憂鬱な午後と夏季休暇
翌日、なんだか重い気分で目覚めて朝食をなんとか胃に流し込み、午前の講義を受ける。
講義中は、いつもよりも集中して話を聞いた。
他所事なんて考えるよりも講義に没頭している方が気が楽だった。
午後からは、運動場に柴犬たちを連れて行って走る。
ひたすら走った。
あえて体力回復の能力を使わないで自分の素の体力を酷使した。
それでも、2時間は走り続けれたのだから、地道に体力がついているようで少し嬉しい。
3時になる頃にはサニヤが空腹そうな表情をしていたので部屋に戻る。
丁度、侍女のアマリカさんがオヤツを持ってきてくれる頃合だ。
部屋に戻って柴犬たちに水をあげているとアマリカさんがオヤツを運んできた。お礼を言って受け取ってテーブルに置く。
「お茶入れるね」
「うん、お願い」
サニヤはお茶の用意をすると僕の隣に座る。
今日のオヤツは、フルーツジャムとクリームがたっぷり添えられたスコーンだった。スコーンってお菓子の中では食べ応えがある方で僕は好きだ。
ジャムを塗って頬張る。
甘すぎなくて美味しい。
美味しいのは幸せ、のはずなのに。
はぁぁぁぁ。
僕は長いため息をついた。
駄目だ。
良さんと熱愛疑惑報道されたことが地味にキツイ。
別に良さん本人が嫌いとかそういうわけではないのだけれど、勿論、恋愛感情ではないわけで。
思い起こせば、小学生の頃、クラスでもリーダー格だった男子が幼馴染の女子と噂を立てられて周囲に囃し立てられた時、本人達が必死に弁解するのを、別にムキになって言い返さなくてもいいのに、なんて思ったことがあった。
自分が当事者になってわかる。
なんか、キツイ。
「吹雪?」
僕の様子がおかしいのを察したのか、サニヤがスコーンを食べるのを止めてこちらを窺ってくる。
「なんでもないよ。早く食べないとマキちゃんが来て獲られちゃうよ」
僕がそういうとサニアヤはハッとした表情をして再びスコーンを食べ始める。
サニヤに心配かけちゃ駄目だよな。
平常心、平常心。
オヤツを食べたら運動の疲れと満腹感で睡魔がやってきたので逆らわないで昼寝をすることにした。
ベッドに入って目を瞑ったらすぐに意識がなくなった。
コンコンというノックの音で目が覚めた。
「はーい」
返事をしながら時間を確認すると夕方の5時。
夕食には少し早いし誰だろうと思っていると、甲斐さんだった。今日はマキちゃんは一緒じゃないようだ。
「おかえり、笈川君。白の領地はどうだった?」
「ただいまです。うーん、学校体験に行ったのは楽しかったです。って、そっちじゃないか。ええと、残念ながら成果はなかったです」
僕は、甲斐さんと向かい合わせになるように座る。
サニヤは、珈琲を入れるために簡易キッチンでお湯を沸かし始めているようだ。
甲斐さんは、いつものように穏やかに微笑んだ。
同じ落ち着きのある微笑みでも、やはり甲斐さんからは危険信号を感じない。
「笈川君が楽しんでくれたのなら何よりだよ」
「いえ。お世話になってるのでやるべきことはやるつもりです」
「あはは。あまり気負い過ぎない様にね」
サニヤが珈琲を運んできて僕の隣に座る。
元々口数が多いほうではないサニヤは、僕以外の人がいると余計に寡黙になる。
まあ、蒼記さんに言ったみたいなことを言い出すよりはいいのでそっとしておく。
しばらく近況報告をした後で今後の予定について相談してみる。
「戻ってきてまだ一度も良さんと会ってないから予定が決まらないんですよ」
「ああ、それだったら明日には戻ってくると思うよ。残るは灰の領地と3領地に属していない小国くらいだね」
「冬の祭典へ間に合わせることを思ったら祭典前に灰の領地へ行くのもアリなのかな?」
3領地に属していない小国は、治安が悪そうなので出来れば最低限の護身術を身に着けてから挑みたいのが本音だ。シノハラさんにお世話になってばかりもいられない。
甲斐さんは少しだけ思案した後で、
「サニヤさんがいれば灰の領地で危険なことはないだろうから行っても問題はないと思うけれど、『落ち人』の学生は夏季休暇の時期でもあるだろう?少し休んでもいいと思うよ」
と優しい声で言った。
夏季休暇。
そういえば夏休みというものがあった。
ここに来る前は、人より早い夏休み中だった。そう思うと時間が経過するのは早い。
「こっちの学生は夏季休暇ないの?」
「制度としてはないね。単位制が多いから、働きながら休日に学校へ通う人もいるし。士官学校だけは別だね。全寮制だから、帰省名目で長期休暇期間を設けることもあるよ」
「へー」
何故だか一番通いたくない士官学校が一番日本の学校と同じような仕組みだ。
しかし、夏休みをもらったとしても本当にやることがない。
午前の講義をなくしたら、遊びに行く友達もいないし、何をして遊べばいいのかわからない。
「甲斐さんは長いお休み貰ったら何するんですか?」
軽い好奇心で聞いてみた。
甲斐さんは、うーん、と少し考えてからこう言った。
「家の片付けかな?」
「なんか、フルタイムで働いてる奥さんみたいですね」
「あはは。まあ、基本的なことは執事長に任せてあるけれど、やはり自分でもある程度は確認しないといけないからね」
執事長。
何だか久しぶりに貴族らしい単語を聞いた。
そういえば、こちらに来てすぐの時に泊まったのはマキちゃんの家で甲斐さんの家ではなかった。
呪いで猫になっているマキちゃんの家だから使用人がいなかったのだろうか。
「甲斐さんの家には執事さんがいるんですね」
「代々使用人として使っている家だからね、屋敷も大きいし仕方がないね」
甲斐さんが肩を竦める。
どうやら本人は特別使用人を必要とはしていないようだ。
部屋の掃除か。
自分の部屋を見回す。
間借りしている部屋なので汚さないようにしているし、部屋を留守にしている間に掃除されているようなので自分で出来そうなことはない。
「僕は休みを貰っても何していいかわからないし、うーん」
「ああ、それならマキと水川伯爵家に行ってみるのはどうだい?確か、中院公爵家でそんな話になったって聞いていたと思ったけど?」
「水川伯爵・・・?あ、ああ!あのお菓子の人!」
そんな思い出し方をするのは失礼かも知れなかったけれど、直ぐに頭に浮かんだのはお菓子のことだったので仕方がない。マキちゃんとサニヤほどではないけれど、僕だって美味しいお菓子は好きだ。
「そう。神魔族の土地は広大な湖があって夏でも涼しくて良い場所だしね」
大きな湖と聞いてフォロワーツ湖と水中神殿のことを少し思い出した。
まさか、また水中神殿があったりはしないよね?
チラリとサニヤに視線を向けたけれど、特別何の反応もなかった。
本当に夏休みが貰えるのなら行ってみるものいいかもしれない。
マキちゃんが言っていたキラッキラな妖精の羽を持つ一族。
そして、美味しいお菓子。
「良さんが戻ってきたら相談してみます」
僕がそう言うと甲斐さんは嬉しそうに微笑んだ。