総合調理師専門学校 2
午前中の授業が終了したのが午前10時だった。
「では、講義はここまでにして皆さんは実習の準備をして下さい。10時15分に中庭集合です」
マグニット先生がそう言って教室を出て行った。
他の生徒達も各自メモなどを片付けながら一息ついている。
この後、昼食である『ビューの煮込みシチュー』の調理実習に入ることを思えば少し早いけれど、そんなものなのかな、と思っていた。
煮込みシチューなのだから、調理時間を長めに設定しているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、隣の席に座っていた同じくらいの年齢の兎耳の生えた少年に声をかけられた。
「ねえ、笈川君だっけ?実習の準備は大丈夫?」
「うん?特別なにも用意しなくて良いって言われてたから調理器具は持ってきてないよ?」
調理師専門学校なのだから、校内に器具はたくさんあるだろうと思って筆記用具しか持って来ていない。良さんから借りている『魔剣クリスタルシュガー』は一般生徒の中でぶら下げて歩くには物々しいだろうと思って空間収納の中に入れてある。
「調理器具じゃなくて、武器だよ?笈川君は格闘タイプっぽくないけど素手で戦うつもりなの?グレートビューは素手は危ないんじゃないかな?」
兎耳少年がキョトンとした表情で聞いてくる。
彼の言葉を聞いて僕も目を丸くする。
「え?これから調理実習じゃないの?」
「え?調理実習の前に、素材収集実習だよ?」
僕の驚きに相手も驚きの声をあげる。
慌てて後ろに立っているシノハラさんを振り返ると意地悪くニヤニヤと笑っている。
あれは知っていて黙っていた表情だ。
まさか、調理師の学校で素材を狩る実習があるなんて思っていなかった。
しかし、よく思い返してみるとデンザーさんが実力のある料理人なら迷宮25階くらいまでは行けるという話をしていたような気がする。王宮料理人を輩出するような学校だ。素材収集も学業のウチなのか。
ようやく合点がいって僕は兎耳少年に補助アイテムを見せながら、
「ごめん。聞いてなかったから吃驚しちゃった。コレがあるから大丈夫だよ」
「あ、補助アイテム持ってきてるなら大丈夫だね。狩りは経験あるの?」
「うん。少しだけだけど。でも、皆と一緒に狩りをするのは初めてだからよろしくね。えーと・・・」
そういえば相手の名前を知らないことに気がついた。
兎耳少年も名乗ってなかったことを思い出したのか頭上の耳をペタンと伏せながら、
「あ、名乗りもせずに話しかけちゃってゴメンね。俺は、カルスだよ。よろしく」
「カルス君。よろしく」
「俺のことはカルスで良いよ。笈川君のことも吹雪って呼んでもいい?」
カルスが人懐っこい笑顔で聞いてくる。
僕が武器の用意をしないことを心配して声をかけてくるくらいだ、気さくな性格なのだろう。
久々に年の近そうな相手と会話できて嬉しかったので名前呼びを了承する。
「吹雪でいいよ。カルスはこの学校にどのくらい通ってるの?」
「俺は、もう3年目だよ。実は素材収集が苦手で」
と、肩を竦ませる。
確かに、カルスはお世辞にも鍛えられた体格ではなかった。僕と同じくらいの平凡な少年らしい体型だ。そこに兎耳がある分、幾らか客観的にも弱そうに見えた。
まあ、実際には兎って結構強いんだよね。
小学校のウサギ小屋で鳩尾に兎キックをお見舞いされた苦い思い出がある。
「皆で一緒にやれば怖くないよ。先生もいるし頑張ろうぜ!」
「そうだな。そろそろ中庭へ行こうか。置いてかれたら大変だ」
「うん」
僕はカルスと雑談をしながら中庭に向かう。
いつのまには同じ教室にいた面々も中庭に集合していたようだ。
それぞれ武器のようなものを持っている。
剣、斧、弓はまだわかる。中には出刃包丁を持っているヤツもいた。
調理器具は武器にしちゃいけないと思うけれど周囲が何も突っ込まないので僕も何も言わない。この世界では普通のことかもしれない。
カルスは弓を持っていた。
170cmはあるだろう、かなり大きな弓、ロングボウというヤツだろうか。
防具に関しては皆驚く程に軽装だ。
ほとんどの人が講義の時と同じような普段着だ。若干名、簡素なサポーターのようなものを肘や膝につけている人もいたが獣を狩りにいくような格好には思えなかった。
そんなことを考えている僕自身も普段着のままだ。
迷宮に1人で行くようになってしばらくは防具について考えたこともあるけれど、補助アイテムで防御系の能力を付与した方が重い鎧を着るよりは効率的だと思ったので断念した。
王城の衛兵さんたちは鎧を着ているから、この世界でも鎧は存在していると思うけれど防御系の能力を持っていない学生はどうするのだろうか。カルスに聞いてみると、
「俺たちは調理師を目指してるからな。兵隊や狩人と違ってあくまで素材を獲るのが目的だから鎧は使わないよ」
という返事だった。
調理師のプライドというものだろうか?
それで怪我をして調理できなくなれば本末転倒な気もするけれど、学校の指導の下で経験を積めばある程度は大丈夫なのかもしれない。先程の講義でもミッチリとグレートビューの生態について習った。その復習も兼ねて美味しい部位に傷をつけないように狩ることも勉強なのだろう。
「そっか。ところで、どこまで狩りに行くの?余り遠い場所だとお昼ご飯が遅くなっちゃうよね」
まさか黒の領地の王都にある迷宮ではないだろう。
大抵は、午後から夕方までしか篭っていなかったとはいえ、今まで学生の団体には一度も遭遇していない。距離的な問題は転送陣があるのであまり関係がないだろう。
「どこって、食卓の迷宮だよ」
「食卓?」
「あれ、調理師の学校に体験に来るくらいだから知ってると思ってたけど」
不思議そうな表情で僕を見るカルスに僕は苦笑しながら、
「いやー、最近急に料理に目覚めて」
と言った。
嘘ではない。
しかし、自分が『落ち人』でこの世界の常識をほとんど知らないことについてはあえて触れないでおいた。
カルスは僕達学生の集団から少し離れた所にいるシノハラさんに少し視線を向けた後で小声で僕にささやいた。
「もしかして、吹雪って大貴族だったりするの?あの人護衛だよね?」
「あ、あははー。そんな立派な生まれじゃないよ。あの人は、一応保護者代わりだから」
「まあ、詮索しないでおくよ。俺は一緒に料理が出来ればいいし」
「それは僕もだよ。がんばろー!」
「おー!」
僕達は2人で拳を上に突き出して気合の雄叫び(声量少な目)をあげた。
カルスはどうやら僕の貴族のお坊ちゃまだと勘違いしたようだ。
まあ、苗字がある時点でこの世界では貴族ですと名乗ったようなものなのだけれど、かなり格上の貴族を想像しているようだ。
なんでだろう?
僕は不思議に思いながらも先導するマグニット先生について迷宮への転送陣の間へと歩き出した。