フルネーム
大闘技場で暮さんと合流した後、僕の部屋で中院公爵領の神殿でサニヤに出会った話や最近の迷宮の成果など話題を捻り出し夕食の時間までなんとか時間を潰した。
もしかしたら、途中から暮さんは察してくれていたのかもしれない。
ずっと聞き役にまわってくれていた。
まあ、親子喧嘩の内容を聞くような無謀なことは出来ないので自分の話をしている方が楽だ。
「良さん今頃怒られてるのかなあ」
公務を放り出して遊びに行ったのだから自業自得ではある。
良さんが大人しくシノハラさんを迎え入れていれば親子喧嘩も発生しなかったわけで、きっと留守番していた潟元さんは大変だっただろう。
暮さんは、ソファに座って僕の入れた珈琲を飲んで一息ついた後、
「真王陛下は、少し秘密主義なところがあるからね。潟元さんの気苦労は耐えないだろうね」
と言った。
秘密主義。
何事かあっても自分の手足であるはずの家臣にも本音を晒さないということだろうか。
お気楽な風を装っていても、今日、僕と迷宮へ行ったことに何か深い思慮があったりするのだろうか。僕にはただ遊んでいただけに思えるけれど。
「潟元さんはずっと王家に仕えている人なんですか?」
「そのようだね。初代魔王の血族だから、現在の王家の次に身分が高い一族なのだけれど、代々家長は、魔王補佐だけを勤めて自分の領地経営は妻子に任せるのが特徴だね」
「へえ。じゃあ、領地には帰らないで単身赴任状態なんですか?」
「そうみたいだね。稀に家族の方が彼の使用人部屋へ泊まりにくることはあるようだけれど、潟元さん自身が城を留守にしたという話は聞いたことはないよ」
忠誠もそこまでいくとほとんど病気みたいだなあ、なんて失礼なことを考えていると侍女のアマリカさんが食事の準備が整ったことを伝えに来てくれた。
僕は、自分と暮さんの分の珈琲カップを手早く洗う。
部屋を出て食堂に向かいながら、
「そういえば、この腕時計、テレビ電話機能ついてるのに使ったの、アルクスアに行ってる時だけなんですよね。呼びにくるより電話した方が早くないのかなあ」
と、ふと思いついた疑問を口にすると、
「それだと、城内の使用人の仕事がなくなってしまうからね。中院公爵家のように全く使用人を持たないというわけにもいかないし、王族というのも案外面倒な柵があるものだよ」
「なるほど」
「白の領地は、逆に効率に拘るから人を使いに出すより直接電話を掛けてくることが多いよ。あちらは身分制度はあってないようなものだからね。一部、白の民族の血が濃い一族が貴族として扱われることはあるけれど、基本的には平等だからね」
「そうなんですか?僕のイメージでは日本っぽいなと思ってるんですけど、ラズさんは自分は平民だって言ってたんですよね。平民だと困ることってあるんですか?」
白の民族の血が濃いということは、マキちゃんが以前に話していた天使の輪っぽいものを持っているということだろうと予測した。でも、それのあるなしで何かが劇的に違ったりするんだろうか。
「身分的な差別はないけれど、平民には苗字がないのと、ほとんどの人が魔力保有量が少ないね。だから、平民が、強い能力を必要とするような職業には就きにくいね。他は実力さえあれば平民からでも代表議員になれたりするね」
「苗字がない?」
僕は少し吃驚する。
日本では皆、苗字があるし、この世界でも普通にあるものだと思っていた。
「じゃあ、ラズさんが名前しか名乗らなかったのは、苗字がないから?」
「そうだよ。まあ、意図的に名乗らない人もいるだろうけれど、自己紹介でフルネームを名乗らない相手はまず平民だと思っていいだろうね」
僕は、今まで出会った人のことを思い出してみる。
「じゃあ、侍女のアマリカさんとか副料理長のデンザーさんとか・・・」
「城内にいるのにフルネームを名乗らないなら間違いなく平民だろうね」
そういえば、こちらで目覚めてすぐの頃に、甲斐さんが、日本人に名乗る時の為に漢字名を持つ貴族が多いって言ってたっけ。
そうか、だからラズリィーの名前は漢字表記じゃないのか。
今更ながらに納得した。
落ち人の対応は基本、貴族がするのだから、平民には対日本人用の名前は必要ないわけだ。
落ち人といえば・・・
ふと、立野さんのことを思い出した。
先代冬の巫女姫の伯父さんで落ち人でもある立野さんは、当然日本人なわけだから名前があるはずなのに教えて貰っていないな、と。
チラリと隣を歩く暮さんに目をやる。
松田さんは暮さんとも立野さんとも親しそうだった。
それは松田さんのコミュ力のなせる技なのか、同じ落ち人同士だからなのか。
「あの、立野さんて・・・」
「うん?立野さんがどうかしたかい?」
暮さんが聞き返してくる。
親しいかどうかはわからないけれど、一応知らない人ってことはなさそうだ。
「僕、立野さんの下の名前知らないんですけれど、暮さんは知ってますか?」
暮さんは僕の質問に苦笑しながら、
「知っているけれど、教えてはあげられないね。彼は名前を呼ばれるのが大層苦手らしいからね」
「苦手?ちょっと変わった名前だったりするんですか?」
まさか、今時のキラキラネームってことはないだろう。
しかし、呼ばれたくない名前・・・。
パッと思いつくのは、『優秀』とか『正義』などの親の期待が重そうなものか、『太郎』とか『源蔵』みたいな若干古風なイメージの名前。
僕は、自分の『吹雪』って名前は余り好きじゃなかった。
名前のせいで暑さに弱いのかもしれないと本気で考えた頃があったくらいだ。
今となっては、愛着もあるし、体質も改善されたから気にならなくなってきている。
「特別変わっているとは思わないけれどね。私の洋一郎という名前の方が手抜きでどうしたものか、と思うくらいだよ」
「手抜き?」
「長男だからね。父は、生まれた順に数字を入れたから解かり易いけれど、それが問題を生むこともあったりしたんだよ」
生まれた順番に数字という名付け方法は割とよくある手法だ。
後は生まれ月や季節を入れたりすることも多い。
しかし、それが問題になるようなことあるのかな・・・と考えて1つの仮説に思い至った。
暮さんは、正妻の子供じゃない。
けれど、『洋一郎』。つまり長男だ。
そうなると自ずと正妻の子供に入る数字は、二から始まってしまう。
もし正妻が『どうして二という数字を入れたの?』と聞いた時、シノハラさんが正直に『二番目の子供だから』と答えた可能性・・・
今までのシノハラさんの言動から考えても普通に答えていそうだ。
これは・・・親子仲が悪くても仕方ないんじゃない?
僕は複雑な気持ちで暮さんとサニヤと3人で、シノハラさんたちが待つ食堂へと歩いた。
そういえば、サニヤがいつにもまして大人しい。
暮さんにも人見知り発揮中なのだろうか。