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「・・・・そろそろ時間だ、マスター」
「あんたの言うことが本当なら、そうだな」
「本当さ。この件に関してはシュレーディンガーの猫のような問題ではない。私は今までに消滅した人間をたくさん見てきた。既に君は、箱を開けずとも消滅した状態が確定しているんだ」
「コペンハーゲン解釈に基づけば、誰かがその存在しないという状態を観測するまでは、消えたという事実に収束しないだろう」
「じゃあ、私が観測者になろうじゃないか」
「それは勘弁だ。自分だけで観測しよう」
この時、既に時計は23時45分を回っていた。
消滅する時刻に近づいているというのに、マスターはむしろ落ち着きを取り戻していた。
「最期に何かあれば聞いてあげるよ」
「そうだな・・・・。・・・・人っていうのは、あまり信じるものじゃないな」
「ははっ、今さら気づいたのかね。私は君くらいの歳には、既に誰も信用していなかったよ」
「嫁もなのか?」
「ああ。信じられるのは自分だけ。いつの時代も、人を信用した者が損をする」
「そうか、良いことを聞いた」
「ただ・・・・信じられるものも1つ出来たかな」
「へぇ、それは」
「トマト。マスターのハムサンドに入ってるトマトさ、あれ本当はとっても美味だったよ。おかげで、トマトが好きになったよ」
「そうか」
「すまないね、マスター・・・・でも、これは使命なんだよ」
男は、少し物寂しげな表情をした。
元素を奪った相手とはいえ、親しみを感じた相手を消してしまうということに罪悪感を感じているのかもしれない。
「じゃあ、俺からもう一ついいかな」
「ああ、マスター」
「俺も、元素を奪える人間なんだ」
「・・・・何だって?」
何と、マスターは自分までもが元素を奪える人間だと言い出したのだ。
一驚を喫した先生は、膨れ上がった餅のように、白い目を膨らませた。