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桜雫

作者: 蒼狗

 雪が降り積もる、とある山。

 そこに薪を抱え、赤い着物を着た少女が歩いていた。

 少女は笠を被り、うっすらと降っている雪をしのいでいる。

「キャ!」

 突然、風が吹き荒れ、先程までの温かな陽射しが嘘であるかのように、雪が降り出してくる。

 少女は歩みを速め、笠を更に深く被る。

「あ……」

 少女が目線を上げると、目の前に一つの洞窟がぽっかりと口を開けていた。

 少女は迷わず、洞窟に入って行く。

 少女は洞窟に入ると奥の暗闇に多少の恐怖心を抱き、震える。

 しかし寒さのほうが勝ったのか、身体に着いた雪を払い、ほっと一息つく。

「ふぅ……いきなり降ってきたなぁ」

 少女は、洞窟の外を見て、ポツリと呟く。

 いくら洞窟の中で雪がしのげたとしても寒く、少女手をすり合わせる。

 一連の動作を繰り返すと暖まったのか、また洞窟の外を見る。

「どうしよう。このままじゃ、日が落ちる前に帰れない」

 少女は不安そうな顔で呟くと、ため息をつく。

 その表情からは、明らかな不安と焦りが伺える。

「誰だ!! そこにいるのは」

 突然、洞窟の奥の暗闇から警戒に満ちた声が響き渡り、少女はその場に座り込んでしまう。

 暗闇の奥から、ゆっくりと足音が近づいて来る。

 少女は足音の正体が何なのか分からず、自身の体を抱き抱えて更に震える。

「なんだ人か」

 暗闇の中から人が現れると、少女は安心して肩を撫で下ろす。

 この界隈には珍しい高身長の無骨な男。男の眼孔は険しく、熊と言われればそのまま納得してしまいそうな容姿である。その鋭い視線に少女は萎縮してしまう。

「…………!?」

 だが、少女は男の肌を見ると相手の視線のことなど忘れ、ポカンと口を開く。

 氷。服から剥き出しになった男の肌には、ところどころを氷が覆っていたからである。

 普通の人間であればあり得ないことに少女は、言葉を失う。

「まぁいい。熊だろうが人だろうがさっさと出て行け。ここはお前等がくる場所じゃない」

 男はぶっきらぼうに言うと、右手で払う動作をする。

「へ? あ……でも……」

 男の言葉にハッとした少女は洞窟の外をちらりと見、男に不安そうな視線を向ける。

 しかし、男は少女を鋭く睨みつける。

 少女は体を震わせると、次第に目の端に涙をため鼻を啜り始める。

「は? いや……」

「ええええええええん!」

 少女が泣き出し、その余りにも大きい泣き声に男は耳をふさぐ。

 男は耳を塞いだまま少女に近づくと、何気なく洞窟の外を見る。

「そういうことか……」

 男は頭をかきながら、足下で泣く少女の目線にしゃがみ込む。

「おい、がきんちょ。分かったから、吹雪が止むまで休んでいけ!」

 少女の泣き声に対抗するために、ありったけの声で叫ぶ男。

(まったく……こんな小さな体から、どうすればこんな大きな声が出るんだ)

