003
異端審問科の生徒達は、更衣室で戦闘用の黒服に着替えると、グランドに集合していた。土肌を露出させた、草一本生えていない整地。山奥とは思えないほど開けた空間。白い校舎を背にして、晴天直下の日差しと、山頂の冷えた空気に包まれながら、授業の開始を待っている。
「いよいよね、姫月~。自分の体を賭けた決闘なんて、よくやるわ。ギルメロイ、ああ見えて結構やるよ。男子ではトップクラスじゃないの?」
シェリーは緩み切った顔付きを晒している。楽しくて仕方がないといった様子だ。
「勝機は十分あるから大丈夫よ。それに、負けたら負けたで就職先が決まるだけだわ」
「じょ、冗談は……やめて下さい……よ」
どこか他人事の姫月に対して、横にいたファムが心配そうに俯いていた。
そんなファムの頬っぺたを、シェリーが楽しそうに突く。
「あら? ファムは、マチルダの従者じゃない。主従契約の何たるかを先輩として教えてあげれば? 特に夜の営みについてさ」
「むぅ……シェリーさん……嫌いです。マチルダさんは良い方ですよ。ちょっと……思い込みが激しいくらいで……」
ファムは膨れっ面のまま、そっぽを向く。
「それよりファム。あなたの方こそ大丈夫なの? 最近元気無かったけど……」
「ファムは、運動音痴だからねぇー。魔法学が得意で、実戦が苦手な異端審問官なんて、時代が時代だったら真っ先に魔女狩りの対象になってるわ」
「……が、頑張ります……」
ファムは小さい身体を、益々萎縮させていた。
そんな時、手を打ち鳴らす音が聞こえた。生徒達が急いで整列を始める。
腰に長剣を下げ、黒い修道服に身を包んだマリア先生がやって来た。頭に被ったベールから、僅かに桜色の髪の毛が見えている。下半身には、身動きが取りやすいよう、スリットが入っており、大胆に覗かせた黒タイツが、奥に隠れた白い素肌を透かしていた。
「昨日お伝えしたように、今日から実技の授業です。練習は本番と同じようにやらなければ意味がありません。命を懸けるつもりで全力で取り組むように」
全員が一体となって返事をした。表情こそ温厚そのものだが、現役の異端審問官であり、凛とした立ち姿の中に、冷徹な感情を宿しているようで、苦手にしている生徒も多い。ブラッディ・マリアという二つ名は、教師としての怖さを象徴する皮肉なのか、それとも異端審問官としての実績を指し示すものなのか。確かなことは、マリア先生に逆らうと、体罰という名の拷問を受けることができるということだ。
「今更説明するまでもありませんが、その短剣は、持ち主に合わせて調整されています。といっても、あくまで初心者用ですから、大した機能はありません。他の剣とリンクさせることで、その剣の所有者と心の中で会話を行うことができる位です。チームで戦うためのツールと言ってよいでしょう。しかし、今回は練習。1対1で試合をしてもらいます」
先生の話が終わると、ギルメロイが手を挙げて前に進み出た。
「マリア先生。よろしいでしょうか」
「何でしょう? ギルメロイさん」
「まずは実演という形で、代表者が戦ってみせる、というのはどうでしょう。叶うのなら、一人は私。もう一人は、姫月さんを指名します」
ギルメロイは、丁寧な口調で申し出た。シェリーは、その様子に吐き気がすると言わんばかりの表情で舌を出す。
「私からもお願いします。彼との練習試合を認めて下さい」
姫月も、前に歩み出た。
マリア先生は二人の顔を見比べると「いいでしょう。私もまずは代表者に試合をさせるつもりでいました」と言って、試合の準備を促した。
姫月とギルメロイは、さらに前へ進み出る。
クラスメートが離れて見守る中、二人は互いに向き合うと、短剣を抜き合った。
試合とはいえ、真剣を用いての勝負。二人の賭けを知らぬ者まで、事の成り行きを注視した。
「二人とも準備はいいですね。私が止めるまで、本気で殺し合ってもらいます。手加減をした方には厳罰を課すのでそのつもりで。それでは……始め!」
