそろそろ、話してもいいころかな」
そうして不審者の男は車窓の様子をちらりと見た。俊は自然と首をかしげる。
「どういうことですか?」
俊がそう尋ねると男は笑った。
「そろそろ俺の正体を教えておいたほうが良いよな?」
俊はその言葉を愚問に捉えながらも頷いた。
「誘拐する時点で学校の教師ではないの事ぐらいはわかっています」
「誘拐って……。俺がいつ誘拐したんだよ!」
「いや、さっき車に乗せようとしてた時点で誘拐だと思いますよ普通。まぁ、周りの人に見られていなかったのは幸いでしたけど……」
不審者の男は力なく笑う。
「それで? お前はまだ自分が誘拐されていると思い込んでるわけ?」
「違うんですか!」
俊は目を見開いた。
「ぜんぜん違う。むしろ逆だ」
その発言に俊の眉間には徐々に皺がよっていっていた。
「俺は、警察官だ」
俊は男のその言葉に一瞬困惑した。
「は?」
警察官……だって?
俊の反応に男は失笑する。
「まあ、驚くのも無理ないだろうな、普通の警官の服装には見えないし。この服装じゃどっちかって言うと不審者側に見られてもおかしくはない」
男は全身を包む黒のロングコートの襟の部分を掴んでみせる。
「警官ならどうして俺を車に乗せようとする時に警察手帳を見せなかったんですか? いくら誘拐するにしてもそんな嘘がつけるなら偽造手帳だって作れたはずでしょ」
「それは……って、いやちょっと待て。まだ誘拐者扱いなのか?」
「そりゃそうでしょ、身分を確信できるもの見せてもらってないんですから」
俊の真顔の返しに、不審者の男は顔を引きつらせた。
「さぁ、見せてください。本当の警察官なら」
「え、えっと……」
不審者の男の態度に、ため息をつき車窓を見た。空を飛ぶ車は途中からワープ空間に入り、景観は青い世界が続いている。
「教えてくれないと、俺降りますよ」
俊の言葉に男はあわてる。
「待って待って! そんなに警戒しないでくれよ。って言うかここで降りたら君は時空間に呑まれて木っ端微塵だぞ」
「その通りです。だからここで木っ端微塵になればあなたも誘拐者として追われることがなくなって、ウィンウィンって奴じゃないですか」
「お前は自殺志願者か!」
変わることのない青い世界の中で二人は失笑した。
そうして俊も不審者の男も青い世界を見つめなおす。そうしているとまた疑問が生じた。
「そういえばこの車どこに向かってるんですか? ワープ空間に入った時点でもう学校に向かってませんよね」
「何故そう思う?」
「いや何故って、学校は俺の暮らす街の中にあるんですよ? ワープ空間に入るときって大体遠出するときだって中学の奴から聞いたんで入る必要はないと思って」
不審者の男は俊の言葉に引っかかった。
「お前、家に車持ってないのか?」
「ええまあ。母親は運転しないし、父親が昔よく車でいろんなところに連れて行ってくれてたみたいですけど、今はもういないので」
「亡くなったのか」
直球な質問に俊は唇をかみ締めた。
「ええ、まあ……」
車内がしんみりとした空気になる。俊は再び顔を車窓に移した。
「それで? どこに向かってるんですか?」
すると不審者の男から返事が返ってこなかった。
まさか今の話だけで泣いてるわけじゃないだろうな?
「あの……」
俊は多少の疑いを言葉に含めながら、運転席のほうを見た。
すると不審者の男は運転席の傍にあるスイッチをなにやらいじり始めていた。しばらくしてカチッというレバー式のスイッチを鳴らすと、男はハンドルから手を離し椅子を倒して後部座席のほうに体をよじる。
オートモードか……。
俊が感心している傍で不審者の男が後部座席でがさごそと何かを探していた。
「何してるんですか?」
俊の問いかけにも応じることなく、不審者の男は必死に後部座席をかき回している。それぐらい後部座席には何らかの荷物が溢れかえっていた。
やがて男は後部座席からある一枚の新聞を取り出してきた。一見するとかなり古そうな新聞紙だった。
不審者の男はむやみにその古新聞紙を俊に渡した。
「これ知ってるか?」
渡された古新聞紙に目を通した俊は、思わず絶句した。そこには見出しとともにこう書かれていた。
怪奇! 波止場から消えた人々
深夜未明、名古屋港付近の波止場で不思議な閃光が確認された。現場付近で見ていた方の話によると、夜中散歩をしていたら突然背後から目も開けられないほどの光を感じ、振り返ると空一面に緑色のシャワーに似た光線が満ちていたという。ただ事じゃない予感がしたその方は、すぐに近くにあった公衆電話へ駆け込み警察に通報しようとした。すると電話ボックスに入った直後、その近くでおびただしい数の悲鳴を聞いたとのこと。その悲鳴にハッとしたその方がすぐさま悲鳴のあった場所に駆けつけると、そこには波止場のコンクリートがでこぼこになった跡と、直前まで身に着けていたであろうカバンや浴衣、かんざしなどがそこら中に残っており、人の気配は全くなかったのだそうだ。その方はその光景を見ると再び電話ボックスへ戻り警察に通報したことでこの事件があらわになった。現在もこの人体消失事件は捜査中であり、解決のめどは立っていない。
俊はその記事を読み終えると、体のいたるところから冷や汗と寒気を感じた。
これって、夢で見たやつ……だよな?