 男がそんなことを考えていると、少女は次第に泣き止み、洞窟には少女の鼻を啜る音だけが響く。

「いいん……ヒック……ですか? ヒック……」

 少女は鼻を啜りながら、真っ赤になった目で男を見つめる。

 男は目線をはずし立ち上がる。

「ああ、だからもう泣くな。こっちの耳が壊れてしまう」

 男の言葉の端節からは苛立ちのような感情が感じられ、少女はびくびくと体を震わせる。

「ヒック……すみません」

 やはり我慢できないのか、少女はまた泣き出しそうになる。

「ああ、もう……」

 男はめんどくさそうに呟くと、振り返り奥の方に行こうとする。

「あのっ!」

 少女は泣き出しそうになるのを堪えつつ、何とか声を振り絞る。

「ここだと怖いので、一緒にいてもいいですか?」

 男はまた、めんどくさそうにため息をつく。一瞬ほっとこうかと思ったが、先ほどの泣き声を思い出し、少女を奥の方へ手招く。

 少女は涙を拭いながら、立ち上がると男の元へ小さな足取りで近づいていく。




 洞窟の奥にたどり着いた少女は思わず感嘆の声を漏らす。

 どこからどう見ても、普通の民家の一室であり、ここが洞窟の奥にはとうてい思えなかった。

「そこらへんに適当に座っとけ。がきんちょ」

 男はそう言って、畳みに上がる。

 よく見ると、男は素足のまま洞窟の中を歩いていたのか、履物を履いていなかった。

 男の発言に、少女は頬を膨らませる。

「がきんちょじゃありません! 私には、きちんと桜という、列記とした、名前があるのです」

 桜と名乗った少女は、深沓を脱いで畳みに足を置く。 桜は囲炉裏に手を向け暖をとる。

「ところであなたの名前は何ですか? どうしてこんな所に住んでいるのですか?」

 桜は暖かさに安心したのか、不思議そうな顔をして男に尋ねる。

 男は桜の質問を聞き、きょとんとした表情になる。

「あ……あの……私、何か変なこと聞きましたか?」

 桜は男の反応を見て慌て始める。

「いや、なんでもない。名は氷石という」

「では氷石さんは何故このような場所に住んでいるのですか?」

「何故も何もこれのおかげに決まっているだろう?」

 氷石は自分のむき出しになった肌をトントンと指でたたく。

 桜は首を傾げながら、うぅんとうなり声をあげる。

「それは何かのご病気なのですか? 初めて見た時は驚きましたけど」

 自身の肌をまじまじと見てくる桜に我慢できず、氷石は吹き出し大声で笑い出す。

「ど、どうしたのですか!?」

「いや、すまない。ぷっハハハハハハハ! そうか病気か!」

 突如として狂ったように笑いだした氷石に、おろおろと戸惑う桜。

「いやいやすまん。今までは俺のこれを見るなり雪男だと言って人は逃げたからな」

「えっえっ!? 氷石さんは雪男なのですか!?」

 驚く桜に対して氷石は寂しそうな顔をする。

「……さぁな。物心つくかどうかの時にこの山に捨てられた。気づいたら雪男と指を差されて言われたな」

 いったん言葉を切ると、氷石は囲炉裏に薪をくべる。

「この氷もその頃からずっと剥がれない。春になろうが夏になろうが、秋になろうがどの季節でもこうだ。もっとも、夏と秋は寝ていることが多いし、今となってはどうでも……ってうおっ!?」

 真横で瞳を潤ませている桜を見た氷石は、驚いて変な声を上げる。

「氷石さんかわいそうです……そんなひどい目に会ってたなんて」

 必死に涙を堪えようとする桜に氷石は絶句する。

「……よく人のこんな話で泣けるな。そもそも子供にこんなに同情される俺も俺だが」

 氷石の言葉に反応した桜は、目を滲ませながら氷石を睨む。

「子供じゃないです! 私はこう見えて二十一を迎えているのです!」

 湯呑みにお茶を注ごうとしていた氷石は急須を落としそうになる。

「二十一!? なんの冗談だそれは!?」

「冗談ではありません!」

 氷石は隣にこぢんまりと座る桜の姿をまじまじと見る。氷石の見立てでは桜の年齢は十六程度。それでなくても高めの声とあどけない表情、そして人形のような小さな手を見ると目の前にいる少女が二十一には見えない。十六でも多く見積もったほうであろう。

