第3話:伝説の来襲
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11月21日 第3話を少し修正して再公開しました。
差し込んでいた茜色の光が徐々に闇色に呑まれていくと、部屋は一瞬にして夜の気配を帯びてきた。壁の燭台の炎だけが不安げに揺れ、昼間にはなかった冷え冷えとした静寂が謁見の間を覆う。
昼過ぎから続いていた事情聴取は、休憩を挟みつつもようやく終盤に差しかかっていた。別室で同時に行われていたミレーヌの事情聴取の報告も届き、議論はすでに二人の処遇、そしてヴァーミリオン家への補償をどうするかという、重苦しい議題へと移っていた。
「バロア嬢はまだ虚偽を認めてない……か。しかし、本人以外の証言はないですしな」
「いずれにしても、今更、婚約破棄は間違いだった……とは言えませんよね」
「まあ、それは無理でしょうな」
「となれば、まずは、正式な謝罪が必要でしょう」
「ヴァーミリオン家への使者を、誰にするか……」
「王家有責による破談となると、慰謝料の額も相当なものに……どうしたものか」
重臣たちが、頭を抱えている。
と、その時だった。
バタンッ!と扉が開き、一人の衛兵が息を切らして飛び込んできた。
「た、大変です! 王宮上空に巨大生物が飛来! 何者かが騎乗しているようです!」
「何……!?」
国王が立ち上がる。重臣たちもみな顔色を変え、オロオロと囁きを交わし合う。
「敵襲か!?」
「まさか……ドラゴンか!?」
その瞬間。
ゴォォォォォ――ッ!!
轟音が、王宮全体を震わせた。
バサァァァッ!!
巨大な翼の羽ばたく音。そして、ドスンッという、何か巨大なものが着地する音。
「な、何事だ!?」
国王が叫ぶ。
「……待て」
宰相が、青ざめた顔で呟いた。
「まさか……いや、まさか……」
「何だ、言ってみろ!」
「ドラゴンに騎乗して来る者など……この国には一人しか……」
その時。
キィィィン……。
王宮を守る結界が、悲鳴のような音を立てた。
「結界が……!」
魔導師長が、魔力を感じ取って叫ぶ。
「誰かが、結界に触れています! 強大な魔力が――」
パリィィィンッ!!
結界が、音を立てて砕け散った。
「ああああ! 私が部下たちと共に三日三晩かけて張った最新式の結界がぁぁぁ!!」
魔導師長が、頭を抱えて叫んだ。
「あの結界は、何重にも張り巡らされた王宮最強の防御魔法……それが、一瞬で……!?」
「来た……」
宰相が、震える声で言った。
「『歩く災害』が……来たんだ……」
「侵入者だ! 衛兵隊、迎撃せよ! 近衛は王族の避難及び警護を!」
騎士団長が叫ぶ。
バタバタと兵たちが慌ただしく移動する音が聞こえ、一気に緊迫した空気が広がっていった。
だが――。
「ひっ……」
「う、うわぁぁ……」
次々と、兵たちの悲鳴が聞こえるが、司令官の怒声や剣戟といったものは聞こえてこない。
「な、何が起きている!?」
「侵入者は……単独犯のようです! たった一人が、歩いているだけのようなのですが……!」
「歩いているだけ……?」
「はい! 交戦する様子はなく、ただ歩いているだけです! ですが、その気配だけで、兵たちがパタパタと……!」
「パタパタって……」
謁見の間が、静まり返った。
国王と重臣たちの顔から、血の気が引いていく。
「まさか……」
「ガルド・ヴァーミリオン……」
「来たのか……本当に……」
「なんでドラゴンで来るんだ……普通、馬か馬車だろう……」
「あの方に常識を求めてはいけません……」
その時だった。
謁見の間へと続く廊下の方から、重々しい足音が近づいてくる気配がした。
扉の前で、騎士団が剣を構える音が聞こえる。
「止まれ! ここは王宮だぞ――」
その直後。
シーン……。
「……え?」
「今、何か言いかけませんでした?」
「言いかけましたね」
「でも、途中で静かになりましたね」
重臣たちが、ひそひそと囁き合う。
ガシャン、ドサドサドサッ。
複数の騎士たちが、倒れる音。
「隊長! しっかりしてください!」
「駄目だ……気を失っている……」
「くそ、俺たちで止めるぞ!」
「待て! あっ――」
ドサドサドサッ。
また倒れる音。
その直後、扉の向こうがシン……と静まり返った。
「……な、何があった?」
「わかりません……」
そして――。
ギィィィ……。
重厚な扉が、ゆっくりと開いていく。
そこに立っていたのは――ガルド・ヴァーミリオンだった。
銀髪を短く刈り込み、鋼のような筋肉を持つ老人。見た目は五十代だが、実年齢は七十を超えている。
その姿を見た瞬間――。
「ひっ……!」
セドリックが小さく悲鳴を漏らし、国王の後ろに隠れた。
「セドリック!? お前、後ろに隠れるな!」
「だ、だって……!」
そんな親子のやり取りなど意に介さぬまま、ガルドは静かに歩みを進める。
床を踏みしめる音だけが、謁見の間に響く。
そして、雛壇の前へとたどり着くと、震える重臣たちを横目に――ゆっくりと口を開いた。
「そなたらに聞きたいことがある」
低く、静かな声。
しかしその声は、謁見の間全体を支配した。
「これ、ガルド殿……!」
国王が、震える声で言った。
「いきなり何事か!? これは――」
「質問は、ひとつじゃ」
国王の言葉を遮り、ガルドが静かに言った。
部屋の空気が、ピリッと張り詰める。
ガルドが、にっこりと笑った。
穏やかな、好々爺の笑顔。
だが――。
「――ワシの可愛い孫娘を虐めたのは、どいつだ?」
その瞬間。
ビリビリビリッ!
