総合調理師専門学校 1
翌朝、かなり早い時間に眼が覚めた。
杉浦さんと庭の鯉に餌をやって、朝食を食べた後、平島さんの運転する車で送ってもらった。
申し込んだ学校体験する学校の正式な名称は『総合調理師専門学校』というらしい。
道中、平島さんに教えてもらったところによると、この世界では『総合』とつくのが一番最高難易度の学校になるらしい。高校で『総合科』は、日本でいう東大や国立、外国の有名大学を目指す生徒が通うし、僕のこれから体験する『総合調理師専門学校』はこの世界のすべての調理について学ぶ最先端らしい。王城にいた王宮料理人の皆さんもここの卒業生らしい。
到着して、門の前に立って校舎を見る。
一見、普通の学校のように見える。けれど、あちらこちらから風に乗って色々な香りがしてくる。
何かを煮込んでいるような懐かしい香り。
海産物独特の海の香り。
甘いお菓子を焼き上げているような香り。
そして、校舎と校舎の間の通路を食材を台車に乗せて運んでいく人々。
まだ、朝の8時なのにすでにたくさんの活動が始まっているようだ。
僕は、平島さんにここまで連れてきてもらったお礼を言ってシノハラさんと一緒に受付けへ行く。
「はい。1日体験の笈川 吹雪さんですね。担当教官を呼びますのでそちらでおかけになってお待ち下さい」
「ありがとうございます」
僕は、受付のお姉さんにお礼を言って受付前にある長椅子に腰掛ける。
10分もしないうちに体格のガッシリした30代後半くらいの男性がやってきた。見た目は人に近いけれど良く見ると天然パーマの髪の毛に埋もれるように丸い耳が生えていた。
あれは、クマ耳?
僕は立ち上がって礼をする。
「おまたせしました。キミが体験の笈川君かな?」
「そうです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。私が今日の指導教官のマグニットだ」
マグニット先生が手を差し出してしたので握手をする。
ぷにっと柔らかい感触がした。
もしかしたら肉球かもしれない。
気になったので確かめてみたかったけれど、体験とはいえ生徒という立場で先生に馴れ馴れしく『肉球ですか?』なんて口はきけない。
しかし、恐らく肉球だろう。
そんな内心の葛藤を悟られないように努力しながらマグニット先生の後ろについて教室へ入る。
教室の中には20名程の生徒が各々の席に座っていた。
年齢性別種族も様々だけれど、若干ではあるが若い、10代の男性が多いように感じられた。
性別比較だけでいくなら男性が8割だ。
この世界で職業的な性差別はないと講義で聞いていたけれど、料理の種類によっては筋力のある男性の方がやりやすいという点で男性が多いのかもしれないな、と思った。
王宮料理人の皆さんもほとんどが男性だ。
「はい!皆さん、注目!こちらは1日体験者の笈川 吹雪君です」
マグニット先生の掛け声で一気に教室中の視線を向けられて少し緊張する。
他の人よりも長い夏休みの後に登校した日を思い出す。
いつもなら相手は知っている顔ばかりの同級生だけど、今日は全員と初対面だ。気合を入れて挨拶をする。
「笈川 吹雪です。皆さん、今日一日よろしくおねがいします」
パチパチと疎らな拍手が聞こえてくる。
「じゃあ、後ろの開いている席についてくれ」
「はい」
僕は教壇から生徒の間を通りながら最後尾にある空席まで歩く。途中で眼が合った何人かには軽く目礼をしておく。シノハラさんは、あくまで付き添いなので最初から教室の後ろに立っている。プチ授業参観状態だ。
「今日もいつも通り進めます。まずは今日の昼食の献立の素材についてー」
僕が席に着席するとマグニット先生が話し始める。
学校体験を申し込んでもらった時に、『粋に体験してもらう為に初心者に合わせた授業ではなく在校生の通常授業を体験してもらう』という内容を聞かされていたので僕は大人しく座って講義に耳を傾ける。
どうやら昼食の調理実習をする前に午前中は座学から始めるようだ。
「ビューの煮込みシチューの主役。はい。画像を確認して下さい。こちらが、グレートビューです」
各々の目の前に画像が投影されて浮かび上がる。
黒いジャガーのような大型の獣型モンスターのグレートピュー。
グレートビューっ!
僕は思わず声に出しそうになったけれど何とか言葉をのみ込んだ。
グレートビュー。
こいつは確か、迷宮17階の奥の方にいたヤツだよ。
サニヤを連れて戻った関係でサミヤさんが王城を訪ねて来た時に王宮料理人の副料理長であるデンザーさんに渡して名前を教えてもらったヤツ。
確かに、その日の夕食に肉の入ったシチューがあったな、と思い出す。
あれってビューの煮込みシチューだったのか。
全く食べたこともないメニューを作るよりは幾分か気分が楽になった。
マグニット先生が、画像を色々入れ替えたりしながらグレートビューの生態や食用部位について教えてくれる。生徒達は熱心に画像を見てメモを取ったり手元の端末に何かを打ち込んだりしている。
僕も念の為に簡単な筆記用具は持ってきていたので一応メモを取っておく。
1人で迷宮で戦った時は予備知識もなかったので結構手こずった記憶があるけれど、かなり詳しく教えてくれたので今度からは余裕をもって戦うことが出来そうだ。
まあ、25階より下の階層でまた出会うことがあるなら、だけど。
迷宮での食料確保をしていくには、こういう事前準備は大切だな、と痛感する。
食用モンスターの図鑑が欲しいなと前々から思っていたけれど、その想いが強くなった。
安全に狩りをすることも大切だけれど、貴重な食用部位を火の能力で丸焼きにしてしまったら台無しだ。知っていれば戦い方も変わってくる。
うーん、来てよかった。
そんなことを思いながら、グレートビュー以外の野菜や調味料などについての説明に聞き入る。
野菜や調味料も、補助アイテムの翻訳のお陰もあって何となく用途はわかるのだけれど、実際に食べると味が違うことがあって何度か驚いた。
その筆頭がイカだろう。
見た目はほとんど同じなの焼くと摩り下ろしたトロロ芋のようにドロドロになる。
そういえば、同じ加熱でも茹でた場合はどうなるんだろう?
一度実験してみたいな。
イカも迷宮で獲れたりしない、か。
いたとしても海のイカと迷宮のイカは違う種族のような気がする。
そんな風にマグニット先生の講義に聞き入ったり、余計なことを考えたりと脱線しながらも午前の授業を受けた。
午前中だけで学校に通っていたあの頃のような感覚が呼び起こされてきて少しだけ現実を忘れかけていた。
平和な学生生活って素晴らしい。