第2話:断罪の過ち
セドリック視点のお話です。
卒業パーティから一週間後。
僕――セドリック・レイヴェントは、王宮の謁見の間に呼び出されていた。
高くそびえる柱には金糸織りの紋章旗が掲げられ、磨き抜かれた大理石の壁は、窓から差し込む光を受けて淡く輝いていた。
けれど、その穏やかな光とは裏腹に、謁見の間には張りつめた静けさが満ち、
その重苦しさが、いつも以上に僕の胸へとのしかかってくる。
この部屋には何度も来ている。だがこれまでは、来賓を迎える王の斜め後ろから、場全体を見下ろす立場だった。
その僕が、今日は初めて“見上げる側”にいる。
視線を正面に向けると、雛壇の上に設られた席で、父・国王アルベルト三世と、母・王妃セリーナが並び、静かに僕を見下ろしていた。
二人の前には赤い絨毯がまっすぐに伸び、その両脇には宰相をはじめとする文官の長、魔導士長、騎士団長といった国の重鎮たちが並び立っている。まるで裁定の場のように、全員の視線が一斉に僕へと注がれた。
――全員の顔が、妙に深刻だ。
「お召しに従い、参上しました」
「……来たか、セドリック」
父は低い声で僕の名を呼ぶと、簡潔に召喚の理由を告げ、発言を促してきた。
「先日の卒業パーティでの一件について――お前の弁明を聞かせてもらおう」
その言葉に、胸がざわつく。叱責される覚悟はしていた。だが、まさかこれほどの重臣たちに囲まれ、まるで公の場で糾弾されるような雰囲気になるとは思ってもいなかった。
だが、恐れることはない。僕は正しいことをしたのだ。悪役令嬢を断罪し、真に相応しい女性を選んだ。何も問題はない――きちんと説明すれば、理解してもらえるはずだ。
「わかりました。それではご説明いたします。事の起こりは半年ほど前に遡ります。男爵令嬢ミレーヌ・バロア嬢から、私物を捨てられたり、お茶会で紅茶をかけられたりといった被害にあっていると相談を受けました。それで、詳しく話を聞いてみると、私の婚約者であるリリア・ヴァーミリオン嬢の仕業であることがわかりました」
僕は、事の経緯を順を追って説明した。
「――以上のような理由により、リリア・ヴァーミリオンは王家に迎えるに相応しくないと判断し、婚約を破棄いたしました」
「なるほど……な」
父は顎に手を当てて頷くと、宰相に視線を向け、発言を促した。
黙礼して了承を示し、宰相は書類を取り出して一歩前に出る。
「陛下のご命令により、リリア・ヴァーミリオン嬢とミレーヌ・バロア嬢の関係について、緊急で調査を行いました」
「いかがであった?」
「……殿下のおっしゃるような虐めの事実は、確認できませんでした」
その言葉に、僕は固まった。
「は?……何だって?」
「学園の教師、生徒、使用人、すべてに聞き取りを行いましたが、リリア嬢がミレーヌ嬢を虐めたという証言は、一切得られませんでした。むしろ、リリア嬢は誰に対しても親切で、優しい方だったと、全員が証言しています」
「そ、そんな……」
信じられない。ミレーヌは、あんなに悲しそうに泣いていたのに。
「一方ミレーヌ嬢については、複数の女子生徒から、その言動や振る舞いに問題があるとの報告が上がっています」
「な、何だと!?」
僕は動揺を隠せなかった。まさか、ミレーヌに限って…。
「つまり、濡れ衣だ」
父が、静かだが突き放すような声で告げた。
「で、でも、ミレーヌが嘘をつくはずは……それにリリアだって、そんなことは一言も――」
違う。リリアはあの場で確かに言っていた。「まったく身に覚えがありません」と。
わかっていたのに、聞いていたのに、僕は認めたくなくて、そのまま彼女が去っていくのを見送った。
動揺する僕に、文官の一人が冷ややかな眼差しを向け、追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「恐れながら申し上げます、殿下。そもそも殿下は、この婚約の意義を正しく理解しておられますか。ヴァーミリオン家がこの国にとっていかほど重要な存在か――そして、この婚約がどれほどの利益をもたらすのかを」
「……ヴァーミリオン家は、辺境を守る伯爵家……ですよね?」
「それだけではございません」
別の重臣が口を開いた。
「ヴァーミリオン家は、この国で最も強力な軍事力を持つ家です。辺境に巣食う魔物の討伐、隣国との国境警備、すべて彼らが担っている。彼らがいなければ、この国の西側は崩壊します」
「そ、それは……」
「さらに」
宰相が続けた。
「前辺境伯ガルド・ヴァーミリオンは、かつて『王国最強』『歩く災害』と呼ばれた伝説の戦士。そして、現辺境伯ガロン・ヴァーミリオンは国境防衛の要にして、魔石を含む魔物素材の8割を供給する大領主。」