古新聞から目を離すと、不審者の男は車を手動運転に切り替えている最中だった。再び古新聞を読み返して見る。
この記事を読ませたかったのか……?
古新聞の全体を眺めてみるが他の部分は広告で埋め尽くされていた。
雑な構成だな。正規の新聞なのか?
半信半疑の気持ちを含めた視線を不審者の男に向ける。だが大して視線に気づくこともなく運転を再開し始めたので、俊は古新聞に隠れて深呼吸をすると、古新聞紙を丁寧に折りたたみ男につき返した。
「なんかわかったか?」
俊が聞かれたことに内心ドキッとしていると不審者の男は顎で新聞紙を後部座席に戻すように促す。俊は後部座席を見る。
どこにおけばいいんだよ……。
「適当に放り投げといていいですか?」
「あー」
不審者の男は言葉を濁した。そうして俊に向け手を差し出す。
「やっぱり俺が預かっとくわ。大事な資料だし」
大事なのにゴミ溜めに捨ててたのか。
俊は後部座席の状況をよそ目に不審者の男へ古新聞を手渡した。そのままコートの懐の中へと流れ込んでいく。
「それでもう一度聞くが、なんかわかったか?」
俊は青い世界を見ながら鼻を鳴らした。
「それよりも何でこの記事を見せたかのほうが気になります」
「ふむ、なるほど。それは言っといたほうがいいか。君なら何かわかるかと思ったんだ」
男の真剣な口調の答えに、俊は生唾を飲み込んだ。
堂々とした口調。嘘はないか……。
俊はため息をつき聞きたいことを聞くことにした。
「あなたは何を知ってるんですか」
不審者の男はその言葉を受け流し俊に尋ね返した。
「お前、今の記事の夢を見たことがあるか」
直球な質問に俊は思わずたじろぐ。俊の様子を確認すると不審者の男は合点がいった様に微笑んだ。
「やはり君は見たことがあるんだな、その記事の夢を」
「見たって言うならどうだって言うんだよ」
不審者の男の堂々とした態度に俊の口調はいつの間にか焦りを覚えていた。
すると不審者の男から真剣な表情が徐々に消えていった。そして失笑。
「いやぁ今までずっと間違ってないかなぁって警戒してたんだけど、俺の勘は間違ってなかったみたいだな。よかったー」
不審者の男のさっきまでとは雲泥の差を見せるホッとした態度に、俊は戸惑いを隠せなかった。俊の様子を見て男は含み笑いで言った。
「そう警戒すんなって、ちゃんと俺の素性話すからよっ」
さっきまでの男とはまるで別人のように軽いトーンの話し口調に、俊は拍子抜けする。
「あんた、一体……」
俊の困惑した言葉に男は楽しそうに答え始めた。
「俺はSA北東基地所属の山際武だ。『ESA特殊対策班』っていう警察組織の中でも『ESA』って言う輩の起こす特殊な事件を担当してる」
そうして山際はコートの肩に刺繍された「SA」と言う文字を俊に示す。
今までの頑な態度とは違い、あっさりと口を割り始めた山際の行動も認知できないほどに俊は呆然とした。
山際は俊の様子に首をかしげる。
「何だ? お前が知りたい情報を喋っただけだぞ?」
俊はハッとして突っ込みたくなった。
「じゃあ何で今まで口を割らなかったんだよ!」
「あー、それは君が『SA』かどうかを正確に判定することができなかったからだよ。もし正体をばらした時に、対象者が『SA』じゃなかったら、俺に処罰が下ってしまうからね」
俊は訳がわからずぽかんとした。
「話に水を差すようなんですけど『SA』って何ですか?」
「ああ、そうか。そういえば民間人には公表されていなかったな」
山際は思い出したように手を合わせて謝るようなポーズをとる。
「『SA』とは『special ability』、すなわち日本語で言えば『特殊能力』というやつだ。それを扱える人のことを我々は『SA』と呼んでいる」
民間人に公表されていない……? 秘密結社って言うことか……?
