4.初恋は実らず
二人の関係が、その後、どうなったのかは、よくわからない。
ただ、それからしばらくして、山田モモは公的機関の奨学金を申請して認められ、バイト地獄から抜け出した。
季節はずれの奨学金。
山田はもちろん知らないし、正隆も絶対に言わないだろう。
だが、正隆が裏で手を回したことが、俺にはわかる。
高校に入学した時、正隆はすでにIT関連の会社を経営していたから、自分のポケットマネーで山田母子を養うぐらい、本当は造作もないことなのだ。
だが、今の正隆はそんなことはしない。
山田を尊重し、山田と対等であろうと努力している。
一年の秋に正隆は生徒会の副会長になった。
そしてその翌年には、全校生徒の圧倒的な支持を得て、生徒会長に就任した。
俺は六組、山田モモは七組、正隆は相変わらず一組で、俺は複数の女の子と付き合ったり分かれたり、気まぐれに美術展に出した絵が大きな賞をとってマスコミで騒がれたり、まあ、それなりに忙しくて、二人に関わることも少なくなった。
ただ、生徒会の仕事で忙しい正隆が、どう時間をやりくりしたものか、文化祭後のキャンプファイヤーに姿を見せた時は驚いた。
火を囲んでフォークダンスを踊るというたわいないイベントが、正隆の登場で異常な盛り上がりを見せ始めた。
何気ないそぶりでダンスの輪に加わった正隆は、その先にいる山田モモと自分との間にいる人数を正確に数えていたはずだ。最後の曲の最後のパートナーは山田になるはずだった。ところが、間に女子が次々と加わって、正隆の目算を狂わせてしまった。
曲がラストに近づいていく。
少し離れた所から見るとはなしに見ていた俺は、その瞬間、無意識に声をあげていた。差し伸ばされた手をすり抜けた正隆は、そのまま何人もの人間を追い超して、山田モモの手を取ったのだ。
その真剣な顔を見た時、俺は意味もなく泣きたくなった。
(山田モモ、振り向いてやってくれ)
それから幾度となく心の中で念じたが、二人が寄り添う姿を見ることは、ついにできなかった。
卒業式の日、俺は後輩から受け取った大量の贈り物の中から、山田モモに似合いそうなピンクの花束を選んで差し出した。
「正隆から聞いた。あいつさ、長いこと自己嫌悪に陥っていたけど、そんなにひどいことをされたと思う?」
山田は無言で首を横に振る。その目は少しだけ潤んでいた。
正隆は少しずつ距離を埋めようとしていたが、山田の態度はよそよそしいままだった。
正隆はずば抜けて優秀な男だが、それでも十代の高校生に過ぎない。
ある時、山田を屋上に連れ出して、自分の思いをぶつけた上、強引にキスをした。
その後の展開は目も当てられない。
気を失った山田を抱きかかえた正隆が、真っ青になって保健室に駆け込んだというニュースは、放課後だったにも関わらず、瞬く間に校内を駆け抜けた。
「あの時はおもしろかったな。貧乏を苦に自殺しようとしていた所を思いとどまらせたとか、死者の霊に引きずられて屋上から落ちそうになっていた所を正隆が救助したとか、あり得ない話がまことしやかに伝わって……」
「でも、それで良かったと思うよ」
理由を訊ねると、山田は寂しそうに微笑んだ。
「だって、あの人は、みんなの王子様だもん」
(みんなの王子様? でも、正隆は……)
バイバイと手を振って背を向けた山田に、気がつくとすがりつくように声をかけていた。
「確かにあいつは、嫌味なぐらい優秀だけど、モモちゃんの前でだけはそうじゃなかった! この三年間、正隆はモモちゃんだけを見ていたんだ。頼むから、お願いだから……最後の最後ぐらいは、あいつを避けないでやってくれ!」
振り返った山田は不思議そうな顔をしていたが、それでも小さく頷いた。
そして再び、前に向き直った時、彼女の目の前には正隆が立っていた。
「山田、卒業、おめでとう」
卒業証書を手に凛と佇む姿は、男の目から見てもきれいだった。
優しい眼差しも唇に浮かべた微笑も山田モモ一人のため。
それなのに、どうして彼女は、これほどの男を拒否し続けることができたのだろう。
「伊集院君、卒業、おめでとう」
華奢な背中越しに聞こえてきた声は震えていた。
(山田……泣いているのか?)
本当は、この二人は両思いだったんじゃないだろうか。
一瞬だけ浮かんだ思いは春の風に、吹き飛ばされた。
俺の視線に気付くことなく、正隆はこの上なく爽やかな笑顔で山田に頷いてみせてから、卒業証書を握った手を持ち上げた。