第5話:紅蓮の女帝の帰還
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とあるよく晴れた日。
ヴァーミリオン家の玄関には、巨大な荷物が運び込まれていた。
長さ十メートルはあろうかという、氷漬けの塊。中には触手が無数に生えた巨大クラーケンが封じられている。北の海に生息する、討伐困難な凶暴魔物だ。
荷物の札には、エレオノーラ・ヴァーミリオンの署名。
一年に渡る遠征から、本日ついにこの家の女主人が帰ってくる。
リリアは、お土産の巨大クラーケンに目を輝かせた。今夜はクラーケン三昧のフルコース。母を囲んでの楽しい食事会の予定だった。
一方――サロンでは、この家の男たちが青ざめていた。
「マズいぞ! 言い訳を考えねば!!」
「今回はお義父上の単独行動ですから、我々は言い訳など……」
「阿呆! そんな言い訳が通用するか!? 全員、一蓮托生じゃ!!!」
普段は威風堂々としているこの国の最高戦力たちが、顔を寄せ合い、揃って震えている。
理由は明白。
ヴァーミリオン家の真の支配者、『紅蓮の女帝』エレオノーラの帰還だ。
***
その日の夕刻、栗色の長髪を優雅になびかせた背の高い女性が屋敷に到着した。
クールビューティーな容貌。一見すると華奢に見えるが、よく見ればしなやかな筋肉が美しい。ドラゴンスレイヤーに育てられただけはある、立派なマッチョレディだ。ただし一見してそうは見えない分、タチが悪い。見た目詐欺。初見だけレディ。それが、ヴァーミリオン家の女主人エレオノーラという人だった。
「お帰りなさい! お母様」
エレオノーラは嬉しそうに駆け寄ってくる娘リリアを優しく抱きしめ、再会を喜んだ。その後ろで固まっている男たちにも、にっこりと微笑んで帰還の挨拶を述べる。
その笑顔は、あまりにも美しく、そして恐ろしい。
ガルドは視線を逸らした。ガロンは震える声で「お、お帰り、エレオノーラ」と声をかけた。叔父バルトと息子たちは大柄な二人の陰に隠れ、小さな声で「おかえりなさい」と言うのが精一杯だった。
***
夜、食卓に並べられたのはクラーケンのフルコース。
刺身、焼き物、スープ、唐揚げ、グラタン。リリアは目を輝かせて料理を楽しんでいる。エレオノーラも穏やかに微笑み、せがまれるままに旅先での話を語った。出会った人々のこと、珍しい食べ物、北の海の様子、そして巨大クラーケンとの死闘。
リリアはどの話にも目を輝かせ、楽しそうに耳を傾けている。
対照的に、男たちの箸は震えていた。
よく見れば、せっかくの料理もあまり喉を通っていないようだった。
男たちの心情を他所に、食事の時間が終わる。
一同は食後のお茶を楽しむため、揃ってサロンへと場所を移した。
エレオノーラの隣にリリアが座り、テーブルを囲むように全員が腰を下ろした。
執事のセバスチャンが紅茶を配り終え、部屋の隅に控えると、エレオノーラが徐に口を開いた。
「さて」
エレオノーラが、優雅に紅茶を口に運ぶ。
「まずは、王宮との交渉結果をご報告しますね」
「こ、交渉……?」
ガロンが、恐る恐る聞いた。
「ええ。帰還途中に王都に寄って、色々と取り決めてきましたの」
エレオノーラが、にっこりと笑う。
「まず、王家から正式な謝罪を取り付けました」
エレオノーラが、書類を取り出す。
「『今回の婚約破棄において、非はセドリック側にあり、リリア・ヴァーミリオンには一切の瑕疵はない』との公式声明が出されることになったわ」
「おお……」
「さすが義姉上……」
「そうそう、そのセドリック殿下だけど、今回の責任をとって臣籍降下することが決まったわ。次の王太子には弟君が立たれるそうよ」
「ほお」
「次に、慰謝料について」
エレオノーラが、淡々と続ける。
「ヴァーミリオン家は、今後六年間――婚約期間と同じ期間ですわね――国に納める税金の三割を減免されます」
「三割……!?」
ガロンが、目を見開いた。
「それは……かなりの額では……」
「当然よ」
エレオノーラが、冷たく微笑んだ。
「六年間もリリアの時間を奪ったのよ? その価値を考えたら、安いくらいだわ。本当はもっと取れたけれど、これでも穏便に済ませてあげたのよ」
私も優しくなったものね、と笑うエレオノーラ。
「「「「「……」」」」」
穏便……?
これで穏便……?