「……そろそろ吹雪が晴れるな」

「話を逸らしましたね!?」

「いや、そうではない。実際にこれくらいの時間帯になると、自然と山の天気が晴れるんだ」

 氷石は少しだけ茶をすすると、ゆっくりとした動作で立ち上がる。そのまま畳から降り、暗い洞窟の中に消えていく。

 桜はいつの間にか差し出されていたお茶をひと思いに飲み干し、深沓を履き、笹傘を持って追いかけて行った。



「うわ……本当ですね」

「だから言っただろ」

 桜は洞窟から出ると晴れ渡った空を仰ぐ。

 足下には今降った新雪が積もり、雪を踏むと出る独特の音を鳴らしている。

「一人で帰れるか?」

「子供扱いしないでください」

 桜は頬を膨ますと氷石よりも一歩前に出る。

「あ、明日また来てもいいですか?」

「……何?」

 洞窟に迷い込んだ時と同様の冷たい声を投げかけられ、桜は体を震わす。

 恐る恐るといった手つきで桜は氷石の足下を指さす。

「履物……履物がないと寒いですよ。家から持ってきますよ?」

「……はぁ、別に必要はないが」

「いいから持ってきます!」

 突然桜が叫んだので、氷石は思わず目を丸くした。

「あの……村では話し相手がいないので」

「……両親はいないのか?」

 元気そうだった桜の顔に暗い表情が落ちる。

「父と母は四年前に亡くなりました……」

「……そうか」

 氷石はそれだけを言うと顎に手をやり考え始める。

「仕方がない。来てもいいぞ」

「本当ですか!」

「ただし食料を少し持ってくること。冬は食う物が少ないからな」

 ちょっとした意地悪のつもりだったのだが、桜はそんなことは気にせず、明るい表情でくるくると回る。

「ありがとうございます! では、明日また来ますね!」

 桜は積もった雪をかき分けながら進んでいく。

 ふと、何があったのか立ち止まり、振り向くと氷石に向かって叫ぶ。

「氷石さん! そういえば、雪が融けるとどうなるか知っていますか?」

「あぁ? そんなもの水になるに決まっているだろう」

「違いますよ!」

 桜は楽しげに子供っぽい笑顔を浮かべる。

「雪が融けると春になるのですよお!」

 笑い声を残して、桜は雪の森の中に消えていく。

「……雪が融けると……春か」

 氷石は自分の肌にそっと触れる。気づいたときにはそこにあり、剥がれることのない氷。

「氷が融けても……春は来るのかね……」

 誰にも聞こえない声でつぶやくと、氷石は洞窟の闇に消えていった。



 次の日。桜は宣言通りに少しの干し肉と草履を持って氷石の元に訪れた。

 その次の日も、また次の日も。その日によって桜が氷石の元に持って来るものは違っていた。

 時には母から貰った簪。時には父から貰った琥珀色のきれいな石。

 それにまつわる話をするときの桜の表情は眩しく、それを聞いていた氷石も明るい気持ちになっていった。

 桜が氷石の元に遊びに来るのが習慣となってから一月後。

 ちょうど弥生の初め。

 いつも通り桜は氷石の元に遊びに来ていた。

「気をつけて帰れよ。桜」

「大丈夫だよ、氷石さん。いつまでも子供扱いしないでよ」

 桜はその場でくるりと一回転する。

 今日着てきたかわいらしい桜色の着物がふわりと空中に浮く。

 父と母が十四の誕生日にくれたというそれは、桜にとても似合い、その話をする桜の表情はいつにもまして明るかった。

 笑顔で桜を送った氷石は、洞窟の中に戻ろうとするが、ふと何かを思い出し立ち止まる。

「そういえば……食料がだいぶなくなっていたな。桜はあのちんちくりんな(なり)で結構食うからな」

 氷石はじゃりっと床を蹴る音と共に、再び洞窟の外にでる。その足には桜が持ってきた草履が履かれていた。

「今の時期だと猪がどこかにいるか……」

 氷石は猪がいる山奥の場所へと歩いていった。




「やはりなかなか年がら年中いるわけではないな」

 猪がいる場所をあらかた探し終えた氷石は、ため息をつきながら獣道を歩く。

 歩きながらもどこかに食料になりそうな物がないか探すが……

「さすがは冬の山。何年も生きているが、食べ物なんてあるわけないか」

 期待を裏切られたわけではないのだが、若干肩を落とす氷石。

 落ち込む氷石の視界に端に、冬の山には本来居ない存在が写る。

「あれは……数年前にここらをうろついていた盗賊じゃないか」

 氷石は近くに自身の大柄な体を隠すにちょうどいい木陰を見つけ、そこに倒れて盗賊の様子を見る。

 盗賊の人数は七人。

「村の方はどうだった?」

「あぁ、倉庫にたんまりと食べ物を保管していたぜ」

「それじゃあ今夜村に火をつけて、混乱している最中にいただくとするか」

(なっ!! こいつら……!!)

