013
次の日の放課後、姫月は自分の部屋に戻るべく、寮の廊下を歩いていた。今日はファムと共に、ニコルとマチルダから詳しい話を聞いたものの収穫は無し。ギルメロイからも話を聞きたかったが、どうも避けられているようで、捕まえることができなかった。
一方、シェリーは相変わらず落ち込んでいるかと思えば、別の場所では楽しそうに騒いでおり、躁鬱病の患者のようで、とうとう精神に異常を来したのかと心配になるほどだった。しかも、やけにフットワークが軽く、『鏡の間』に居たかと思えば、教室に戻っており、かと思えばグランドを男子と歩いている。この前とは違う男の子だ。しかも、昨日騎士科の教室の前で目を合わせたことを忘れている風で、話しかけても的を得ない感じだった。これが年寄なら、いよいよかと覚悟を決めるところだが、シェリーはまだ若い。不思議は不思議でも、姫月にはやるべきことがあったので、心配しつつ放っておくしかなかった。
部屋の前まで来ると扉をノックする。相部屋のマナーみたいなもので、特に返答を期待したわけではない。ところが、突然部屋の中で大掃除でも開始したような物音が起こった。
「どうしたの? 入るわよ」
怪訝に思いつつ、ドアを開けるとシェリーが布きれを一枚纏った状態でベッドの横に立っている。一瞬、男を部屋に連れ込んだのかと警戒してみたが、窓は閉まったままで、隠れる場所も特にない。
「もしかして着替えていたの?」
「え……、う、うん。そうよ」
あからさまに動揺していて、疑って下さいと言わんばかりの様子。
「そういえば、いつ部屋に戻ったの? 私の方が先に学院を出たつもりだったけど」
「えっと、そうだっけ? あははは。何でだろうね」
とりあえず、じーっと見つめみた。シェリーの方も微動だにせずこちらを見ている。心なしか、頬から汗が垂れていた。
「どうしたのよ。早く着替えれば? そんな格好のままいたら風邪引くわよ?」
「え、で、でもだって、姫月……が見てるし……」
照れているのだろうか。シェリーらしくない。
「何よ。普段は人の胸を散々触る癖に、自分の時は恥ずかしがるわけ?」
シェリーは、えっ、と驚くと、生唾を呑み込んだ。
「私……普段、胸を触ってるっけ?」
「別に毎日って意味じゃないけど……触ってるでしょう?」
「……そ、そういえば、そうだったわ。触っていいのよね?」
シェリーは、左手で布を抑えながら、右手を伸ばした。息づかいが荒くなり、目つきが怖くなっている。
「誰も触らせあげるとは言ってないわよ……」
そう告げると、シェリーは意気消沈の面持ちで、項垂れてしまった。もっと自然な形でやるべきだったとか何とか、ぶつぶつと後悔の独り言を続けている。
どうも調子が狂ってしまう。いつにも増して変だ。
「ねぇ、シェリー。いつもと様子が違うけど、どうかしたの?」
「え、え!? 変? そ、そんなことないけど」
一昨日の晩が関係しているのだろうか。それにしても妙な慌てぶりに見える。
「私に何か隠し事をしているんじゃないの?」
「ま、まさか……いやね…いやだわ」
もじもじとするばかりで、埒が明かない。そもそもシェリーは、一向に着替え始めようとしなかった。
「いい加減、着替えたらどうなの?」
姫月は強引に布を剥ぎ取った。シェリーは抵抗を見せたが、思ったより力が強くない。上や下を手で隠そうとする分、全力を出せなかったようだ。
一糸纏わぬ裸体となったシェリーは、妙に初々しいというか、普段のシェリーにはない、恥じらいの色気を醸している。
すらりとした下半身に、膨よかな上半身。シェリーは急いで、ベッドの上にあったブラウスを羽織ると、前を手で隠す。
その時、何か見てはいけないものが目についた。
シェリーの下半身に、何やら見慣れぬ物がついている。
姫月の驚いた視線から、シェリーも気付かれたことを悟っているようだった。
そして、必死の言い訳をする。
「こ、これは……尻尾だぴょん」
確かに尻尾が生えている。お尻の後ろにふさふさとした黄色い尾が見えた。その先だけ、白く染め直したように色味がない。しかし、前に生えている物は、尻尾じゃない。孤児院で、年下の男の子の面倒を見ていたので知っている。そう、あれは間違いなく……。
「そこまでにしておいて貰おうかしら」
背後からの声。振り返ると、銃口が、自分の頭部を狙っている。
「シェリーが二人? ということは、こっちの……は……はえてる方は偽物ってことね」
とりあえず、その場所を指差してみた。少しだけ恥ずかしかった。