「そして、リリア個人への慰謝料として」
エレオノーラが、さらに続けた。
「リリアの婚姻相手には、男爵位が授けられます。その爵位は、リリアの産んだ子に継承が認められます」
「それは……」
今度はガルドが、目を見開いた。
「つまり、リリアが誰と結婚しても、貴族の身分が保証されるということか」
「ええ」
エレオノーラが、柔らかく微笑んだ。
「リリアの将来の選択肢を、できるだけ広げてあげたかったの。平民と結婚しても、リリアは貴族のままでいられる。身分の違いで諦める必要はない、ということよ」
「……お母様!」
リリアは感極まったような声を漏らし、母親にしがみついた。その頭を優しく撫でながら、エレオノーラはリリアに語りかける。
「長い間よく頑張ったわね、リリア。これは、そんなあなたに対する王家からの謝罪であると共に、私からのご褒美よ。これからは、あなたの思うように生きなさい。何か仕事を始めてもいいし、誰と一緒になってもいいの。もちろん、今すぐに決めなくてもいいのよ。一生独身だって、構わない。でも、爵位があれば、諦めなくていいこともあると思うの。あなたの可能性を広げるためのもの、とでも考えてくれればいいのよ」
「ありがとうございます、お母様」
感動的で温かい母娘の語らいに、部屋中がほんわかした空気に包まれた。
ひとしきり母親の腕の中で泣いたリリアが、「少しお化粧を直してきます」と席を立つ。
――その時までは。
バタン。
扉が閉まる音が響いた瞬間、サロンを静寂が包んだ。
コチ、コチ、コチ……。
重く張りつめた空気の中、柱時計の針が時を刻む音だけがやけに鮮明に響く。
背筋を冷たいものが走った。
男たちは思わず、エレオノーラへと視線を向ける。
――彼女もまた、静かに彼らを見つめ返していた。
先ほどまでの穏やかな微笑みは消え、冷たく鋭い眼差しがテーブルを囲む男たちを一人ずつ射抜いていく。
やがてエレオノーラが、優雅な所作でテーブルに手をついた。
「――さて」
その瞬間、シュパッ。
男たちの身体が同時に動き、全員が床に正座していた。
この国の最高戦力が、一列に並び、ぎゅっと握った手を膝に置いて、揃って床に座っている。大きな身体を極限まで縮こまらせ、震え上がる様はまさに蛇に睨まれた蛙の集団だ。
エレオノーラは嫣然と微笑んだ。
「さて、父上。それから旦那様。あなた達も。申し開きがあるなら、聞いてあげるわよ」
優秀な密偵ネットワークを持つ彼女は、すべてを把握している。
エレオノーラは控えていたセバスチャンから書類の束を受け取り、彼女不在の間の問題行動について、一つ一つ読み上げ始めた。
***
ガルドは視線を宙に彷徨わせた。ガロンは額の汗を拭った。バルトは膝の上で握った拳を一心不乱に見つめている。レオンとカイルは、ただただ小さくなって俯いていた。
エレオノーラは穏やかに、しかし淡々と事実確認をし、その一つ一つについて問題点を指摘していく。
王宮制圧について。力任せすぎる。もっとスマートにやるべきだった。
ガロンたちに対しては、止められなかったのなら、知らせを王宮に出すべきだったとか、後を追ってフォローをするべきだった、など。
彼女は「やったこと」ではなく、「やり方」について淡々と意見を述べていく。
その指摘はあまりにも的確で、返す言葉は誰からも上がらなかった。
一通りの事実確認が終わると、エレオノーラがゆっくりと立ち上がった。
その気配に、つられるように視線を上げると、その瞳に紅い炎が灯っているのが見えた。
「ヤバイ!」
誰もが思った。本能が警鐘を告げる。
錯覚ではない。本当に、紅蓮の炎が宿っている。
『紅蓮の女帝』の異名は、伊達ではない。
言いようのない恐怖が、場を支配した。
ガルドですら、若い頃ならいざ知らず、今となっては実の娘には勝てるかどうか自信がない。
「逆らってはダメだ!」
本能がそう告げる。
ヴァーミリオン家で最恐なのは、間違いなく彼女だった。
「ああ、そうそう」
エレオノーラが、思い出したように言った。
「父上の『来襲』への処罰を有耶無耶にするために、クラーケンを一体、お土産として渡してきましたわ」
ポカンとする男たちを前に、彼女はガルドの不法侵入と器物損壊を、クラーケン一体でチャラにしてきたと誇らしげに語った。その上で、ガルドに感謝をするように要求する。
「あ、ありがとうございます……」
ガルドのお礼を満足げに受け取ると、エレオノーラは全員を見据えた。
「では、本題に入りましょうか」
