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017

 姫月は、瓦礫と共に宙に投げ出されるや否や、礼拝堂を支える大きな柱に手を伸ばしていた。僅かに届かない。素早くミスリルダガーを銃機構に切り替えると、弾丸を放ち、その反動で柱に寄る。そして、再び短剣の姿に戻して、ありったけの魔力を込めて柱に突き刺した。石の削れる音と共に、落下の速度が幾分落ちる。

「止まって!」

 激しい衝撃音。化け物や石壁の残骸、五階にあった諸々の物が、姫月より一足早く、激突を遂げ、粉塵を舞わしていた。

「止まれぇぇぇぇ!」

 柱に長い亀裂を刻み続け、床に着く少し前、その柱を蹴り、宙に返って中央通路に着地した。

 姫月は、主祭壇を背後にして、正面を見つめる。長椅子に囲まれた礼拝堂の真ん中、噴煙が収まったその先には、散乱した瓦礫に混じって、魔獣が蠢いている。

―召喚魔法……。

 息を整え、改めて考える。始めて見た、想像を絶する呼び出しの光景。首都で頻発しているというテロ行為の姿。確かなことは、この魔獣はファムという、天才的魔術師を生け贄として生まれた存在だということ。

 自分が生け贄にされた時よりも、強力な魔物なのではないか。そんな、考えが浮かんだ。

 何にせよ、選択しなければならない。戦うか、それとも逃げるか。

 しかし、選択肢が事実上無いことにすぐ気づいた。礼拝堂の窓から見える外の景色がひどく歪んでいる。異空間に隔離されてしまっていた。こうなっては外からの応援も期待できない。

 最後に、助けを求めて死んでいったファム……しっかり、姫月を殺すための準備を終えている。

 一体どちらのファムが本当の姿だったのか……。


 瞬間、眼前に何かが飛んできた。怪物の触手だ。咄嗟に避けるが避けきれない。左の目玉を抉られた。激痛と共に視界が消える。考える時間などない。

 次の攻撃が迫っていた。けれど、反応できない。脇腹から殴りつけられ、大きく後ろに飛ばされる。骨の折れる音が全身に響き、直後、地面に落下する。

 受け身など取れるはずもなく、そのまま叩きつけられた。息が止まる。呼吸ができない。脳が激しく揺さぶられ、意識まで飛びそうになる。

「がはぁ……ぐ……あぁ」

 口と鼻から血が溢れていた。当然、掠め取られた左眼からも血が流れている。

 力を振り絞り、顔を起こすと、化け物は触手を処構わず振り回していた。先ほどの攻撃は姫月を狙ったものではなく、たまたま当たっただけかもしれない。それでも脅威であることには違いない。回復魔法を自分にかけるが、血が止まった位で効果が実感できなかった。全身の痛みは増すばかりで、骨の再生は覚束ない。眼球は諦めるしかないだろう。ファムの回復魔法だったら、と余計なことを考えてしまう自分が情けない。

「ブレットモード! ファイアー!」

 姫月のミスリルデバイスが銃機構に変化し、渾身の魔力を込めた弾丸が発射される。高速で飛ぶエネルギーの塊。空気を切り裂き、うねる旋風を引き起こしながら、対象に向かって突き進む。化け物の体中央を完全に捉えていた。が、突然その姿を消した。本体に届く前に触手で撃ち落とされ、掻き消えてしまった。

 そのまま、何度も打ち続ける。しかし、化け物には届かない。

―懐に入られなければ、当てることができない。

 それは事実上不可能なことだ。

 姫月は体を引きずりながら、怪物の側まで近寄る。触手の間合いに入らないよう気をつけながら、怪物までの距離を測った。

 物の残骸が、道を複雑にしており、一気に近づくのは無理だろう。崩れた石壁だけでなく、ティーカップの破片から、潰れたアップルパイまで様々な物が転がっている。

―やるしか……ないわね。

 姫月は、深呼吸をすると再びデバイスに魔力を込めた。先ほどと同等以上に魔力を溜め込み、機を待つ。

 目の前を激しく交差する触手の風圧が、タイミングを教えてくれた。

―今だ!