「加えて、現辺境伯夫人エレオノーラ様は『紅蓮の女帝』の異名を持ち、その実力は夫を上回るとも言われています。彼の方々には、ヴァーミリオン領のみならず、王国中のSランク魔物の討伐にご協力をいただいております」
別の重臣が付け加えた。
僕は、少し不安になってきた。
「で、でも、それと婚約破棄と、何の関係が――」
「大ありだ!」
父が、玉座から立ち上がった。
「武力、財力、影響力。その全てでもって王国に貢献している家の娘を、お前は証拠もなく、公の場で辱めたのだぞ!」
「しょ、証拠なら、ミレーヌが――」
「セドリック」
父が、氷のような声で言った。
「お前は、その令嬢の言い分に対し、適切な調査をしたのか? 裏付けは取っていたのか?」
「……それは」
僕は言葉に詰まった。
確かに、ミレーヌの言葉をそのまま信じて、調査はしていない。だが、ミレーヌがあんなに悲しそうに泣いていたのだ。嘘であるはずがない。
「ミレーヌ・バロア嬢も本日呼び出しており、別のものが尋問にあたっています。直に詳細な報告が上がってくることでしょう」
宰相が言った。
「まあ、おそらくは虚偽の証言でしょうね」
居並ぶ重臣たちから大きなため息が漏れる。
重臣の一人が、深刻な顔で言った。
「陛下、これは……国家的危機です」
「わかっている」
父が頷いた。
「ヴァーミリオン家が、我が国に背を向ければ……」
「辺境の守りが崩壊します」
「魔物の被害が拡大します」
「魔石や魔物素材の流通に支障が出ます」
「最悪、我が国と縁を切り、隣国に移ってしまう可能性も」
「何より、ガルド・ヴァーミリオンが――」
重臣たちが、次々と不安を口にする。
「ガルド卿が、怒ったら……」
「あの方は、昔『歩く災害』と呼ばれていた……」
「ドラゴンを一撃で屠ったとか……」
「いや、そのドラゴンを使役して隣国の侵攻をドラゴンブレスで一網打尽にしたのではなかったか?」
「鍛錬中、素振りをしたら山が一つ吹っ飛んだと聞いたこともあるぞ……!」
「孫娘を泣かせたら、誰であろうと容赦しないという噂も……」
「ま、まさか、そんな……」
僕は、笑おうとした。
だが、誰も笑っていない。全員が、本気で心配している。
「セドリック」
母が、滅多に聞かない厳しい声を上げた。
「あなたは、リリア嬢がそれほど憎かったのですか? 公衆の面前で――まるで罰を与えるかのように婚約破棄を告げるほどに」
「で、でも、僕は……」
言葉に詰まった瞬間、リリアとの日々が頭の中に次々と浮かび上がる。
初めて会ったときの、はにかんだ笑顔。
「無理なさらないでくださいね」と優しく気遣ってくれた声。
でも――。
「憎んでいたわけじゃありません! 今回のやり方が悪かったのも、分かりました。でも……僕とリリアは、もともと上手くいっていなかったじゃないですか! そのことは父上にも母上にも相談したはずです!」
だって、リリアは何もかも、僕とはまったく合わなかった。
デートに誘えば「魔物狩りに行きましょう」と嬉しそうに言うし、買い物に行けば連れていかれるのは武器屋。
誕生日にもらったのは、魔蟲の抜け殻――「防具加工に最適な希少素材です!」って……婚約者への贈り物にするものじゃないだろう!
「セドリック!」
父の鋭い声が、僕を現実へ引き戻した。
「は、はい!」
「だからと言って、この仕打ちが許されるわけではない」
父は玉座から静かに立ち上がり、まっすぐ僕の前まで歩み出る。
「これは王家が『是非に』と申し出た政略結婚だった。政略である以上、互いに気に入らぬ点があったとしても、簡単に解消して良いものではない。まして今回は、一方的な破棄だ」
父の目が鋭く光る。
「お前がしたことは――自分の都合で、有りもしない罪をなすりつけ、何の落ち度もない令嬢を、公衆の面前で辱めたということだ!」
空気が張りつめ、父の怒気が肌に刺さる。
「お前は自らの浅慮で、一人の少女を深く傷つけただけでなく、国の未来すら危うくしたのだぞ!」
言い放ったあと、父は大きく息を吐き、肩を落とした。
そして、悲しみを含んだ目で僕を見る。
「セドリック……この不始末、どう償うつもりなのだ」
「それは……」
言えなかった。
声にならなかった。
自分がどれほど取り返しのつかないことをしたのか――ようやく理解した。
だが、もう遅い。
謁見の間には、重く沈んだ沈黙だけが満ちていた。
★New★ 『ワシ孫』短編シリーズ第6弾を公開しました!
今回はエレオノーラの夫・ガロンのお話。
いかにして爺ちゃんを納得させ、”女帝の夫”というポジションをゲットしたのか・・・
興味のある方は是非読んでみてくださいね!
『紅蓮の女帝に捧ぐ十年〜弱小男爵家の脳筋が最強令嬢を射止めるまで〜』
https://ncode.syosetu.com/n2220lj/




