フォロワーツ湖 2
可能な限り潜水して周囲を見回す。
頭上にはユラユラと気まぐれに遊泳する魚達、足元には砂が敷き詰められていて他には何も見当たらない。魚と砂、その他に唯一あるのは湖の中央に沈んでいる白い神殿だけだ。
朝から何度も潜水の練習を繰り返してこの光景を見る旅に違和感を感じる。
何か、何かが変。
自分の今までの常識とは色々違うこの世界だ。
僕が感じる違和感は、この世界の人にとってはごく自然なことなのかもしれない。
誰かに問いかけてみたくても、その違和感の理由がわからないから困っている。
胸の奥に引っかかるようなこの感じは、前にもどこかで感じたような気がする。
どこだっただろう。
水中を漂いながら首を傾げていたら急に右脇腹スレスレに何かが掠めた。
「うわっ」
思わず水中であることを忘れて声を出してしまい慌てて口で手を塞いだけれど口内に水が入ってくることはなかった。
それどころか、水中なのにハッキリと話せたし、自分の発した声を聞き取ることが出来た。
自分で、水中でも地上と同じように呼吸できるイメージで能力を構築したけれど、まさかここまで万能だとは思っていなかったので驚く。
「ボンヤリしてたら次は刺すよ?」
背後からの声に振り返ると蒼記さんが短刀を片手に揺れていた。
先程、脇腹をかすめていったのは彼だったようだ。
「って、ソレが刺さったら危ないですよ!」
模擬戦をする為に潜水したのはいいけれど、まさか武器を持ち出すとは思っていなかった。
「ん?26階層の練習なんでしょう?この刃先が掠める程度の傷は覚悟しないと」
「イヤイヤイヤ!最初はソレ仕舞ってくださいよ!最初から本気で来ないでっ」
訓練なのだから段階を踏んで欲しい。
僕のそんな願いを蒼記さんは、笑顔で拒絶する。
「本気でやらないと訓練にならないよ。大丈夫。致命傷になったらラズに治療して貰える権利をあげるから」
そう言うなりこちらに向かって突っ込んでくる。
泳いでくる、ではない。突っ込んでくる、だ。水中とは思えない速度で迫ってくるのを急いで避ける。
ラズリィーに看病して貰えるのは嬉しいけど、致命傷って前提が嫌だ。
「ちょっ。速いっ速いよっ」
「ご希望通り同じ程度のスピードだけど?」
僕の苦情を聞きながらも休みことなく真っ直ぐに迫ってくる。
どうやら最初の宣言通り、26階層の鮫のスピードを模倣してくれているらしい。それが、想定していた速度よりも速かっただけのことだ。
ぶっつけ本番で挑まなくてよかった、と内心安堵しつつも必死で攻撃をかわす。
「あはは。まだまだ行くよー?」
愉しげな蒼記さんの声を聞きながら必死で逃げ惑う僕。
ねえ、ちょっと本気で愉しんでませんか!?
それでも刺されたくはないので止まることも出来ずに水中を右から左へ上から下へと大移動。
どのくらいそれを続けていたのか、ふと、蒼記さんの攻撃パターンが限られていることに気が付いた。
下から上への突き上げはあるが、上からは急降下してこない。
横から突進してくる時も、途中で僕が気付いて横移動しても軌道修正せずに真っ直ぐ突っ込んでいく。
これは、もしかすると、本当にモンスターの行動を模倣してくれているのだろうか。
ならば、どうにかして攻撃に出て驚かせたい。
相手を蒼記さんだ、人だと思うから駄目なんだ。
まだ見たことはないけれど、魚類なら姿の基本は同じだ。
あれは、魚。鮫。
鋭い牙を持って真っ直ぐに突っ込んでくる鮫だ。
避けることが出来るのだから、すり抜けるその瞬間に胴体に体当たりすることだって可能なはずだ。
本当にモンスターなのであれば、こちらも得物を持ち出すところだけれど、あくまで模擬戦。
僕は覚悟を決めて慎重に蒼記さんの動きを見ながらチャンスを待つ。
幾度目かの猛攻を避けて丁度、僕が上方に位置取りをする。
そうなると必然的に下からの突き上げ攻撃がきたっ今だ!
