第4話:孫娘の涙
夜明け前に王都から戻ったワシは、仮眠から目覚めると、すぐさま執務室へと呼ばれた。
複雑な顔で待ち構えていたガロンたちに、事の次第を説明するよう求められる。
「それで、王宮を壊してはいないでしょうな」
「死傷者は出ていませんか?」
矢継ぎ早の質問に答えようと身を乗り出した時――ワシは気づいた。
執務室の扉の向こうに、小さな気配がおることに。
リリアじゃ。
「入っておいで、リリア」
ワシが声をかけると、扉がゆっくりと開いた。
「……すみません。お爺様が無事に戻られたと聞いて……」
リリアが、申し訳なさそうに顔を出す。
「構わんよ。どうせ、お前に関係のある話じゃ。入って、一緒に聞いておくがよい」
ワシは、リリアに手招きする。
最初は遠慮していたリリアだったが、少し躊躇った後、部屋に入ってきた。ガロンが隣の椅子を勧め、リリアは素直にそこに腰を下ろした。
「さて、何から話せばいいかのう」
ワシは、王都での出来事を語り始めた。
調査の結果、虐めの事実がなかったこと。ミレーヌが嘘を自白したこと。そして、王家とは今後一切関わらないと告げてきたこと。
「ああ、それと結界を少し割った程度で、人も建物も無事じゃ」
「少し……ですか」
ガロンが遠い目をした。
しばらく沈黙が流れた後――。
「……それにしても、よくそれで済ませましたね」
バルトが、呆れたように言った。
「殿下も殿下だな。あまりにも杜撰。あまりにも浅はか……」
ガロンが、深く溜息をついた。
「まあ、そんな男にリリアが嫁がなくて良かったと思うべきか……」
「良かった?」
レオンが、拳を握りしめた。
「リリアを傷つけたんですよ! 関係者全員、ドラゴンブレスで丸焼きにしてしまえば良かったんだ!」
「そうだ! 王宮ごと吹き飛ばせば良かったんだ!」
カイルもその言葉に同調する。
「お前ら、物騒すぎるぞ……」
バルトが制しようとしたが――。
「……いや、息子たちの言う通りかもしれん」
ガロンが、真顔で頷いた。
「兄上まで……」
呆れたようにそう呟いたバルトだったが、やがて彼も感化されていく。
「確かに……手ぬるかったかもしれませんな」
「もう少しやっちゃっても良かったのでは?」
気づけば、部屋全体がそんな空気に包まれていた。
うむ。ワシはどうやら怒られなくてすみそうだ。
「細かいことは、其方の方で進めておいてくれ」
ワシは、後処理と交渉をガロンに任せることにして、リリアを見た。
リリアは一言も口を開くことなく、話の間中、ただ静かに俯いていた。
ワシはそんなリリアの様子が気になった。相変わらず顔色も悪い。
そんなリリアを、ワシは散歩に連れ出すことにした。
「イグニスも、お前に会いたがっておる」
そう声をかけると、リリアも興味を持ってくれた。
***
魔の森の奥。イグニスの洞窟までリリアと向かう。
そこからは、イグニスの背に乗って大空の旅を楽しんだ。
バサァァァッ!
イグニスが、翼を広げて大空を飛ぶ。
森を抜け、谷を越え――。
やがて、視界が開け、目的地が見えてきた。
一面の花畑。
白と淡いピンクの花が、風に揺れている。
「わあ……」
リリアが、小さく感嘆の声を上げた。
「綺麗……」
「ここはワシと婆さんのとっておきの場所でな」
ワシは、イグニスの背から降りると、リリアの手を取って花畑の中を歩いた。
「この花はリーリアと言う」
そう言って、足元に咲く花を指さす。
リーリアの花は、五枚の花びらが星の形をつくり、中心には黄金色の雄しべが可憐に並んでいる。
風が吹くと、一斉にしなやかに揺れ、白とピンクの波が幾重にも押し寄せた。
花びらが光を受けてきらめき、まるで無数の小さな星が瞬いているようだ。
そよ風に揺れた花からは、優しい香りがふわりと立ち上る。
その甘く清らかな香りに、心の澱がそっと洗われていくような気がした。
リリアは興味深そうに辺りを見渡し、時折、花の香りを鼻腔いっぱいに吸い込んでいた。
そうしてしばらく花畑を楽しんだ後、小高い丘の上、大きな木が生えた場所に向かった。ワシらはその木の下まで来ると、二人並んで腰を下ろした。
「リーリアを見るのは初めてであろう? この花はここにしか咲かない花なんじゃ」
眼下には、一面の花畑。その向こうには、辺境の森と山々が見える。
ワシは、リーリアを一輪摘んで、リリアに差し出した。
「お前の婆さんが、好きな花じゃった。お前の名前も、この花に因んだものじゃ」
「……そうだったんですか」
リリアが、花を受け取って、興味深そうに眺める。
「婆さんはな、お前がエレオノーラの腹の中におった時、重い病にかかってな」
「……」
リリアの手が、わずかに震えた。
「もう長くないと悟った婆さんは、お腹にいる子に名を贈りたいと願った」
ワシの声も、少し震える。
「『女の子なら、リリア。男の子なら、カイル』と」
「カイル……弟の……」
「ああ。『リリア』というのは、古い言葉で『光の花』という意味を持つ。カイルは『星の子』じゃな」
ワシは、花畑を見渡した。
