二十一.乱世の奸雄
曹孟徳。
三国志において主人公としてその名を上げる者も少なくない『乱世の奸雄』である。
※ちなみに、本小説は、主人公を『劉備』と『曹操』のダブル主人公にしています。
曹操は漢の丞相を務めた曹参の末裔だといわれている。
曹操は幼いころより才能あふれる賢い悪ガキであった。
賢い曹操を父である曹嵩は溺愛しており、甘やかして育てた。
少年時代は、後に殺し合いを演じることになる幼馴染の袁紹と共に悪さばかりして回った。
そんな彼を村の皆は、『うつけ者』のように思う反面、『恐ろしい子!』と彼の才能を怖れた。
橋玄という漢王朝の高官は『今に天下は乱れるだろう。そして、乱れた天下を治めるのはこの人物を置いて他ならん。』と彼の才を高く評価していた。
ある日、橋玄の勧めで曹操は許劭という人物評論家に会いに行った。
曹操はあまり乗り気ではなかったが、恩義ある橋玄の勧めということもあり、許劭と会うことにした。
しかし、嫌々会うのに違いはないため、彼は不貞腐れた態度で許劭と面会した。
許劭という人物はどうやら自分の好みに合わせて人を評価する人物であったようで、第一印象最悪の曹操をこう評した。
「お前みたいな不良小僧は、平和な世なら一役人として生涯を終えるだろう。ただし、乱世ならば奸雄となるだろう。」
奸雄とは『悪知恵にたけた英雄』の事である。
許劭の下した自身の評価に対して、曹操は怒ることなく笑みを浮かべ、無言で有り金を全部渡すと、その場を後にした。
曹操は20歳になるまで職に就かなかった。
曹操の家は裕福であったため、働く必要が無かったのだ。
しかし、20歳にもなって働かかないのはさすがにマズイと思ったのか、彼は就職活動を行い、コネを使って洛陽北部尉になった。
洛陽北部尉とは首都『洛陽』の警備隊長のことである。
洛陽の警備隊長となった曹操は鬼の警備を行い、身分にとらわれること無く犯罪者を捕らえ、厳しく取り締まった。
ある日、霊帝に寵愛されていた蹇碩の叔父が禁止されている門の夜間通行をしようとしたところ、すかさず曹操が止めるよう怒鳴りつけた。
しかし、蹇碩の叔父は曹操の言葉を無視して門を通過しようとしたので、曹操は蹇碩の叔父を捕らえ、法に従い棒で殴り殺した。
「あいつヤバイ!超ヤバイ!犯罪者には容赦なしだぞ!」
この一件により曹操の名は高まり、彼は出世していくことになった。
騎都尉にまで出世した曹操は、黄巾の乱が起きるとその討伐に向かった。
各地で数々の武功を立て、彼の名声は増々高まっていた。
そして、更なる大功を立てるべく赴いた、潁川という地で劉備と出会ったのであった。