エレオノーラは深く溜息をつき、静かに語った。
あなた達は強すぎる。だから力で何でも解決できると思っている。でもリリアが本当に必要としているのは、力じゃなくて優しさと知恵なのだと。
リリアはあなた達に守られて幸せだと思う。でも同時に、暴走に困っている。
だからこれからは、少し考えてから行動しなさい。
一人一人の顔を見ながら告げるエレオノーラに、男たちは素直に頷くしかなかった。
「では、この反省を筋肉に刻むため、罰を与えます」
明日から一週間、リリアの護衛はアレンに担当させ、男たちは裏庭の復興作業に専念すること。樹木の修復、外壁の修繕、通路の補修。ガルドが素振りで壊したものを、みんなで直す。
もちろん、魔法の使用は禁止。己の肉体と道具だけで。
「わかりましたか?」
一見穏やかなその問いかけと同時に、エレオノーラの手には紅い炎が灯る。
「喜んで復興作業に励みます!!」
男たちは揃ってそう答えたのだった。
***
翌朝、ヴァーミリオン家の男たちは揃って裏庭に向かった。
「もう、お爺様、派手に壊しすぎです!!」
「仕方なかろう、あの時は怒りで加減ができんかったんじゃ」
派手に抉れた地面に土を運び、瓦礫を片付け、整地する。
そして1本ずつ木を植え、通路を直し、外壁を塗り直す。
体力があるとはいえ、慣れぬ肉体労働に、普段使っていない部分の筋肉が悲鳴を上げる。
数日に渡る肉体労働で、ボロボロになって帰ってきた男たちを、エレオノーラは優雅に出迎えた。
反省した?と尋ねると、全員が素直に「はい」と答えた。
「それじゃあ、頑張ったあなたたちのために、今夜はそれぞれの好物を作ってあげる」
そう言って、エレオノーラがにっこり微笑むと、男たちの顔がパッと明るくなった。
「ちゃんと反省したご褒美よ」
***
その夜、大広間には賑やかな食事会が開かれた。
テーブルに並ぶのは、男たちそれぞれの好物。
ガルドのために、肉厚のレッドベアステーキ。
ガロンのために、魔猪の角煮。
バルトのために、グリフォンの胸肉のロースト。
レオンとカイルのためには、巨大蟹の爪を使った豪快な蒸し物。
そして、リリアのためには色とりどりの野菜のテリーヌと、北の海の新鮮な海鮮料理。
「美味しい……」
リリアが、幸せそうに微笑んだ。
「お母様の料理、やっぱり最高です」
「ふふ、ありがとう」
エレオノーラが、娘の頭を撫でた。
「うむ、エレオノーラの料理は絶品じゃ」
ガルドも、満足げに頷いた。
「エレオノーラ、このステーキ、最高だ……」
ガロンが、感動したように言う。
「義姉上、兄上とは別れて、俺と結婚してください!」
バルトもついつい、そんな軽口が口を衝いて出る。
「ダメだ!エレオノーラは俺の妻だ!!お前は他所を当たれ!!」
賑やかな食事風景。
男たちの幸せそうな笑顔。リリアも嬉しそうに微笑んでいる。
エレオノーラは、その様子を眺めながら満足げに微笑んだ。
「ねえ、お母様」
リリアが、小さく言った。
「何かしら?」
「王宮との交渉、ありがとうございました」
「いいのよ。当然のことだもの」
「でも、お母様のおかげで、私……少し楽になりました」
リリアが、微笑んだ。
「私に瑕疵はないって、公式に認めてもらえて……嬉しかったです」
「リリア……」
エレオノーラが、娘を優しく抱きしめた。
「あなたは何も悪くない。最初から、ずっとそうだったのよ」
「……はい」
「これからは、自分の好きなように生きなさい。誰と結婚しても、どんな道を選んでも、私たちはあなたの味方よ」
「はい」
リリアの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……お母様も、みんなも、大好きです……」
温かい空気が、部屋を包んだ。
「……やっぱり、エレオノーラがおると、この家はまとまるのう」
男たちが暴走して、それをエレオノーラが叱って、そんな家族をリリアが笑って見守る。
それがヴァーミリオン家の家族の姿。
ようやく、ヴァーミリオン家に平和な日常が戻ってきたのだった。
ここまでで短編分の内容はおしまいとなります。
少しお休みをいただいた後、次回より新展開、リリアのラブを中心に起こる爺ちゃんたちのドタバタをお届けする予定です。お楽しみに!
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暫くはこちらの更新を頑張ります!良かったら読んでみてくださいね╰(*´︶`*)╯♡




