第1話:孫娘の婚約破棄
本作は、短編小説『ワシの可愛い孫娘を虐めたのはどいつだ!』をもとにした連載版です。
物語の構成上、短編シリーズとは一部設定や展開が異なる箇所がございますが、あらかじめご了承のうえ、お楽しみいただければ幸いです。
「リリア・ヴァーミリオン。貴女との婚約を、ここに破棄する」
卒業を祝うパーティ会場に、場の雰囲気にそぐわない不穏な宣言が高らかに響き渡った。
その声の主は、この国の王太子セドリック。
祝いの空気に冷や水を浴びせられた卒業生たちは、呼吸すらためらうような張りつめた空気の中、ただ黙って成り行きを見守るしかなかった。
そんな中、当事者であるリリアは、目の前で仲睦ましく寄り添う王太子と男爵令嬢を静かに見つめていた。怒るでもなく、泣くでもなく、栗色の髪を結い上げた控えめな少女は、ただ黙ったまま、礼儀正しく王太子の次の言葉を待っていた。
「破棄の理由は分かりますよね?貴女は、心優しきミレーヌ・バロア嬢を執拗に虐め、彼女の心を傷つけた。王家の婚約者として、そのような品性の欠如は許しがたい」
セドリックの隣で、金髪の男爵令嬢ミレーヌが涙を浮かべている。ハンカチを目元に当て、小さく震える姿は、いかにも可憐な被害者に見えた。
「……」
リリアは否定しなかった。会場の視線が突き刺さる。ざわめきは非難の色を帯び始めていた。
「何か申し開きはないか」
リリアは静かに首を横に振った。そして深々と頭を下げる。
「私には全く身に覚えのない話ではありますが、婚約破棄については、謹んでお受けいたします」
丁寧なお辞儀。淡々とした口調。
リリアはそのまま、お騒がせしましたと美しいカーテシーを披露し、一度も振り返ることなく会場を後にした。
***
それから、数日後。
レイヴェント王国・西の辺境――ヴァーミリオン領。
領都トルメリアの領主館では、リリアの祖父ガルドが、愛しの孫娘の帰りを今か今かと待ちわびていた。
「ふふふ……早う、リリアに会いたいのう」
独り言を呟きながら、ワシは何度目かの時計を確認した。
先日、リリアは王都ラグナディアの王立学園で六年間の学びを終え、卒業記念のパーティに出席したばかり。きっと華やかなドレスに身を包み、楽しいひとときを過ごしたことだろう。
「大旦那様、もう三十回目ですよ」
執事のセバスチャンが、呆れたような声で言う。
「そうか?ワシはそんなに見ておらんぞ」
「いいえ、数えておりました」
実のところ、少しソワソワしておるのは認める。だって、仕方がなかろう。昨年の帰省以来、約一年ぶりの再会なんじゃから。
***
リリアが、あの王太子セドリックと婚約してから――六年あまり。
思い出すのも腹立たしい、あの申し出のときのことを今でもはっきり覚えておる。あいつらがやって来たせいで、ワシがリリアと過ごせる時間はぐっと減ってしまったのじゃ。
「辺境の守護者ヴァーミリオン家のご令嬢を、ぜひ王太子セドリック殿下の婚約者に」
「国境の要衝にして武の象徴たるヴァーミリオン家と王家が結ばれれば、その威光は国中に広がりましょう」
王家の使者は、実にもっともらしい口調でそう述べおったが――ワシは即座に跳ね除けた。
「断れ!」
娘婿であり現ヴァーミリオン辺境伯のガロンも、その弟でリリアの叔父・バルトも、ワシの意見に大賛成。
「よし、満場一致じゃな。使者殿にはお引き取り願おう」
……のはずが、辺境伯夫人でありワシの娘でもあるエレオノーラが、優雅に扇子を閉じてワシらを止めた。
「お待ちください、お父様。一度はお断りした縁談を『是非に』と再度申し込まれているのです。今回は本人の意見も聞いてみましょう。勝手に断ってしまっては、怒られてしまいますわよ?」
それは困る。可愛いリリアたんに「お爺様、しばらく口も聞きたくありませんわ」なんて言われたら、ワシは立ち直れん。仕方なく、ワシは執事のセバスチャンにリリアを呼ばせた。
現れたリリアは、レモンイエローのワンピースをひらりと揺らし、まるで春の陽だまりのように周りを温かく照らしてくれる。妖精というものを見たことはないが、きっとこんな姿をしておるのじゃろう。
エレオノーラが掻い摘んで事情を説明すると、リリアは驚くべきことを口にした。
「わかりました。国とわが家のために必要なことならば、喜んで王家に嫁ぎます」
「「「なにっ!?」」」
ワシらは慌てた。殊勝なことを言うリリたんが尊い、と一瞬思ってしまったが、今大事なのはそこではない。孫娘がワシの手の届かぬところへ行ってしまうのを阻止せねば!
