フォロワーツ湖 3
反射的に自分から出た「ただいま」という言葉に違和感を感じなかった。
サニヤが『ご主人様の書斎、ご主人様の生活空間』があると言っていた神殿なのだから、『ご主人様』である僕にとっては家と同じなのかもしれない。けれど、と、目前の青年を改めて見る。
身長は、僕より少し高いくらい。
180もはない、かな?
黒に近い茶色の短髪で、良さんみたいにわかりやすい美形でも、蒼記さんみたいな繊細な美少年でもない。平均的な、彫りも浅いし日本にいれば埋没出来そうな青年だ。
彼は、僕に、『いらっしゃい。そして、おかえり』と、言った。
その言葉の意味について考えていると、
「今日は、時間がないから手短に。この上の階の小部屋の鍵を今だけ開けてあるからそこに行ってもらえるかな?それと、俺に出会ったことは誰にも秘密にしてね。お願いだよ?」
その言葉を発すると目前の青年は一瞬で霧散するように消えていった。
「え?」
何が起こったのかわからず、自分の頬をペチペチと叩いてみる。
今のは、一体誰だったのだろう。
『いらっしゃい』と『おかえり』
その言葉は、ここが青年の家でもあるように感じさせられる。
そこから導き出される簡単な結論は。
「ご主人様の知り合い?か、家族?」
呟いてみたけれど実感が湧かない。
ご主人様としての記憶か欠片もないので推測でしかない。
一瞬、サニヤ達と同じ原始種族か、と思ったけれど、おそらく違うだろう。
確証はないけれど、今までに出会った原始種族から感じる存在感とは違う気がした。
考えたくはないけれど、存在感だけならば、白の領地で遭遇した女神が一番近い。と、なると青年も神なのだろうか?
『今日は、時間がない』と言っていたのだから、いずれ再会の機会もあるだろう。
ともかく、言われた通りに、上の階の小部屋に行ってみることにした。
裸足のままでペタペタと神殿の中を歩く。
ここは、外から見ている時には3階部分に見えた。
上への階段を探して周囲を見回すと壁際に梯子があるのが見えた。梯子を上って窓際にある小さな通路の突き当たりに扉があったので開けると階段があった。
1人きりでの探索に少し緊張したけれど、青年から悪意のようなものを感じなかったし、もしも、危険なら尚更、ラズリィーを巻き込む訳にはいかないので覚悟を決めて上りきる。
「ここかな?」
目視出来る扉が1つしかなかったので、その扉を押して開ける。
部屋は、書斎に比べるとかなり狭く、机1つがあるだけで他に何かを置ける余裕もない程だった。
その机の上に、封筒が1つ置いてある。
「これを、読めってことなのかな?」
飾り気のない、日本でよく見かけた茶色の封筒だ。
手に取って裏表を確認したけれど、宛名も何も書かれていない。
しかし、これしか部屋にないのだから、これは僕に宛てられた手紙なのだろう。
読んでみようと封を切ろうとしたけれど、素材は普通の紙のように見えるのに開けられない。
不思議に思いながらも裏表を何度も確認してみたけれどわからないので空間収納に放り込んだ。
後で、サニヤとリアに聞いてみよう。
そう決めて小部屋を出て元来た道を戻る。
青年に神殿内部まで引き込まれた場所に到着してから少し思案する。
今回は同行者が多い、しかも、椎名さんや蒼記さんがいるので書斎へ行くのは後日にしようと思っていたけれど、1人きりで神殿内に居る今は絶好の機会かもしれない。流石にゆっくり本の内容を確かめていたら誰かが不審に思って湖の中で僕を捜索することになりそうなので出来るだけ手早く済ませてしまおう。
そう結論を出して足早に階下のフロアへと足を進める。
見知った通路を通って目的の書斎の扉を見つけて少し安堵する。
そっと扉を開けて中へ入ると以前のまま変わらない書斎がそこにあった。
本棚を見渡してどの本を手に取るべきか少し躊躇する。
こういう時は、索敵と同じようにすればいいのだろうか。
迷宮内で索敵をする時のようなイメージを思い浮かべてみる。
今回の対象は生命体ではなく、必要な内容が記されている書物だ。
今、僕が知りたいことは、迷宮やそこに生息するモンスターのこと。そして、冬の巫女姫の封印解除方法、手に入ったばかりの謎の封筒の開封の仕方。
よりイメージを鮮明にしようと一度目を閉じる。
ぼんやりと脳内に位置情報が浮かび上がってきたので導かれるままに対象の書籍を手に取って空間収納へ放り込む。
読んで確認している時間はないだろう。
なんとなく、陸でリアが僕のことを探しているような気がした。
現段階の最低の目的は達成したので急いでみんなの所に戻ろうとしたけれど、入ってきた時のように外、神殿から出て水中への瞬間移動は出来なかった。
水中というのが曖昧なイメージだから失敗したのかな、と3回挑戦した所で諦めた。
不発を繰り返して以前のようにダウンするわけにはいかない。
仕方がないので急いで神殿内から洞窟通路を抜けて陸路に出る。そこで改めて陸の荷物を置いてある場所の近くに瞬間移動してみると今度は成功した。
陸だから成功したのか。
あの神殿内が特殊だったのか。
それも次回探索の課題にしておこう。
皆の視線を避けて再び水中に入る。いきなり陸に現れたら不審に思われるだろうから、そこそこ奥の方から陸に向かって水中に潜水しまま進んでいると途中、模擬戦の蒼記さんの見せたスピードの何倍もの速さで何かが過ぎった。
自分よりも大きなその影に、もしかして湖の主だったりするのだろうかとしばらく探していると再び影が近寄ってきて1m程手前でピタリと停止した。
「フブキ!大物獲れた!コレ、焼こう!」
マキちゃんだった。
器用に肉球の手で大きめの魚を抱いている。
「すごいね」
「ウム。今夜は魚パーティだ!椎名に焼いてもらう。フブキは訓練終わったのか?」
「まあ、今日はこれで終わりにしとくよ」
「じゃあ、戻るぞ!」
マキちゃんは、それだけ言うとまた凄まじいスピードで泳いで行った。
猫って、泳ぎが得意なのだろうか?
魚を椎名さんに焼いてもらうと言っていたけれど、まさか王族の女性にそんなことを丸投げするわけにもいかないだろう。サニヤとリアの面倒を見てもらっていた分、夕食は積極的に手伝いをしなければいけないな。
蒼記さんとラズリィーも、一緒に夕食を食べるだろうか?
出来れば少しでもラズリィーと一緒に過ごしたいな、と淡い期待を抱きつつ、僕はマキちゃんを追うように陸へと泳ぎ始めた。