僕は、ギリギリの距離で少しだけ身を捻り攻撃をかわして、上へと進んでいく蒼記さんの胴体にしがみついた。
「やった!捕まえた!」
本番は、そのまま胴に短剣を突き刺してトドメを刺すつもりだ。
「あらら。捕まっちゃった」
蒼記さんは、特に慌てる素振りも見せずにスルリと僕の拘束から抜け出した。
「思ったよりちゃんと考えてるみたいで安心したよ。これなら一緒に迷宮に行っても楽しめるかな」
「ありがとうございます」
蒼記さんは、言葉通りに26階層のモンスターにあわせた動きをしてくれた。
自分が同じことを出来るかと言われると自信がない。
人ってあんなスピードで泳げるのか。
先程までのことを思い出して改めて驚く。
これは、彼の素の身体能力なのか、それとも何かの能力で補助しているのだろうか。
どちらにしても、戦闘熟練度という意味では圧倒的に上なのは間違いない。
一般的に人が長年努力して研鑽を積むようなことを僕の異端がいとも簡単に行使出来る。だが、それは使う側の正しい理解と認識が必要なことを改めて思い知る。
350階層到達の為には、もっと経験が必要なのだと実感する。
そういう点では、シノハラさんや暮さんだけではなく、蒼記さんに迷宮攻略同行を求めた良さんは正しいのかもしれない。
「さて、攻略の道筋はついたみたいだし、ボクと一緒に行くまでには30階層くらいまで進んでおいてね?濡れるのは好きじゃないから。じゃ、先に上に戻るね」
蒼記さんは僕の返事を待つこともなく浮上していった。
濡れるのは好きじゃない。
その言葉をどう受け止めればいいのだろう。
本当に言葉通りの意味なのか、26階層から29階層までは水中ゾーンであるということなのか。
あるいはその両方なのかもしれない。
いずれ一緒に迷宮で過ごす時間もある、ゆっくりと彼を知っていければいい。
現段階で、自分からラズリィーとの婚約の真意について言葉にしても適当にあしらわれて終わってしまう気がする。
それに。
予想外に今日は一緒に過ごせることになって(しかも水着姿まで見れた)浮かれていたけれど、今は自分の初恋よりも、迷宮攻略の方が優先事項だ。
「覚悟を決めないと」
自分を鼓舞するつもりで言葉に出して神殿の方を見ると、内部に人影が見えた。
今日は、観光客か近隣の子供が中にいるのかな、と考えたが違和感を感じる。
何かがおかしい。
内部に人がいるのは、別に不思議なことではないはずだ。
横泳ぎしながらグルリと周回ながら改めて神殿を観察する。
目前には閉ざされた入り口がある。
その裏側は陸にある洞窟につながっていて・・・。
あれ?
改めて神殿の裏側を見る。
しかし、ない。
何度見てもない。
洞窟と繋がっているような場所が、なかった。
自分の記憶が正しければ洞窟をかなり奥まで進んでいったので、距離感的には間違っていない。
そして、突き当りの扉を開いて中へはいったはずだ。
その扉と、洞窟との接合部分がない。
つまり?
原始種族の塔や、迷宮の階層移動のように、まったく別の場所を繋げている。
もしくは、あの日、僕達が1階だと思っていた部分は地下だった?
窓から外が見えたとしても、それすらも何かの仕掛けかもしれない。
僕は、吸い寄せられるように神殿へ近付いていった。
そして、内部にいる人物がハッキリと男性だとわかる程の距離になった時、相手と視線が合った。
どこにでもいそうな平凡な茶髪の20代後半くらいの男性だ。
目が合って戸惑う僕に向かって彼は右手を軽く上げてヒラヒラした後で、手招きするような仕草をした。
もっと近くに寄れってことだろうか?
彼との間を隔てる窓ガラスに近付き手を触れた瞬間、内部からニュッと手が伸びてきて次の瞬間には、僕は神殿の内部にいた。
「いらっしゃい。そして、おかえり」
初めて会うはずの青年が、優しい口調で僕にそう言った。
そして、僕も自然に、
「ただいま」
と、返していた。