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009

 学院の一階、入り口から入った先にある長い回廊は、通称『鏡の間』と呼ばれている。窓の一切ないその廊下は、向かい合う両側の壁が巨大な一枚の鏡で出来ており、道の両脇を照らす蝋燭の炎たちが、合わせ鏡の効果も相まって無限に点在している。始めてこの学院に来たとき、光の花で埋め尽くされていると感嘆した生徒がいたのだが、姫月には死者を弔うための墓標にしか見えなかった。もちろん、そこに立っている姫月自身も無限に増殖を続けている錯覚の空間。生徒達が適度な数で行き交うと、立ち眩みを覚える位、幻惑されてしまう。

 そこを通り抜け、眼下に広がる霧の森を横目に、大理石の階段を上っていくと『円柱の森』に出る。ここは、白大理石と黒大理石が交互に配置された市松模様の床を持つ、総数にして三十六本の支柱が均等に配置された場所。この先に異端審問科二年生の教室があり、休み時間は生徒の溜まり場になって騒がしいのだが、さすがに授業開始直前ということもあって、足音を立てるのも忍びない静寂に包まれていた。

 シェリーを待ったことに後悔しながら、一人で何気なくそこへ踏み入れた丁度その時、ふとした突然の声に驚かされ、足を止めてしまった。


「炎聖騎士団の団長殿が、自ら講師としてお越しとは、どのような事情があるのか興味がありますね」

「それは私も同じですよ。あなたほどの方が、このような場所で教師をなさっているとは」

 ジェイド先生とタクマ先生の声だった。何となく出て行き辛い雰囲気がする。姫月は柱の影に身を潜めた。

「それは買い被りというもの。私は未来ある若者の育成こそ、天職だと思っていますから」

 普段の授業の様子を知るだけに、苦笑いをする他ない。

 特に相槌を打つでもないタクマ先生に対して、ジェイド先生が言葉を続けた。

「査察ですか? それとも特定の誰かを監視に?」

「例えそうだとして、その通りと言う訳がないでしょう」

「それもそうですね」

 ジェイド先生は一人で笑い声を出す。普段の顔を知らないだけに、意外な一面を見ている気がした。

「それはそうと……あなたが、管理している薬品を紛失したらしい、という噂を小耳に挟んだのですが……」

「はは、まさか。一体誰からそんなことを? ファム=リペインですか? だったら彼女をお仕置きしないといけませんね」

 ジェイド先生は再び小気味よく笑った後、それを押し殺すようにしてファムの名を出した。

「では、根も葉もないことだと?」

 タクマ先生は、ファムのことには触れずに、優越的な立場から見下すように言葉を吐く。

「ええ、一体何のことやら。私の薬品棚には強力な結界が貼ってある。管理は万全ですよ。しかし、無いものの証明など不可能。私の言葉を信用していただくしかありませんな。その無くなったという薬品が、出てきたら別ですがね」

「面白いことを仰る。では、あなたを信じることに……」

「まぁ、無くしたのは事実なんですが」

「……」

 姫月は顔を見ずとも、タクマ先生が呆れた表情を浮かべているのがわかった。思っていた以上に、ジェイド先生はいい加減な性格をしている。いや、端からタクマ先生が真相を知っているとわかった上で、からかっているのだろう。陰険と言っていいかもしれない。

 そして、立ち去る足音を立てたタクマ先生を、ジェイド先生が呼び止めた。

「ところで、タクマ団長。姫月=アルテナ、という生徒をご存じですか?」

 突然の自分の名前。聞き耳を立てているのがバレているのかと、心臓が高鳴った。

「知ってますが……彼女が何か?」

「いえ、たまたま今日は東方征伐の講義をするので、ふと気になっただけですよ」

「……話の意図が見えませんな?」

「あなたは東方の出身でしょう。その黒い髪を見れば一目でわかる。東方の民として、東方征伐の感想などをお聞かせ頂きたいと思いまして」

 不愉快で挑発的な物良い。傍から聞いていても、心地良いものではなかった。

「……今時、髪の色で出身地を分けるなど、時代錯誤甚だしい。率直に申し上げて不快だ。私は生まれも育ちもこちらの国ですよ。討伐された先の人間が、この国の騎士団長を任されるわけがないでしょう。勉強が足りないようですね」

「これは一本取られましたね。いや、二本目か」

 ジェイド先生は、小馬鹿にしたような態度を貫き通しながら笑った。姫月は、ジェイド先生に失望する程、元々興味を持っていたわけではないので、先生の不遜な態度そのものはどうでも良かったが、なぜ、初対面に近いはずの二人がこれほどまでに険悪なのか、それが気になった。

「ただね……」とジェイド先生は言葉を続けた。「彼女、姫月=アルテナが東方征伐を指揮したサリア=アルテナの実の娘だからといって、手を出すなら容赦しませんよ」

 姫月は驚いた。実の娘、というのは間違いにしても、アルテナ院長がそこまで偉い人物だということを知らなかった。孤児院では、頑固な母といった面持ちで、異端審問官としての顔を見せることすら殆どなかったからだ。いや、そもそも異端審問官だったという話すら、何かの冗談ではないかと思っていたほどだ。

「……先ほど申し上げた通り、私はこの国の生まれ。第一、東方征伐には後方支援ながら私も従軍した。恨む理由がない」

「そうですか……なら良いのです」

 ジェイド先生が立ち去ろうとしたところを、今度はタクマ先生が呼び止めた。

「そういえば、今朝、男子寮で生徒が一人消えたのをご存じかな」

「……ほぅ。それは知りませんでした。誰かが魔獣を八つ裂きしにしたという話は聞きましたが」

「無関係ではないでしょう。消えたのは異端審問科の生徒。ミスリルデバイスを持っています。男子生徒同士で、いざこざがあったという情報もありますし、魔獣をいたぶる過程で何かあったのかもしれません」

 昨日、異端審問科の生徒同士でリンクをしていた。ならば、揉めていたのは異端審問科の生徒同士のはず。そこまでは、推理できた。しかし、姫月の中で、男子生徒の失踪と魔獣の件がどうしても結びつかなかった。結びつかないということは、どこかに情報の欠落、もしくは情報の誤りがあるはず。直接的には無関係のこととはいえ、同じクラスで起こった事。気にならないはずがない。

「無理に関係すると考える必要はないでしょう。それぞれが別個の問題だとすれば、よくある出来事ですよ。魔獣で試し切りをしたがる生徒は、どの世代にもいるものです」

 ジェイド先生は、特に気にしている風では無かった。

「生徒の失踪もですか?」

「閉鎖的な寮生活から逃げ出すことなど、若者にはよくあること」

「かもしれませんな。曰くのある怪しげな魔術師のいる場所で無ければ……ですが」

 二人の会話が止まった。朝礼開始の鐘が鳴り始めたのに、未だ姫月は動けずにいる。

「なるほど、それが査察の表向きの理由ですか」

 妙なことを言う。査察というのが本当なら、表向きの向きの理由は教師としての赴任であり、裏向きが査察のはず。二人の会話は、姫月の知りえぬ情報を前提としているようで、理解できないことばかりだった。

「しかも、魔獣がこんな学院の近くに出たという。不思議なこともあるものだ」

 タクマ先生は、ジェイド先生の質問に答えず、一方的に言い捨てると、そのまま去っていった。

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