運動場での一時
「プールだと深度が浅いから、フォロワーツ湖で練習したらいいんじゃないか?」
今日もちゃっかり現れてオヤツのドラ焼きを頬張っているマキちゃんが提案してくる。
「ついでに魚も獲れば狩りの練習になるし」
26階層が水中戦であることを考えれば妥当な提案なのだろう。
しかし、僕は騙されない。
「本音は?」
「戦果を美味しくいただく」
「やっぱり」
悪びれる様子もなくアッサリと答える。
「魚!?私も食べるわ!」
サニヤも嬉しそうに右手を挙げて賛成の意を示してくる。
食いしん坊ペアはぶれない。
「練習になるのは間違いないし行くのはいいけれど、中院公爵に許可取ったほうがいいのかな?」
「フム。一応、甲斐から連絡してもらっておくか。いついく?」
「出来るだけ早い方がいいかな」
良さん経由でシノハラさんと暮さんに再会するまでに出来るだけのことをしておきたい。
「じゃー、甲斐にそう伝えておくー」
「よろしく」
マキちゃんに中院公爵への連絡を頼んでオヤツ休憩を終えた後、僕は柴犬たちを連れて運動場へ行く。
勿論、サニヤとリアも一緒だ。迷宮へ柴犬たちを連れて行かなかった分、一緒に走ったり遊んだりして過ごす。
属性獣である柴犬たちが日本のペット犬と同様に扱ってよいのかわからないが、動物なのだから運動の時間は必要だろう。
走った後は、床に座ってブラシで毛並みを整えてあげる。
初めてブラシをする時は、野生の獣なので嫌がられるかな、と躊躇したけれど、実際にやってみると抵抗もなく受け入れられた。むしろ、とても好評のようで並んで順番待ちをする程だ。
その順番も決まり事があるらしい。
最初は気にも留めていなかったのだけれど、ある日、迷宮から戻った後、部屋でブラシをかけようと何気なくその日、同行した大地の背に手をやると、スルリと逃げられたのだ。今まで一度も拒絶されたことがなかったので驚いていると、横から海が鼻先で自分にしろと主張してくる。不思議に思いながらも海をブラッシングしていると、大地は待機列の一番後ろに並んだ。
もしかして、と思って毎回、注意深く見ていると、迷宮へ同行した者は一番最後に並ぶ。他にも並ぶ順序に細かい意味があるようなのだが、未だに詳細まではわからない。わからないので、彼等が並ぶ順番で受けれることにしている。
すっかり柴犬の面影も消えうせ、一角獣のような神々しい角と白い毛並みになった灯の後ろ足部分にブラシをいれていると背後から、きゃっという声が聞こえた。
「ちょっと!私はあんたたちの同属じゃないわよ!やめてっ」
何事かと思って振り返ると、リアが疾風に首元を咥えられて宙にぶら下がっていた。
「なんなのー!」
リアは手足をバタつかせてご立腹だ。
それでも、疾風が元気なところを見ると本気で抵抗しているわけでもないようなのでジャレ合いの範疇なのだろう。リアがその気になれば、ちょっとお食事をするだけで簡単に終わってしまう。
そのことを考えれば、圧倒的上位種であるリアと普通に接している柴犬たちは勇気があるな、と少し感心した。
リアのことは疾風に任せておくことにして、僕はブラッシングの続きを再開しよう。
「もーっ!ご主人様ったら酷いわ!」
一通りブラッシングが終了した後で、リアから苦情を言われる。
「ゴメンゴメン。ジャレ合ってるんだと思ったんだよ」
どうやら、リアが僕の所へ向かうのを疾風が止めていたらしい。
新参者は、最後だろ?ってことだろうか。
リアが見た目が子犬だけれど、本当は犬ではないので必要ないかと思っていたけれど、火山がブラシを咥えて僕に促してくるので試しにやってみることにした。
「ほーらー、リア、膝の上に乗ってー」
流石にリアは小さいので膝に乗せないと難しいだろう。
