一.始まりはいつも不幸
一話目はプロローグなので少し長いです。
この物語は中平元年こと西暦184年。今から約1800年前ほど昔の物語である。
今日、『中国4000年の歴史』と言うフレーズが使われているが、そのよくわからないフレーズを基に考えると節目の時代の物語ということになる。
涿県楼桑村という地がある。現在の中国の地理でいえば、北京市の南西に位置する村である。
この村に『劉備玄徳』という人物がいる。
西暦161年の生まれで23歳の若者である。
劉備玄徳は筵売りをしている。
筵とは藁などの植物で編んだ簡素な敷物のことである。
劉備は母と共にこの筵を売って日々の生活を養っていた。
父は既に亡くなっており母との二人暮らしである。
「母上。それでは街へ筵を売りに行ってきます。」
「いってらっしゃい。今は物騒な世の中です。道中は十分注意するのですよ。」
「わかっています。道草などせずにまっすぐ家に帰りますよ。」
劉備は心配する母に少し笑みを見せると街へと向かった。
劉備の母が言った物騒な世の中という決まり文句のセリフは今日のような軽いセリフではない。
劉備たちが生きているこの時代は死がすぐ隣にある本気で物騒な世の中なのである。
この時代の王朝である『漢王朝』の政治は乱れきっていた。
政治が乱れた原因。それは『十常侍』という十人の政治家による悪政が原因である。
この時代の皇帝である『霊帝』は12歳の若さで帝位に即位していた。
12歳という幼い霊帝に政治ができるはずもなく、霊帝の代わりとして十常侍が政治を一任して行っており、霊帝は飾りのような存在だった。
月日が流れ立派に成人した霊帝だったが、霊帝は政治に関して無頓着だったようで、成人してなお、政治は十常侍に任せきりだった。
そのため、十常侍は霊帝に代わり権力を盾に好き放題の政治を行っていた。
特にと言うべきか、やはりと言うべきか政治家という者は賄賂が大好きである。
十常侍も例に漏れず、賄賂が大好きであった。
十常侍は出世を夢見る役人に対して賄賂を要求していった。
支払わない役人には鉄槌を下す。神様のような無茶苦茶な権利を十常侍は持っていたのである。
賄賂を受け取っている十常侍は幸せそのものであった。
しかし、幸せな者がいるということは不幸な者がいるということである。
賄賂は無からは生まれない、有から生まれる。
では、有とは何か?
それは『民』である。
十常侍たちは賄賂の金を民たちの重税により賄っていた。
『はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る』
石川啄木の歌集のように民たちは懸命に働いていた。しかし、生活は楽にはならなかった。
民の稼いだ金は全て国に没収されていった。
疲労と飢えと病気の蔓延により、民たちは生きる意味を失っていた。
しかし、民たちは生きる意味を失う代わりにあるモノを得ていた。
それは、反乱心であった。
豊かにならない生活を続ける毎日。そんな日常に民たちはキレた。
民たちの不満が爆発して、『張角』という人物を大将として、とある組織ができあがった。
それは、黄色い布をなびかせて漢王朝を打倒しようとする組織。『黄巾党』であった。
「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉(蒼天すでに死す。黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて。天下大吉)」
この有名なキャッチフレーズを叫びながら打倒漢王朝の名のもとに民たちは反乱を起こしたのだ。
黄巾党は民たちの怒りの表れであり、張角は民たちにとって救世主となる人物になるかと思われた。
漢王朝を打倒して平和な世を築いてくれる。そう思っていた。
しかし、そうはならなかった。
黄巾党は暴徒化してしまい、各地で略奪や強盗を繰り返す犯罪組織となってしまった。
そのため、民たちは十常侍の悪政と黄巾党の犯罪の板挟みにあってしまい、増々苦しい生活を強いられることになってしまったのだ。
この物語は中平元年こと西暦184年。今から約1800年前ほど昔の物語。
英雄たちが命を懸けて、乱世を駆ける物語。
読んで頂きありがとうございました。
下手糞な文章で申し訳ありませんでした。