夏季休暇 16
突然のマーカスの申し出に僕は持っていた木の実を危うく落とすところだった。
周囲の様子を窺うとアディは咽そうになって口元を手で覆っていたし、ラッテは落としたらしい木の実を慌てて拾っていた。
「いいよー。ちなみに、決め手は何だったのか聞いていいかな?」
良さんだけが平常運転でにこやかに会話している。
マーカスは暫く逡巡した後で、
「王城内の庭はどこもすべて素晴らしいです。配置、樹木の健康状態まで計算された美しい運営だと思います。純粋に、勉強しに弟子入りしたいと思いました。でも、この温室は・・・その、今までの庭園と違って遊び心というか、計算された美しさではなくて見ている者の気持ちを暖かくするような優しさを感じました。高度な技術も大切だと思います。けれど、俺・・・いえ、私が目指しているのは住人の心の安らぎになるような庭作りなのです。そういう点で、この温室の管理者であるお嬢さんにとても関心を持ちました」
言葉を選ぶように良さんに理由を話した。
僕には外の庭と温室の違いが余りよくわからなかったけれど、プロを目指す者の目から見た確かな違いがあったのだろう。
良さんはニコニコしている。
「それは彼女に伝えても?」
「はい。交際するかは実際に会ってから考えて貰えれば良いので、まず一度、私を見ていただきたいと思います」
どうやら、マーカスの中では会っていもいない庭師のお嬢さんと交際する覚悟が出来ているようだ。
これは、恋と言っていいのだろうか?
仕事ぶりに惚れこまれて交際を申し込まれても、僕だったら困惑しそうだ。
しかし、職人には職人同士の考え方があるのかもしれない。
「はい。確かに。その心意気受け止めました。出来るだけ早くに二人で会う場を設けることにするね」
良さんはアッサリ頷いた。
本当にいいのだろうか。
僕は、迷宮で戦うマーカスしか知らない。
勿論、心根の悪いヤツだとは思っていない。
しかし、どこに住んでいるのかも、庭師だという親の仕事振りもわからない。
そんな相手の申し出を王族専属の庭師のお嬢さんが受け入れるだろうか。
僕の小さな不安を他所にマーカスが良さんに頭を下げた。
「よろしくお願いします」
唖然と経緯を見守っていた僕達だけれど、話が纏まってしまった以上、部外者が余計なことは言えない。
なるようになるさ。
僕は早々に考えることを放棄して木の実を食べることを再開した。
皆で木の実を食べた後、水道で軽く手を洗って温室を後にする。
次は、王城の中へ入ることになった。
しかし、ここに来て僕も若干緊張してきた。
いつも自分の部屋へ向かう時に使う道は、貴族や他国の賓客が登城する順路ではなくて使用人が主に使う道なのだ。
入った場所にしか入れないというゲーム内の特性上、身内が使う順路を使わせるわけにはいかないのだろう。正門から真っ直ぐに城へと入っていく。
巨大な玄関ホールに敷き詰められた高級そうな朱色の絨毯がお城だ!と強烈に印象付けてくる。
高い天井、真っ直ぐに続く廊下。
等間隔に配置された絵画やツボなどの美術品。
そのすべてに圧倒的存在感がある。
「さて、舞踏会に使うホールはこっちだよ」
良さんに導かれるまま歩いていくと大きな扉の前に到着した。
恐らく現実ならば兵士さんが両脇に立っているであろう扉。
「ラッテお嬢様。お手をどうぞ」
良さんがラッテに向かって手を差し伸べる。
さすが王族というべきか、元々美形なだけあってスマートで格好いい。
「あの・・・よろしいのでしょうか」
ラッテが戸惑ってモジモジしている。
「遠慮しなくていいよ。女性をエスコートなしで会場入りさせるなんて出来ないよ」
そう言って優しくラッテの手を取ると自分の腕に掴まらせた。
いつもは元気なラッテが頬を染めて嬉しそうにしているを見ると、女の子だなーと思った。
僕もいつかラズリィーをエスコートして舞踏会へ出席することがあるだろうか。
いや、ないな。
一瞬で現実に引き戻された。
ラズリィーをエスコートする役目は蒼記さんのモノだ。
僕じゃない。
チクリとした胸の痛みに、これはいよいよ気のせいではないのかもしれないと思い始める。
いくら女性の知り合いが少ないからといって、ことあるごとに思い浮かべるのはラズリィーのことばかり。
多分、僕はラズリィーが好きなんだ。
そう考えただけで、何だか胸の辺りが暖かいような苦しいような感覚がした。
だからと言って恋人になりたいかと問われると難しい問題だ。
蒼記さんのことも、冬の巫女姫のこともある。
それに、偶然とはいえ、彼女の目を治した相手である僕が交際を求めたら、きっと断りにくい。
そう思うと、しばらくは今のままの状態でいるのがベストだと思う。
色んなことが終わって、僕も自分で生活出来るように自立して、いつか自然に彼女に好きだと言ってもいいな、と思える日までは自分の胸の内にしまっておこう。
良さんにエスコートされて会場内へ入っていくラッテを見送りながらそう思った。
巨大なシャンデリアに照らされた豪華絢爛な舞踏会会場の真ん中で、ラッテが良さんと踊っているのを暫く見つめていたら、いつの間にかアディとマーカスも踊っていた。
ちなみに音楽はない。
アディとマーカスは、時々、男女役を交代しながら良さんたちを手本に恐る恐るという感じでステップを踏んでいる。
あれは、一体なんだろうか。
「何で2人まで踊ってるの?」
2人に声をかけたら、
「練習だよ!」
「もしかしたら、踊る機会があるかもしれないだろ!」
という返事だった。
なるほど。
アディはともかく、マーカスは王族専属庭師のお嬢さんとお見合いをするわけだし、踊りくらいは踊れたほうがいいのかもしれない。
「礼儀作法とか興味あるなら、今度僕と一緒に講義受ける?」
思いつきで提案すると、
「いいの!?」
「それ王宮の礼儀作法!?」
と、思ったよりも食いついてきた。
「いつも1人で寂しかったし、良さん、構いませんよねー?」
そう良さんに声をかけるとラッテを華麗にリードしながら、
「そうだねえ。礼儀作法だけならいいよ。さすがに吹雪君の部屋は不味いから、4人が来るときは庭の、さっき通ってきた広場辺りでなら構わないよ」
と、この場にいないナーラの分も人数に入れて返事が来た。
庭の広場を思い浮かべると、小さな休憩所があって座って講義も出来るし、歩き方や礼の実技も確かに出来そうだな、と思った。
でも、何で僕の部屋は不味いんだろう?
しかし、駄目だというのなら案内するのはやめておこう。
「ありがとうございます。って言っても、僕が王城に戻るのは2週間くらい後になるけど皆大丈夫なの?」
「あー。俺たちは少し遠い所に住んでるから、日程は親と相談してからかな」
「そうだなあ」
どうやら彼等は城下町周辺に住んでいるわけではないらしい。
それもそうか。
それでも迷宮で遊んでいることを考えると一度は来たことがあるのだろう。
ゲーム内で現実の情報をこちらから聞くのは失礼かな、と思って詳細を聞くのはやめた。
「日程が決まったら連絡してね。僕、門の前で待ってるし!」
「おう」
「楽しみだなー」
マーカスが浮き浮きした様子でステップを踏んだ。
礼儀作法の講義だよ?
本当に楽しみなの?
僕は心の中でツッコミをいれずにはいられなかった。