「?なあに? ひゃっ」
素直に乗ってきたリアの背中にそっとブラシをかけると、小さな悲鳴をあげた。
「いや?いやならやめるけど」
「驚いただけよ。まさか、犬の気持ちを味わう日が来るとは思っていなかったわ」
「犬の気持ちって、あはは」
どうやら嫌悪感はないようなので続行する。
こういう何気ない穏やかな時間は大切だな。
良さんとの熱愛報道の時もお世話になった。
アニマルセラピーって効果あると思う。
まったりとした一時を過ごしていたら、キィィと運動場の扉の開く音がした。
他の使用者が来たのかな、と入り口に視線を向けると、非常にセクシーな大人の女性が立っていた。
30代前半くらいだろうか、少しウエーブのかかったはニーブロンドのロングヘアで、薄いオレンジの七部袖のシャツと膝がギリギリ隠れる程度の紺色のスカートを履いている。
何より目を引いたのは、お胸様だ。
テレビやグラビアでしかお目にかかったことがないような豊かな主張がそこにあった。
余りそこに視線を向けては失礼だとは思っても、つい見てしまう。
今までの人生で見てきた中で、一番のボリュームだと思う。
凄いなー、と思っていたら、女性はこちらに向かって片手を挙げて声をかけてきた。
「もしかしてー、キミが吹雪くーん?」
まさか、自分に用のある人だと思っていなかったので少し驚く。
侍女服も着ていないし、王族の人か、その関係のお客様だと思っていた。
「そうです。僕です!」
距離が少しあるので僕も少し大きめの声で返事をすると、彼女は軽やかに此方へやってきた。
「よかった。部屋にいなかったから。始めまして!私は椎名。キミが女帝の国へ行く場合に一緒に行く予定だったって言えば通じるかしら?」
「え!あ、はい。良さんの娘さん、ですよね?」
やはり王族の人だったか、と改めて近くで顔を見ると、流石、良さんの娘さんだからか、綺麗だ。
睫毛が長くて目力が強い。
女性らしい柔らかさはない代りに色気が溢れている。
遠目でも自己主張していたお胸様が、近くだと物凄い存在感を放っている。
国中の独身男性からのアピールが凄いことになっていそうだ。
よかった、ここに人目がなくて。
いらぬ嫉妬で刺されることになりたくない。
そんな僕の思いを打ち砕くように椎名さんが言葉を続けた。
「そう、それで、さっきマキちゃんに聞いたんだけど、魚獲りに行くんでしょ?私も一緒に行っていいかしら?」
「え?」
まさかの提案に驚く。
マキちゃん、魚はあくまで水中戦闘訓練のついでだよ?メインじゃないよ?
「駄目?一応、蒼記君からはオッケーもらったんだけど」
おねだりの視線を向けられて数歩後ろへ後ずさる。
困ったな、という風なその表情に蒼記さんのような反応を楽しんでいる素振りはなかった。
本人は自分の性的な魅力というものを理解していないのかもしれない。
そんなことがありえるのだろうか?
良さんや蒼記さんを筆頭に、魔族の人は美形が標準装備のようだから、美しくて当たり前なのだろうか。
その考察は、今は横に置いていくとして、どうやら彼女は一緒にフォロワーツ湖に行きたいようだ。
蒼記さんの許可もすでに出ているようだし、僕としては断る理由も特にない。
むしろ、マキちゃんとサニヤの魚獲りの相手をして貰えるなら助かるくらいだ。
座ったままで返事をするのはどうかと思ったので立ち上がって、
「よろしくお願いします」
と、言うと、彼女は無邪気に喜んで、
「よかった!じゃあ、当日はよろしくね!」
とだけ言うと、じゃあ、またね!と慌しく運動場を出て行った。
予想外な所から同行者が増えたけれど、その時の僕はマキちゃんとサニヤのお守りをして貰えることに気をとられていて、あることをすっかり失念していて当日大いに後悔したのだった。