謁見の間全体が、震えた。
燭台の炎は激しく揺らめき、窓ガラスがビキビキと音を立て、家具が軋む。
「うわあああ! 笑顔が怖い! 笑顔が怖いです!!」
重臣の一人が叫んだ。
「落ち着け! 我々は王国の重臣だぞ!」
「無理です! あの笑顔、絶対怒ってますよ!!」
国王が、玉座にしがみつく。
王妃は悲鳴を上げて国王にしがみつき、重臣たちは全員が膝をついた。
「ひっ……」
「これが……『歩く災害』……」
「伝説の……」
誰も、立ち上がれなかった。
「が、ガルド殿……」
国王が、何とか声を絞り出した。
「お、落ち着いて、話を――」
「落ち着いておるぞ」
ガルドが、さらににっこりと笑った。
「ワシは今、非常に冷静じゃ。ただ――」
一歩、前に出る。
ズン。
その一歩だけで、部屋の空気が重くなった。
国王が、ビクッと震えた。
「質問に、答えてもらいたいだけじゃ」
「そ、それは……」
国王が、視線を逸らす。
その先には――青ざめた顔で震える若い男。
王太子セドリックがいた。
「そなたか」
ガルドがセドリックに視線を向けた。
「ひっ!」
王太子が、小さく悲鳴を上げた。
「お主が、リリアとの婚約を破棄したそうじゃな」
「そ、それは……」
「理由は『男爵令嬢への虐め』じゃったか」
語りかけながら、ゆっくりと王太子に近づく。
ズン……ズン……。
一歩ごとに、空気が重くなる。
騎士団長が、剣を抜いて前に出ようとしたが――。
ガルドが、チラリと視線を向けた。
「!」
騎士団長の動きが、止まった。
「……す、すみません。どうぞ、お通りください……」
騎士団長が、道を開けた。
「うむ」
ガルドは、そのまま気にせず雛壇を登り、王太子の前に立った。
「で、その虐めとやらの証拠は見つかったのか?」
「ミレーヌが……言っていた……」
「証拠は? その娘以外の証人は?」
「……っ」
セドリックは、言葉に詰まった。
ガルドは、大きなため息を一つ吐いた。
「はぁ……」
その溜息だけで、セドリックがビクッと震える。
「証拠もなく、ワシの孫娘を辱めたと。そういうことか」
「いえ、その……」
「埒が開かぬな」
ガルドは、国王に視線を向けた。
「国王、そのミレーヌとかいう娘を呼んでもらえるか?」
「わ、わかった……」
国王が、震える声で侍従に命じる。
やがて――。
コツ……コツ……。
小さな足音が近づいてくる。
扉が開き、取り調べのため王宮内の一室に留め置かれていたミレーヌが、侍従に連れられて姿を見せた。
部屋に入った瞬間、ミレーヌはガルドの姿を見て――固まった。
「……え?」
「お主がミレーヌか?」
「は、はい……」
ミレーヌの顔が、見る見るうちに青ざめていく。
「リリアが、お主を虐めたそうだな?」
「そ、そうです……! わたくし、何度も酷いことを……」
「嘘をつくな」
ガルドの一言に、ミレーヌの顔が強張った。
「う、嘘なんて……!」
「国王、調査の結果はどうなっておる? 当然、調べたのであろうな?」
ガルドが国王に視線を向ける。
「も、もちろん。宰相」
国王が促すと、宰相が震える声で報告した。
「は、はい。学園の教師、生徒、使用人など、関係者すべてに聞き取りを行いましたが、リリア嬢がミレーヌ嬢を虐めたという証言は、一切得られませんでした」
「むしろ逆に、リリア嬢は優しくて真面目で、誰からも好かれていたという証言ばかりで……」
「やはり、な」
ガルドが頷く。
「ち、違う。私は嘘なんて……!」
ミレーヌが必死に否定するが、ガルドは動じなかった。
「ワシはな、七十年以上生きておる。嘘を見抜くくらい、朝飯前じゃ」
ガルドが一歩、前に出る。
「お主の目は嘘をついておる。震えは恐怖からで、悲しみではない。それに――」
ガルドがさらに一歩、前に出る。
それだけで、ミレーヌは後ずさった。
「ワシの孫娘は、虫も殺さん優しい子じゃ。お主を虐めるような真似はせん」
「で、でも……!」
「それを裏付ける証言も、宰相殿がたくさん集めて下さったようだしな」
ガルドは、静かに言った。
「だが、もう一度だけ聞いてやる。其方の口から申してみよ。嘘か、誠か」
ガルドの気配が、さらに重くなる。