「どちらも――暗い夜道を照らし、人の心にぬくもりをくれる名じゃ。生まれてくる子が歩む先が、どうか光に満ちたものでありますように、という願いを込めておるんだそうじゃ」
風が、また吹いた。
「そうして生まれた子は女の子だった。リリア、お前じゃ」
「婆さんは言っておった。『私は会えない。でも、この名前に、すべての愛を込めます。どうか、この子が幸せになりますように』とな」
「お婆様……」
リリアが、ポロリと涙をこぼした。
「婆さんは、お前を愛しておった。会うことは叶わなかったが、心から愛しておったんじゃ」
ワシは、リリアの頭を撫でる。
「ワシも、エレオノーラも、ガロンたちも、みんなお前を愛しておる」
「……はい」
「お前は、生まれる前から、今も、これからも、ワシらの大切な宝物じゃ」
リリアの肩を抱き寄せ、ポンポンとその肩を叩く。
すると――。
堰を切ったように、リリアが泣き出した。
「うう……ぐすっ……」
「……」
ワシは、何も言わず、ただリリアの肩を抱いておった。
そうして、ただ花畑を眺めていた。
やがて――。
「私、自分は価値のない人間なんじゃないかって、最近ずっと考えていました」
リリアがポツリポツリと話し始めた。
***
「……私も、ヴァーミリオン家の、家族みんなの役に立ちたかった」
リリアの声が、震えている。
「セドリック様のお役に立てるようになりたかった。立派な王太子妃になりたかったーーその一心で、頑張ってきました」
「……ああ」
「でも、そんな私の気持ちや努力は、セドリック様に届きませんでした」
リリアが、また涙を流す。
「セドリック様は、六年一緒にいた私より、彼女の言葉を信じました」
「……単にセドリックが考えなしの阿呆だっただけじゃ」
「きっと、私が至らなかったんです」
「違う」
ワシは、きっぱりと言った。
「リリアは、十分努力した。お前は、本当によう頑張った。誰よりも、一生懸命じゃった。ワシらはその努力を知っておる。だからこそ、見守り、心配し、応援しておったんじゃ」
リリアが、また泣き始める。
「……結局、私はみんなを巻き込んで、心配をかけただけ」
「私が……もっと魅力的だったら……」
「違う」
ワシは、リリアの肩を掴んで、正面から見つめた。
「何度でも言う。リリアは、最高に魅力的な女の子じゃ」
「お前は、優しくて、誠実で、控えめで、それでいて芯が強い。素晴らしい娘じゃ」
「お爺様……」
「それを理解できん奴の目が、腐っておるんじゃ」
ワシは、さらに言葉を重ねた。
「あのセドリックは、ろくでなしで、のーたりんで、あんぽんたんなボンクラじゃ!」
「あいつの目が!根性が!性根が腐っておっただけじゃ!!」
リリアが、クスッと笑った。
「お爺様……お口が悪いですよ……」
「じゃが、真実じゃ」
ワシは、リリアを抱きしめた。
「お前は、何も悪くない。六年もの長い間、本当によく頑張ったな」
リリアが、ワシの胸で泣いた。
子供の頃のように、声を上げて。
ワシは、ただ黙って、その頭を撫で続けた。
やがて――。
「お爺様」
リリアが、小さな声で言った。
「お爺様が居てくれて、良かった」
「……ああ」
ワシの目にも、少し涙が滲んだ。
「ありがとう……お爺様……大好き」
「……」
ワシは、何も言えなかった。
ただ、リリアを抱きしめる腕に、少しだけ力を込めた。
***
「……なんか、熱いのう!」
ワシは、急に面映ゆくなって、パッと立ち上がった。
暫く泣き続け、少し落ち着いてきたリリアが、キョトンとした顔でワシを見上げる。
「そうじゃ、イグニス!」
『……ん? 嫌な予感がするぞ』
少し離れたところで休んでいたイグニスが、警戒したように顔を上げる。
「景気づけに、ちと踊ってみよ」
『は!?』
イグニスが、明らかに動揺した声を出した。
「ほれ、リリアが昔よう歌っておった『タラッタラッタラッタ~なんとかのダンス』じゃ」
『お主はワレを何だと思っておる! ワレは炎帝ぞ! 伝説のレッドドラゴンぞ! そのような珍妙な踊りなど――』
「ほれ、踊らんかい。『おしりふりふり、タラッタラッタ踊る~』じゃったか?」
『聞け! 大体、なぜワレが――』
「リリアが笑ってくれるかもしれんぞ?」
『……』
イグニスが、ピタリと黙った。
そして――チラリとリリアの方を見る。
リリアは、不思議そうにこちらを見ている。
『……わかった』
イグニスが、観念したように立ち上がる。
『だが! これは我が友ガルドの頼みだから、仕方なくやるんだからな! ワレが好き好んでやる訳ではない! 決してリリアが可愛いからではないぞ!』
「わかったわかった。早う踊れ」
『むぅ……』
イグニスは、ワシらから少し離れた場所に移動すると――。
『……行くぞ』
こちらに尻を向けて、ふりふりと尻を振り始めた。
それに合わせて、巨大な尻尾が揺れる。
ビターン、バターン。
「飛んで跳ね跳ね、タラッタラッタ踊る~♪」
ワシの歌声に合わせ、イグニスが踊る。
ドン! ドスン! ドン! ドスン!