 氷石の中で何かが壊れる音が響く。

 同時に氷石は立ち上がり、盗賊たちに殴りかかろうとする。が……

「うぅ!」

 氷石の背中に走る鋭い痛み。倒れまいと膝を突き背後を見ると、そこには弓を構える人影がいた。

 そして、再び背中に激痛が走る。

 声も出さずに氷石はその場に倒れる。

 氷石を射った盗賊は、氷石の元へ行くと背中を踏みつけ動かないのを確認する。

「人が居たぞ! 気をつけろ!」

「何! すまんすまん」

「こいつどうするか?」

「ほっとけ。どうせ動くことはできないだろう」

 氷石の意識が段々と遠のいていく。

(桜……逃げろ……)

 声にならない願いを思い、氷石の意識は閉ざされた。




 弥生の初めの夜。

 ある山奥の村で、突然炎があがった。

 炎は乾燥した冬の空気と、北風によって瞬く間に村へ広がった。

 村の人々は逃げまどい、村の外へと逃げていく。

 逃げ終えた人々の中の一人が、息も切れ切れになって叫ぶ。

 皆逃げることができたか、と。

 一人の女性が切羽詰まった様子で叫んだ。

 女の子が。死んだ商人さんの娘さんが見あたらない、と。

 人々はざわめく。

 すでに村は火の海。

 もし助けに行ったとしても、どちらも助かることはない。

 そんな中、森の中から二メートルを越す大柄な男が現れる。

 男の背中には矢が刺さり、今にも倒れそうな顔色をしていた。

 男は近くにいた村人の胸ぐらをつかむと、何かを叫ぶ。

 村人が炎の中を指さすと、男は村人を離し、人々が止めるのを無視して炎の中につっこんでいった。

 後に残ったのは轟々と燃える炎の音と、呆然とする人々だけであった。




 明け方。

 日が昇ると同時に、見るも無惨な村の姿が浮かび上がった。

 村人達は、炎に突っ込んでいった男と取り残された少女の姿を探す。

 絶望をその胸に感じながら。

 だが、村の中央の開けた場所に煤だらけの少女の姿を確認すると、人々の表情に明るさが戻る。

 人々の一人が近寄って呼びかけると、少女はゆっくりと目を開ける。そして口を開く。

「氷石さんは……何処……?」

 少女は泣きじゃくりながら、自分を見ている人々に同じ質問をぶつける。

 だが、誰もが首を横に振る。

 その度に少女の目からは涙がこぼれ、地面に吸い込まれていく。

 珍しく晴れた冬の終わりの朝。

 人々の表情は重く、なにもなくなった村からは少女の泣き声が延々と響いていた。

 延々と、涙が枯れるまで。




 一週間後。

 所々に痛々しい包帯を巻いた桜は、氷石の住んでいた洞窟の奥にいた。

 格好は一週間前と同じ桜色の着物。なにもかもが燃えてしまった中、この着物だけが奇跡的に残っていた。

「氷石さん……冬が……終わりますよ……」

 誰もいない空間に向かって、掠れた声で桜は呟く。

「春が来ますよ……桜の……季節ですよ……」

 一言一言、言葉を紡ぐ度に桜の目には涙が溜まっていく。

 次第に涙は溢れ、桜一人だけが座る畳に落ちていく。

 桜は黙って立ち上がると、履物を履かずにそのまま洞窟を出ていく。

 洞窟の出口に出ると、桜は青々とした空を見上げる。

 火事があった晩から雪は全く降っていない。

 そのためか、桜の足下に雪はなく地面が顔を出している。

「まるで……氷石さんが……雪をつれていったみたいですね……」

 桜の目には再び涙が溜まり、ポロポロとこぼれ出す。

「氷石さん……氷石さん……何処に行っちゃったんですか……」

 桜は鼻をすすり、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていく。

「おいおい、俺がどうしたって?」

 桜の耳が懐かしい声を捕らえる。

 辺りを見回す桜の目が、自然と目の前に立つ人に吸い込まれていく。

「……どこに……行っていたんですか……」

 再び桜の目が涙で潤む。

「ちょっと、桜が言っていたことを確かめにな……」

 桜の体を大きな腕が包む。

「なぁ、桜。雪が融けるとどうなるんだっけな」

「そ、そんなの簡単です」

――春になるのです


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