マリア先生の掛け声と共に、二人は同時に叫んだ。
「ブレットモード!」
二人の短剣は、光に包まれるとその形を変えていき、最終的に拳銃の姿になった。
若干、姫月の方が早く変形を終える。横に跳びつつ、何度も引き金を引いた。対するギルメロイ、一撃目は銃身で受け止めたが、残りは器用にかわしていく。
「姫月さん……あれじゃあ、直ぐに魔力切れを起こすんじゃない?」
女生徒の誰かが呟いた。しかし、そんな心配を他所に、姫月は素早く動き回りながら、ひたすら撃ち続ける。
距離を詰められないギルメロイは、姫月の前方付近目指して、弾丸を着弾させていく。強大な魔力を込めた弾。姫月の弾丸よりも一回り以上大きく、爆音と共に地面から砂煙が巻き上がる。
砂の霧が二人を包み込み、互いの姿が視認できなくなった。
立ち込める煙の壁の中を、先に飛び出したのはギルメロイの方だった。姫月の影を捉えきり、銃を短剣の姿に戻して、切りかかっていく。
いや、切りかかるつもりだった。
想定外だったのは、煙の先にいた姫月の姿が、ほとんど半裸に近い状態となっていたことだ。服の前方だけ、無造作に切り取られ、下着と肌が露出している。
弾丸を姫月に当てた記憶はない。にもかかわらず、何故かズタボロになっている。
突然のことに訳が分からず、戦闘中だということすら忘れかけそうになった、そのとき、姫月の銃口が自分を狙っていることに気付いた。
「くそが!!」
ギルメロイが叫ぶと同時に、姫月の銃が特大級の魔力を放った。咄嗟に、短剣のまま受け切ろうとするも、抑えきれず後方まで吹き飛ばされる。
しかし、致命傷にはならず、全身に擦り傷と軽い打撲を負ったまま、直ぐに態勢を立ち直した。
砂が晴れると、生徒達から、歓声が上がった。どうやら姫月の服を切り裂いたのがギルメロイだと思っているらしい。
姫月がシェリーの方を横目に見ると、彼女は満面の笑みで親指を立てている。
―なるほど、戦闘中おっぱいをポロリさせて動揺をつく作戦ね。グッジョブ。
そんな心の声が聞こえた。もちろん、そこまでサービスするつもりはない。それで勝てるのなら、結果的に安上がりだと思ったものの、人並みの羞恥心は持っているつもりだった。
「やってくれるな! でも、二度と同じ手は食わないぜ!」
言葉とは裏腹に、目のやり場に困っているのが丸わかりの表情をしている。一瞬、目を反らした隙に間合いを詰めつつ、弾丸を放った。
ギルメロイの頬を掠っていく。
「容赦ない女だよ! お前は!」
ギルメロイも、銃を撃ちつつ、姫月に向かって駆ける。二人の距離は一気に縮まり、剣の間合いになった。その時、ギルメロイの左手から姫月の顔目がけて砂がまかれる。
剣技で応戦するつもりだった姫月の視界が突然奪われ、体が硬直する。ギルメロイがその瞬間を見逃すはずがなかった。
姫月の右手に持っていた短剣は弾かれ、虚空を舞う。その剣が地に落ちるまでに、雌雄が決しようとしていた。
「これで、お前は俺の物だ!」
勝利を確信したギルメロイは、身震いするほどの歓喜を感じていた。本能的にも、一瞬の油断が命取りになることはわかっている。
だからこそ、慎重に慎重を重ねて隙ができるのを待っていた。
しかし、どうしたことだ。この僅かな時間の内に漂う違和感。目の前にいる姫月=アルテナは笑っている。笑っているように見える。口元を緩ませて、その美しい瞳は力強くこちらを見据えている。この女、俺に負けることを望んでいるのか? そんな考えすら脳裏を掠めた。
―まぁ、いい! 俺の勝利は揺るがないのだから!
相手は、丸腰。何も恐れることはない。力づくで姫月を地面に押し倒す。その衝撃で、姫月の澄ました表情が大きく歪んだ。そのまま、顔の横に剣を突き立て勝利の証とする。
「それまで!」
マリア先生が試合の終了を告げた。