「リリア、そんなことは気にせんでよい。聞けば相手の王太子は、ひょろひょろで弱っちくて、一人でワイルドボアも仕留められんらしいぞ!」
「そうだぞ、リリア!王家に嫁いだらリリアの好きなビッグビーの蜜も、そう簡単には手に入らんぞ!」
バルトが便乗し、ガロンも負けじと言った。
「よし、リリア。お父様がきっちり断ってくるから、心配せんでいい。全部お父様に任せなさい」
じゃが、リリアはきっぱりと答えた。
「いいえ、お爺様、叔父様、お父様。私だって、いつまでも守られてばかりではなく、家族の役に立ちたいんです。お相手の方がどんな方かはまだわかりませんが、一生懸命お支えして、お父様とお母様のような素敵な夫婦になってみせますわ」
こうして、ワシの可愛い孫娘は王太子との婚約を結び、王太子妃教育と学園生活のため、王都ラグナディアへ旅立っていった。
あれから六年。王太子の評判はどうにも芳しくない。あんな頼りない男に、ワシのリリアを任せるなど……。
「いっそ、婚約を解消したらどうじゃ?」
ワシらは帰省する度に、何度もリリアを説得した。だが、彼女は「大丈夫」と微笑むばかり。ハラハラヤキモキしながらも、あっという間に月日は流れ、この度リリアは無事に卒業を迎えた。
来年には結婚――本当にこのままでいいのだろうか。その不安を振り払うように、ワシはこの六年間、鍛錬と討伐に明け暮れたのじゃった。
***
屋敷の門前で馬の嘶く音が聞こえた。どうやら先触れの早馬が到着したようだ。リリアがもう間もなく帰ってくる。その報に屋敷中が沸き立った。
そこから程なくして、ガタガタガタ、と馬車の音が聞こえてきた。
「来た!」
ワシは玄関へ飛び出した。
「大旦那様、走らないでください、危のうございます――」
「リリアァァァ!!」
セバスチャンの制止など聞かず、ワシは馬車へ駆け寄る。御者台から降りてきた護衛騎士のアレンが、慌てて敬礼した。
「お、大旦那様!ただいま帰りました」
「うむ、ご苦労!それでリリアは――」
馬車の扉が開く。
「……ただいま、お爺様」
アレンに手を借りて降りてきたのは、リリアじゃった。
じゃが――ワシは目を疑った。
リリアの顔色が、悪い。いつもの明るい笑顔ではなく、どこか疲れ切ったような、諦めたような表情をしておる。
「どうした、リリア。体調が悪いのか?」
「いいえ、大丈夫ですわ」
リリアは微笑んだ。じゃが、その貼り付けたような薄っぺらい笑顔に、ワシの鋭い第六感がビビッときた。これは作り笑いじゃ。ワシにはわかる。この孫娘が本当に笑っておる時と、無理に笑っておる時の違いくらい。
「リリア――」
「すみません、お爺様。少し疲れましたので、お部屋で休ませていただきますね」
そう言うと、リリアはフラフラと屋敷の中へ入っていった。専属侍女のシフォンが、心配そうにその後を追う。
ワシは、その場に立ち尽くした。
何か、あった。間違いなく、何かあったのじゃ。
***
「アレン」
「は、はい!」
ワシは振り返り、護衛騎士のアレンを問い詰めた。
「何があった?」
「そ、それは……」
アレンが口ごもる。
「言え」
さらに一歩前に出ると、アレンの顔がみるみる青ざめていった。
「ま、待ってください!お義父上!」
そこへ、ガロンとバルトが飛び出してきた。ワシは下がっておれと手を振って二人を制す。二人とも、引いてはくれたが、妙に落ち着かない様子じゃった。
こやつら、何か隠しておるな。
