018
「信じられんな。一介の生徒が 禁種指定の魔獣を倒すとは」
ふいな声。確かここは結界の中だったはず。驚きと共に顔を上げると、正面礼拝堂入り口から現れたのは、炎聖騎士団団長、タクマ=ソウギだった。騎士団の赤い甲冑に身を包んで、大剣を背負っている。戦闘の準備を終えているのは明らかだった。
血だらけのまま茫然と立つ、姫月に対してタクマが言った。
「あとの始末は大人に任せて、君は戻りなさい。保健室まで、自分の足で行けるな」
と言われても、窓の外の景色は歪んだままで、この異空間からどう出ればいいのかわからない。
辺りを見渡すばかりの姫月に、タクマが自分の背後を指差す。礼拝堂の入り口だ。
「私が空けた穴が向こうにある。そこから出なさい」
なるほど、と納得した。出口が確保できたところで、ようやく本題に入れる。
「タクマ先生。これは……」
状況を説明しようとした姫月を、手で静止する。
「聞くまでもない。事態は把握している。私の被後見人であるファム=リペインが魔獣を召喚し、テロを強行した。違うかね? 全く、私の顔にいい泥を塗ってくれたものだ」
タクマは、怒りを堪えているようだった。少なくとも、ファムの死を悲しんでいる様子ではない。
「……やはり、説明が必要なようですね」
「……なんだと? どういう意味だ?」
タクマは、姫月の顔を睨みつけた。
「あなたは、もう終わりです」
「……そうだろうとも。言わば身内の不始末だ。責任は必ずとる。言われなくてもな!」
「だから、そういう意味ではありません」
「では、どういう意味だと言うのかね」
要領を得ない姫月の言葉に、タクマは苛立ちを募らせていた。
「ファムはマリア先生が、この……いえ、今崩れている上の部屋の使用許可を出したと言いました」
「ほぅ、それで?」
ようやく話の道筋が見えたのか、タクマは興味深げに、腕を組んだ。
「でも、それはファムの嘘です。ファムの後見人だった、あなたと考える方が無理はない。あなたがファムに部屋の鍵を渡した」
「この私に対して面白いことを言う。自分の言ってることの意味が、わかっているのかな?」
姫月は、タクマの言葉を無視して続けた。
「ファム一人では、媚薬を盗むことは不可能だった。魔法に長けているとはいえ、ジェイド先生には敵わない。しかし、騎士団長であるあなたなら、互角かそれ以上。他愛もないことだったでしょう。事前にあなたがジェイド先生の結界を破壊し、その後、ファムが取りに行った。授業中ならジェイド先生も保健室にいない。まさに絶好の機会。あの時、あなたは、準備を終えたことをファムに知らせるためグランドに現れたんですね」
タクマは黙って姫月の言葉を聞く。
「ファムが保健室に行ったのはギルメロイの後。ギルメロイが本当に盗んでいたのなら、その時、ギルメロイが盗むことができたことも納得がいく。あなたが直接盗まなかったのは、薬の知識が欠けていたからでしょう。どういう物があの棚にあるのかは、ジェイド先生の申請書類で知っていても、姿形のわからない未知の薬を選ぶのは専門知識が無ければ無理。だから、魔女の一族であるファムの力を借りた」
「……ふふ、面白い推理だな」
タクマの余裕はわかる。姫月の考えを裏付ける証拠はどこにもなかった。しかし、姫月にとってそんなことはどうでも良かった。
「ファムがここまで焦って事に及んだのは、あなたが学院に来たからだ。あなたに急かされていたから。あなたさえいなければ、ファムは普通の学院生活が送れたのに! 本来ファムを守るべき立場にある、あなたのせいで!」
姫月はひたすら怒りをぶちまけた。みっともなくても構いはしない。それほど許せなかった。
「……何か、勘違いをしているんじゃないか。私には全く身に覚えがない」
「無くても構わない。私は、今ここであなたを……あなたを倒す。ファムの仇を討つ」