地面が揺れる。花が舞い上がる。
『これで良いか!』
「これ、もう少し品よく踊らんかい。せっかくの花畑が穴ボコだらけじゃわい」
『無茶言うな! ワレはドラゴンぞ! ドラゴン! 最大で最強な生物の! こんな踊り、そもそも無理が――』
その時。
クスクス、と笑い声が聞こえた。
リリアじゃ。
『!?』
イグニスの動きが止まる。
「ふふ……あはは……」
リリアが、お腹を抱えて笑っている。
涙を拭きながら、可笑しそうに身を捩る。
「もう……笑いすぎて……お腹が痛い……赤龍様、とっても……ふふ……」
『……』
イグニスが、満足げに鼻を鳴らした。
『ふん。まあ、リリアが笑ってくれたなら、良しとするか』
そう言って、イグニスは胸を張った。
「おい、今めちゃくちゃ嬉しそうな顔しておるぞ」
『し、してない!』
ワシは、リリアの隣に座り直した。
「此奴の踊りが下手くそすぎて、涙がちょちょ切れてしまうのう」
『下手くそとは何だ! ワレは精一杯――』
「もう一回!」
リリアが、目を輝かせて言った。
『!?』
「もう一回見たいです! お願いします、赤龍様!」
『……』
イグニスが、また立ち上がった。
『……仕方ないな。他ならぬリリアの頼みとあらば』
「お前、本当は踊りたいんじゃろう」
『違う!』
***
どれくらい時間が経ったじゃろうか。
イグニスが三回も踊りを披露した後、泣き笑い疲れたリリアの声が、規則正しい寝息に変わっていった。
「……眠ったか」
ワシは、小さく呟いた。
リリアは、ワシの肩に寄りかかったまま、静かに眠っている。
『よく泣かせてやれたな』
イグニスが、優しく言った。
「笑わせられたのはお前のお陰じゃ。ずっと我慢しておったんじゃろう。泣きたくても、泣けず。笑うこともできず」
『お前は良い爺ちゃんだな、ガルド』
「お前もな、イグニス。今日は色々助かった。ありがとうな」
ワシは、自分のマントをリリアに巻きつけた。
そして、リリアを抱き上げて、イグニスの背に乗る。
『では、帰るか』
バサァ……。
空を赤く染める夕陽に向かい、イグニスが静かに飛び立った。
ワシは、腕の中で眠るリリアを抱え直し、家路へと急いだのだった。
***
屋敷に着くと、ワシはリリアを部屋まで運んだ。
ベッドに寝かせ、毛布をかける。
専属侍女のシフォンを呼び、後を託すと、ワシは部屋を出た。
扉を開けると――。
「……」
ガロン、バルト、レオン、カイル。
みな、心配そうな顔で廊下に立っておった。
「大丈夫じゃ」
ワシは、静かに言った。
「泣き疲れて、眠っておる。ずっと我慢しておったんじゃろう」
「……そうですか」
ガロンが、ホッとしたように息をついた。
「あとは、時間が癒してくれるじゃろう」
「……お義父上」
ガロンが、真剣な顔でワシを見た。
「ありがとうございます」
「何を言う」
ワシは、笑った。
「当然のことじゃ」
そして――。
「そうそう、イグニスにも肉を持っていってやってくれ。今日は頑張ってくれたからのう」
「……何を頑張ったんですか?」
「踊りじゃ」
「踊り!?」
全員が、驚いた顔をした。
「ああ。『タラッタラッタラッタ~なんとかのダンス』をな。三回も踊ってくれたんじゃ」
「……お義父上、赤龍様に何をさせたんですか」
「リリアを笑顔にするためじゃ」
ワシは、胸を張って言った。
「成功したぞ」
「……はあ」
みな、呆れたような顔をしたが――。
すぐに、笑顔になった。
「そうですか。リリアに笑顔が戻ったなら、それで良かったです」
ガロンが、優しく微笑む。
「ええ、赤龍様の奮闘も報われましたね」
バルトが頷く。
「後で、特上の肉を持っていってやろう」
「賛成です」
レオンとカイルも嬉しそうだ。
リリアが笑顔なら、それでいい。
リリアが幸せなら、みんな幸せ。
「さて、飯にするか。今夜はリリアの好物を並べてやろう」
「はい!」
みな、嬉しそうに頷いたのだった。
※イグニスの声は契約者であるガルドにしか聞こえていません。リリアからは「何かガウガウ言ってるな」くらいの感覚です。