俊は自分の手を見た。そこから自分の身体を軽く叩いてみたりする。
その言動に今度は山際がぽかんとした。
「何しているんだ?」
「いや、能力者って言われても……俺能力なんて使えないんですけど……」
山際はその言葉に一瞬青ざめた。
俊は山際の一瞬色を失った表情を見逃さなかった。
もしかしてこの人……。
「間違えたんですか……?」
俊は恐る恐る訊ねる。
すると山際の顔から完全に色が消えた。さっきまでの笑顔がそのまま固まってしまっている。
運転中の横顔は、背景の青とあいまって印象的に生えた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今確認するから」
何の確認をするのだろう。
俊は再び手を閉じたり開いたりしてみた。
特に変わった違和感はないな、特別な能力が眠っている感じもしないけど……。
俊がそうしている間に山際は、再び運転席の傍にあるスイッチをいじりレバー式のスイッチ音を鳴らして車を自動運転モードに切り替えると、俊の座る助手席の前にある引き出しを開けて中から何も入っていないような薄いファイルを取り出した。ファイルの表表紙には「スカウトリスト」と書いてある。
山際は熱心にファイルの中をチェックすると、一枚の紙を抜き取りファイルは膝の上に置いた。取り出した紙を入念にチェックすると、山際は視線を俊のほうに向けた。
「俺、お前の名前チェックしてなかったよな。名前は……?」
山際の喉がごくりとなるのが聞こえた気がした。何故かこの緊張した空気に俊の手も汗ばんでくる。
もしここで名前が違えばどうなるんだ? 俺はこの時空間の中に放り出されて木っ端微塵になるのか?
「は、早く名前を言ってくれ」
山際は急かすように言うので、俊も喉を鳴らす。
どちらにしろ言わないと話は進まないし……。この人がそこまで残虐とも考えられない……よな……。誘拐したけど。
「風神俊、です」
さあ名前は言ったぞ。どうだ!
俊は山際の顔色を伺っていた。山際の顔に変化が見られない。
まさか間違っていたのか? じゃあここで木っ端微塵か?
俊は車窓を眺める。外の景色は相も変わらず純粋な青だけを示している。
少々の時間を置いて、山際は新たに質問を口にした。
「君は、あの記事の出来事を夢で見た人間なんだよな」
「ええ、そうですけど……」
「本当なんだな?」
山際の圧に俊がたじろぐ。
「そ、そうです。それだけは違いないです!」
俊がきっぱりと言い切ると山際は「そうか」とだけ言って、紙の表を裏返して膝の上に置いた。俊はモヤモヤとした表情を浮かべた。
「間違ってたんですか?」
山際は首を縦に振った。
え……?
俊は絶句し車窓を見る。
「俺どうすればいいですかね……?」
困り果てた笑顔を浮かべると、山際は深刻そうに首を横に振った。
「それはわからない、でも君があの記事の夢を見たというのなら俺の目的は達成されている」
「どういうことですか?」
俊は山際の深刻な顔に不安げな表情も含まれているのを悟った。
「さっき『SA』のことを言っただろう? あの『SA』というのは、さっき読ませた記事の夢を見たものだけがなれるものなんだ。少なくとも今は選定基準がそういう解釈になっている。いわば、あの夢は選ばれた者だけが見ることができるというものだ。大体夢を見たものは、夢を見る前に能力の前兆が現れ始め、夢を見た後には能力が身をもって現れだす。だが君には、そういったところはまるで無い様に見える。現に無いのだろう。だからこそ俺は不思議に感じたこれは前例が無いからな。でもまぁ、その夢を見ているのであれば、これから能力が発達してくるという可能性もありえるわけだし、ひとまず君をこのまま目的地に送り届けることはできそうだ。俺にとっては処分は確定で、また目的の人を探しに行かなければならないって言うデメリットしかないけど……」
山際はあからさまに自分の顔を引きつらせていた。
「その夢の影響で能力が現れるって言うのは、何か根拠でもあるんですか?」
俊の傷をえぐるような質問に山際は軽くため息をこぼす。
「それはすまないが俺にはわからない、根拠は今の時点では未解読なんだ。だがここ最近、『SA』に関する問題が増えてきている。いつかは、わかる日が来るかもしれないな」
なるほど……『SA』の問題が増えているということは他にも能力者がたくさんいるということだ。もしかしたらこれからすごい人たちに会えるのかもしれない。
俊はいつの間にか心の中がわくわくしていた。
「ところで、この車結局どこに向かってるんですか? ワープ軌道に乗ってからもう三十分越えてますよ? 従来ならの車ならもうすぐ六時間経ちますけど」
俊が車窓を見ながらにこやかにそう呟くと、山際は疲れきった笑みを含んだ表情を浮かべて言う。
「もうすぐ着くよ」
その言葉とともに車はワープ軌道を抜けた。抜けた先は一面緑色だった。
「森だ!」
山際は無邪気な声を出すのと同時に、車はそのまま降下していく。
これからどんな奴に出会えるのだろう。
俊は不安よりも興奮の感情を抱きながら、楽しそうに車窓をじっと眺めていた。