百四十六.風はゆっくりと止む
孫堅の死体は、峴山に残っていた呂公の部下たちの一隊が夜明けと同時に見つけた。
岩石に潰された孫堅の死体を見た彼らは慌てふためいた。
まさか追手の中に敵の総大将である孫堅がいたなどとは夢にも思わなかったからだ。
「えっ!? こ、この死体・・・もしかして孫堅だべか?」
「ま、まさかぁ!そんなはずないべ!敵の総大将さんが追って来るなんてよぉ!そんなことあり得るべか?」
「いや、まぁそうだけんども・・・でもこの顔は間違いなく孫堅だべ。おら見たことあるだぁ。」
「・・・マジでか?」
「マジだべ。」
「「・・・・・・や、やったべさ~~!!」」
死体を発見した彼らは飛跳ねて喜び、岩をどけて、死体を襄陽城へと持ち帰ったのであった。
一方此方は孫堅軍。
孫堅が死んだという報を聞いた彼らに戦う力はなく、彼らは撤退を余儀なくされていた。
孫堅の息子である孫策の指揮のもと、長沙へと撤退しようとした彼らであったが、劉表軍はそれを簡単には許さなかった。
逃げる孫堅軍を劉表軍は徹底的に叩きのめした。
叫び声を上げ、倒れる味方の姿を尻目に孫堅軍は長沙へ向けてひたすら逃げた。
しかし、孫堅軍もただやられるだけではなかった。
孫堅の盟友である黄蓋は、乱戦の最中、敵将の黄祖を生捕りにし、程普は孫堅を殺した張本人である呂公を叩き斬っていた。
やがて乱戦は終わり、孫堅軍は無残な姿で漢水方面へと逃げのびていた。
ここで船に乗り、長沙へと帰還しようとしたその時、1人の若武者が涙を流した。
(ち、父上は本当に死んだのか?・・・まだ元気に生きているのではないか?)
血が滴らんばかりに握り拳を作り、涙を流す若武者 孫策。
彼はまだ、自分の父が死んだことを信じられなかった。
今にひょっこり顔を出して、「いや~すまんすまん!危うく殺されるところであった!ははははは!」と、陣地に帰って来るような気がしてならなかった。
しかし、孫堅は死んだ。そして、その死体は劉表軍が所持している。
孫策のもとに帰って来るなどあり得ないのだ。
孫策は叫んだ。
父を失った怒りと悲しみ、そして空しさが彼の心を激しく揺さぶっていた。
「父上は死んだ!ならばせめて屍を厚く弔いたい!!」
彼は願いを込めて叫んだが、死体は劉表軍の手にある。
それを知った彼はいよいよ慟哭して、
「父上の死体は敵の手にある!それを取り返さずして何で長沙に生きて帰れようか!!」
と悲痛な声を上げた。
泣き叫ぶ孫策を黄蓋が慰め、彼にこう進言した。
「それがしは先日、敵将の黄祖という者を生捕りにしております。生ける黄祖と大殿の屍を交換するよう敵に申し出てみましょう。」
黄蓋の進言に孫策は無言で頷いた。
そして、劉表と誼のあるという桓階という者が使者として劉表のもとに赴き、彼に交換の件を告げた。
劉表はそれを快諾して、後日、黄祖と孫堅の屍の交換を行った。
そしてその時、劉表は孫策と停戦協定を結んだ。
劉表にとって、黄祖は家臣であるが親友とも呼べる存在であった。
そのため、孫堅の屍と交換するだけでは釣り合わないと思ったのだ。
停戦協定については他の家臣より反論があったが、劉表はそれらを全て退けて協定を結んだのであった。
孫策は国に帰還すると、長沙城に父の柩を奉納し、大層な葬儀を執り行った。
孫策、この時17歳。
初陣にて父を失うという経験をした孫策は、父の後を継いで、家族と家臣たちの命を背負うことになった。
葬儀を終えた孫策は、今、満面に広がる大河を目の前に1人岸辺に立っていた。
河を眺め、穏やかな風を肌で感じながら孫策は決意を新たにする。
「父上・・・あの世で見ていて下さい。この孫策が父に代わり、天下に号令をかけて見せましょう。」
孫策は涙を堪え、流れる大河を眺めながら呟いた。
孫堅の運命を告げた狂風は日を追うごとに穏やかな風となっていき、そして今、その風はゆっくりと止んだのであった。
第七章 完