姫月は短剣を構えた。傍から見れば、頭に血が上った短絡的行動に見えただろう。立っているのもやっとだというのに、これから戦闘などできるはずがない。
「やれやれ、頭の可笑しな娘だ。忌々しいアルテナの娘だけのことはある。どちらにせよ、君にはファム=リペイン殺害の犯人として、この場で死んでもらうしかないな」
ようやく聞きたい言葉を引き出せたところで、姫月は改めと問うた。
「なぜ……なぜ、ファムは、こんなことをしなければならなかったの?」
「恨むなら、自分の母を恨むがいい。私も、貴様がこの学院にいなければ、ここまで事を大きくするつもりはなかった。だが、ファムの死を悔やむことはない。あれは単に馬鹿だったというだけだ。……そう、本当に馬鹿な小娘だった。聖教会への復讐と一族の再興。そんなくだらない事のために死んでいった愚か者だ。貴様も異端審問官を目指すなら、聖教会に逆らった愚か者と嘲笑ってみせるがいい!」
「よくもそんな酷いことを……」
「酷いだと? それが貴様の目指す道だろうが!」
「違う! 例え、異端審問官が異端者を排除するために存在するとしても、馬鹿にする権利はない! 確かにファムは道を間違えと思う。それでも、ファムは命を懸けた! 命を懸けて取り組んだことを、笑えるはずがない!」
我を失ったように叫び散らしていたタクマは、姫月の言葉を鼻で笑った。しかし、それは蔑んでいるようでいて、どことなく満足げに見えた。
「まぁ、いいさ。くだらぬ話をした。……騎士は騎士らしく、剣で語るとしようではないか」
タクマは背負っていた大剣の柄を叩く。
それは、姫月から誘ったことでもある。が、望むところとはいかない。勝てるわけがない。相手は国を代表する騎士団の団長。剣技においては有数の実力者。学生の身で敵う相手でないことは明白だった。
そして、逃げることすら敵わない。背中を見せれば、一瞬でやられてしまうだろう。
身動き一つとれず、呼吸すらままならない威圧感。最悪の事態が脳裏を掠める。しかも、それは実現性の高い未来。全身の毛が逆立ち、穴という穴から汗が滲み出て、体を強張らせる。
だが、姫月には切り札があった。
「全て聞かせて頂きました。タクマ=ソウギ団長」
見上げると、崩れた五階の縁にマリア先生が立っている。マリアは、そこから事もなげに飛び降り、空中で柱を一蹴りすると、主祭壇の演台の上に音もなく着地した。
なぜ、わざわざその位置に陣取ったのか。しかも演台の上に乗るというのは、聖職者として些か不遜に見える。ただ、天井まである巨大なパイプオルガンを背景に、悠然と立つその姿は美しく、そして頼もしい。
礼拝堂入り口近くのタクマと、その奥にいるマリアが、姫月を挟んで向かい合った。
「どういうことだ。なぜここにいる」
「あなたが事態の異変に気付くことができたというのに、私にできないとお思いですか?」
「ああ、できるわけがない。ファムの張った結界に気づける者など、いないはずだ」
「ふふ……ファム=リペインを随分高く買ってらしたのね。では、正解をお教えしましょう。私と姫月さんは、ここ数日間、ずっとデバイスを通じてリンクしていたのです。授業で結んでから一度も切っていません。情報の交換は逐一行っていました。そして最後に、私が部屋の使用許可を出したという、ファムさんの『嘘』を聞いた後、リンクが途切れてしまったので、こうしてやってきたわけです。あなたにバレないよう結界に穴を開けるのは大変でしたよ」
「……まんまと、一杯喰わされたわけか。こんな小娘に! よりにもよってアルテナの娘に!」
タクマの怒りが、頂点に達しているのが分かる。顔の血管が浮き上がり、握り締めた拳を震わせていた。
マリアはその様子を愉快そうに見つめながら、自身の腰に下げた長剣を引き抜く。
「姫月さん、ここは私に任せて、あなたは下がっていなさい」