「ご明察。そっちは弟のフォックス。といっても双子じゃないわよ。変化が得意だから私に化けてもらってるの。色々便利な能力なのよね」
偽シェリーあらためフォックスは、変化を解くと、体がみるみる縮んでいった。髪の毛も、手足も、どんどん短くなり、小さな男の子に戻っている。まだ子供だ。
シェリーと同じ金色でサラサラの髪質。潤みを帯びた青い瞳。一回り大きいシェリーのブラウスに着られているといった形で、どこからどう見てもシェリーと同じ遺伝子を受け継いでいる。ただ、違いがあるとすれば、頭の上には耳が生えていて、臀部に尻尾があることだろう。尾っぽが右へいったり左へいったり、ふるふると、意思をもって揺れていた。
「亜人種なの?」
「いやねぇ、その呼び名。私たちは森の民って呼んでるけど、まぁそうよ。異端審問会に突き出す? 私達は異端の存在だからね」
シェリーは銃の引き金に手をかけたまま、動こうとしない。それを見ている姫月も動くことができなかった。
「突き出すかどうかを検討するにあたって、質問が三つあるのだけど」
「何かしら?」
「一つ目は、この前の生徒失踪事件及び、魔獣惨殺事件。これにあなた達は関与しているのかしら?」
「してないわ。私が窓から部屋に戻った夜のことを言ってるんでしょうけど、あれはお腹が空いたから、山にいる獣を食べに行っただけ。当然、人間も食べれるけど、他に食べ物があるときに、わざわざ食べたりしないわよ」
「そう。じゃあ二つ目。なぜあなたは危険を冒してまで、この学校に入学したの? バレたら無事じゃ済まないのに」
「それは……そうね。言ってしまえばスパイよ。敵の動向を探るには懐に潜り込むのが一番でしょう? だから、私はここに送り込まれたの。あと一つは何? さっさとしてくれない? いい加減、手が疲れてきたの」
「そうね……じゃあ三つ目。私は今でもあなたのことを友達だと思っているのだけれど、あなたはどうなのかしら?」
シェリーは目を見開くと、そのまま姫月を睨んだ。次第に堪え切れなくなったのか、一笑すると、銃を下ろして短剣に戻す。
「全く、あんたらしいわ。どうしようか悩んだこっちが馬鹿みたい」
そのままミスリルダガーを鞘に仕舞って、姫月に抱き付いた。互いの胸を押し付け合いながら、体を引き寄せ合う、体温の交換。
暫くそうした後、壁が無くなったところで、姫月が再び質問した。
「そういえば、前に私を本気で食べようとしたことがない?」
「あれ? バレてた? いやー、ごめんね。あはははは」
シェリーは頭を掻きながら笑う。姫月もつられてクスっと笑った。
笑いごとじゃなかった。
「ちなみに、弟が変化しても、体が中途半端に男のままなのは、訳があるのよ」
「訳? どんな? 変化の制約とか?」
「違う違う。こいつ、女の体をよく見たことがないの」
姫月は目が点になった。フォックスはその隣で、恥ずかしそうに目を瞑ったまま震えている。
「だから、姫月。こいつに女の体がどういうものか見せてやってよ。子供だから大丈夫でしょう?」
姫月は一瞬、フォックスと目を合わせた。フォックスは、すぐに目を反らし、穴があったら入りたいと言わんばかりに縮こまっている。
「なんで私なのよ……」
「だって、私は姉よ。姉が弟に裸のままポーズを決めて、隅々まで見せるなんて、ちょっと不味くない? それにほら、私達森の民って近親交配が多いから、気をつけないとすぐ……言わなくてもわかるでしょう?」
珍しく、シェリーも照れているようで、目線を外したまま、頬を人指し指で掻いている。気まずそうに照れ合う、シェリーとフォックスを見て姫月は思った。
―何なの……この姉弟……。
「お願い、姫月。弟を! 弟を! 男にしてやってつかーさい!」
シェリーは両手を合わせたまま、土下座する。
「ほら、フォックス。姉ちゃんは、あんたのためにお願いしてるんだから、あんたもお願いしなさい!」
フォックスは両手で前を隠したまま、顔を真っ赤にして頭を下げる。
「……おね……お願いします。ボクに……ボクに裸を見せて下さい! もっと完璧に化けれるようになりたいんです!」
フォックスは思いのほか愛らしく、母性本能をくすぐられている気がする。シェリーにとっても、可愛い弟なんだろう。
「私は、昔から小さい子達のお風呂の面倒とか見てたから、裸を見せることにそれほど抵抗はないけど……」
「だったら! ね? 姫月お願い!」
シェリーとフォックスは捨てられた子犬のような目で、こちらを見ている。
「そもそも、そこまでする義理はないわ」
二人は消沈した。姉弟という話が嘘とは思えない揃いっぷりで。