ミレーヌの膝が、ガクガクと震え始めた。
「う……うう……」
涙が溢れた。
今度は、本物の涙だった。
「ご、ごめんなさい……! 嘘です……! わたしが、嫉妬して……リリア様が憎くて……!」
「ミレーヌ!」
セドリックが叫んだ。
「お前、やっぱり嘘だったのか!」
「だって……だって、セドリック様がわたしを見てくれないから……!」
ミレーヌは、その場に崩れ落ちた。
謁見の間に、重い沈黙が落ちる。
「……あーあ」
重臣の一人が、小さく呟いた。
「やっぱり嘘だったか……」
「最初から分かってましたよね……」
「ガルド様を怒らせちゃったよ……」
ヒソヒソと囁き合う重臣たち。
「……セドリック」
国王が、怒りに震える声で言った。
「これでわかったであろう。お前は取り返しのつかないことをしたんだ」
「父上……」
「言い訳はもう充分だ」
国王は、ガルドに向き直った。
深々と頭を下げる。
「ガルド殿……誠に、申し訳ございませんでした」
「謝罪は、リリアに」
「無論です。しかし……」
国王は、苦渋の表情で続けた。
「これは、国家の信用問題でもあります。ちょうど本日、関係者の事情聴取を終え、処罰と補償について検討していたところなのです」
国王が、懇願するような目でガルドを見る。
「どうか、穏便に……」
「穏便に、か」
ガルドは、小さく笑った。
「ワシはな、王家との政略結婚が、本当に嫌だったんじゃ」
「……」
「だから一度は断った。それを『どうしても』と再度申し込んできたのはその方らであろう」
「……っ」
「だからこそ渋々受け入れた。当のリリアが『国と家のためになるなら』と宣言し、『一生懸命王太子を支えて素敵な夫婦になる』との言葉通り、努力を重ねておったからな。そんな孫娘を、ワシらは心配しつつも応援しようと見守ってきた」
ガルドの声が、少し震えた。
「にもかかわらず、お主らは、ワシの孫娘を傷つけた」
「ガルド殿……」
「リリアの誠意も献身も無視し、有りもしない罪をでっちあげて」
「……」
「結論を言おう」
ガルドは、静かに、しかし明確に告げた。
「婚約は破談だ。そして、今後一切、我が家に関わるな」
「し、しかし……」
「辺境の守りは、ワシらに任せておけ。王家の力など、不要じゃ」
それは、事実上の決裂宣言だった。
「後の細かいことは、娘夫婦と話し合ってくれ。ワシの用件はそれだけじゃ」
国王も、居並ぶ重臣たちも顔色を青くするが、誰も何も言えなかった。
ガルドは、踵を返した。
「セドリック」
「は、はい……」
「二度とリリアの前に姿を現すな」
その声には、明確な殺意が込められていた。
セドリックは、ガクガクと震え、ただ頷くことしかできなかった。
***
ガルドは、謁見の間を出た。
廊下には、気絶した衛兵や騎士たちが倒れている。
「……すまんの」
小さく呟いて、イグニスの待つ庭へと向かった。
『終わったか、我が友よ』
「ああ、終わった」
ガルドは、イグニスの背に飛び乗った。
『スッキリしたか?』
「……いや」
ガルドは、首を横に振った。
「リリアの傷は、これでは癒えん」
『ふむ』
イグニスが、翼を広げる。
『では、帰って、孫娘を抱きしめてやるがいい』
「……そうじゃな」
ガルドは、小さく笑った。
「帰るか。リリアの元へ」
バサァァァッ!!
イグニスが、大空へ舞い上がる。
王都の街並みが、眼下に広がる。
無数の灯りが瞬く、美しい夜景だ。
「待っておれ、リリア」
ガルドは、静かに呟いた。
「すぐに、帰るからのう」
星空の下、ガルドとイグニスは、リリアの待つヴァーミリオン領へと飛んでいった。
***
翌朝。
王宮では――。
「結界の修復に三日はかかります……」
魔導師長が、泣きそうな顔で報告していた。
「気絶した騎士たちは、全員無事です。ただ、精神的ショックで数日は休養が必要かと……」
騎士団長も、疲れた顔をしている。
「……ヴァーミリオン家と、二度と関わるな。いいな?」
国王が、重臣たちにキツくそう言い渡す。
その言葉に、全員が喜んで従ったのだった。
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