 姫月は飛び出し、弾丸を放つ。今度は一撃ではない。溜めたエネルギーを小出しにして、複数の部位に向けて連射した。

 あまりにも弱い威力。当たったところで、どうということはない。にも関わらず、化け物はそれを一つ一つ律儀に撃ち落とした。

 姫月の狙いが通り、攻撃の手が僅かに空く。その隙に、姫月は、潰れたアップルパイの欠片を拾った。

 これには、姫月を操るための精神支配薬が仕込まれていたはず。

 魔物は、体勢を整えると、再び暴れるように触手を動かす。魔物の肉塊に散らばった全ての目が、姫月を見ていた。

 狙われている。わかっているが、そう何度も接近できる相手ではない。

 そのまま姫月は全力で駆けた。黒い髪を背に棚引かせ、右へ左へ攻撃を躱しつつ疾走する。

 本来、避けれる攻撃では無いのだが、近づいたことが幸いしていた。魔獣は、長すぎる触手が災いし、体近くで勢いをつけられずにいる。

 あと、もう少し。一歩大きく飛べば怪物の懐。それが気の緩みになった。

 回り込んだ触手が、姫月の後ろからその脇腹の肉を奪っていく。その衝撃で、奇しくも怪物の目の前に飛ばされた。

 迫る魔獣の口。涎とも胃液ともつかぬ液体を垂れ流し、姫月を丸呑みしようと待ち構えている。


 姫月には、わかっていた。ファムが、姫月を生け贄に魔獣を召喚した後、どうやって使役するつもりでいたのか。どうやって、薬を魔物の体内へ入れるつもりだったのか。

 魔獣の好物は人間だ。

「これが欲しいでしょう!!」

 姫月は、アップルパイを自分の腕ごと魔獣の口の中へ突っ込む。ファムの場合は、薬を人肉に混ぜた形で用意していたはずだ。しかし、姫月の手元にそんなものはない。ならば、自分が食べられるしかない。腕一本無くすつもりだった。

「止まれ! 動くな!!」

 怪物に向かって何度も叫んだ。気づけば化け物に動きが無い。恐る恐る、ゆっくりと自分の手を引き抜く。アップルパイは消化されていたが、姫月の手は、指先までしっかり残っていた。

 だからといって安堵している暇はない。姫月は、ミスリルデバイスで、ひたすら撃ち続ける。目の前からのゼロ距離射撃。手ごたえは全く無い。呻き声も、身悶えもせず、魔力の弾丸をその体で受け止めていく。濁った深緑色の液体を、傷口からまき散らし、悠然と耐えている。

「はぁあああ!!」

 デバイスを短剣に戻し、思いっきり刺した。相変わらず、化け物は身動き一つしなかった。

 姫月は、息切れを起こしながら、怪物にもたれかかる。

 体力も限界だったが、言い知れぬ罪悪感が姫月を襲っていた。無抵抗の相手に一方的な暴力を振るわなくてならないという苦痛。だが、怪物に食べさせた薬の量は僅か。いつ切れるかわからない以上、このまま放置するわけにはいかない。

 姫月は、罪深い言葉を吐きだすしかなかった。

「お願い……死ん……で」

 怪物は動きを取り戻したかと思うと、無数の触手を体に引き戻す。寄りかかったままの姫月の体を避けるように、次々と触手を自分に対して突き刺していった。徐々に体中にあった怪物の瞳から光が失われていき、濁った水晶体へ変わっていく。

 今度こそ確実に息の根を止めることができた……。

「ごめんなさい……」

 姫月は、怪物に抱きつくと謝罪の言葉を述べた。それはファムへでもあり、怪物へでもある。この化け物も、好き好んでこの地に来たわけではない。強引に呼び出されたから来たのだ。姫月を襲ってきたのも、子供が駄々を捏ねるようなものだったのかもしれない。泣きじゃくりながら、手当り次第に腕を振り回していただけかもしれない。それなのに、殺された。殺意を向けられ、自殺へと追い込まれた。

「ごめんね……」

 もう一度、謝り。皮膚の表面を優しく撫でた。硬い肉厚。ごつごつとして、ざらついてる。自分に回復魔法をかけながら、寄り添い続けた。 

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