「アレン、もう一度聞く。何があった」
ワシは再び、アレンに視線を戻した。
アレンは、観念したように口を開いた。
「……婚約破棄、です」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなんだ。
「王太子セドリック殿下が、卒業パーティの場で、衆人環視の中……一方的に、リリア様との婚約を破棄されました」
悔しそうに拳を握り締め、目に涙を浮かべて語るアレンの説明で、ワシはすべてを理解した。
「……そうか」
一つ頷きを返し、アレンには礼を述べて下がらせた。
ワシは拳を握り締め、再びその場に立ち尽くした。
婚約破棄。衆人環視の中で。虐めの濡れ衣。
「……お義父上」
ガロンが、おそるおそる声をかけてきた。
「我々も先ほど知ったばかりで……エ、エレオノーラが戻ってから、みなで相談しようと――」
「ほう?それまでのんびり待っていろ……と?」
ワシは、ゆっくりと振り返った。ガロンとバルトが、ビクッと震えた。
「リリアが、あんな顔をしておったのに、か?」
「そ、それは……」
「一つだけ、答えよ」
廊下の空気が、ピリッと張り詰める。
「――ワシの可愛い孫娘を虐めたのは、どいつだ?」
その瞬間、ガラスがビリビリと震えた。遠くから、使用人たちの悲鳴が聞こえる。ガロンとバルトは、真っ青になりながら詳細を語ってくれた。
ワシは「そうか」と呟きを一つ残し、踵を返して屋敷の裏へと歩き始めた。
「お、お義父上、どちらへ!?」
「少し、頭を冷やしてくる」
「ま、まさか……」
「心配するな。ちょっと素振りをしてくるだけじゃ」
そう言い残して、ワシは訓練場へ向かった。
***
屋敷裏の古い訓練場で、ワシは剣を抜いた。
「……ふぅ」
深呼吸。落ち着け、ワシ。冷静になれ。感情的になっては、いかん。
そう、自分に言い聞かせる。
じゃが――。
「――ッ!!」
ズガァァァンッ!!
剣を振り下ろした。石畳が、粉々に砕け散る。
まだ、怒りは収まらん。
ズガァァンッ!!
地面に、大きなひび割れができる。駄目じゃ。全然、収まらん。
カァン、カァン、カァン。
連続で剣を振るう。訓練場が、みるみる破壊されていく。石畳が割れ、柱が倒れ、屋根が崩れる。
「……はぁ、はぁ」
息を切らせながら、ワシは剣を止めた。周囲を見渡す。訓練場が、跡形もなく破壊されておった。
「……やってしもうた」
じゃが、それでも怒りは収まらん。
ワシの可愛い孫娘。優しくて、控えめで、誰にでも親切なリリア。そのリリアが、虐めなどするわけがない。濡れ衣じゃ。明らかな濡れ衣を着せられ、衆人環視の中で婚約を破棄された。
あの疲れ切った顔。作り笑顔。
リリアは、傷ついておる。深く、深く。
「……許さん」
ワシは、静かに呟いた。
「許さんぞ、王家のボンクラどもめ」
剣を鞘に納める。
そして――決めた。
「ちと、散歩に行ってくるか」
王都まで、な。
***
ワシはその足で屋敷を出、森の奥へと向かった。
魔の森の奥深く。そこに、巨大な洞窟がある。かつて、ワシが死闘の末に打ち破り、今では散歩仲間となった古き友の住処じゃ。
「イグニス、おるか」
洞窟の入り口で、ワシは声をかけた。
ゴゴゴゴゴ……。
地面が揺れる。洞窟の奥から、巨大な影が現れた。全長三十メートルを超える、深紅のドラゴン。レッドドラゴン、イグニス。自称『炎帝』じゃ。
『どうした?我が友ガルドよ。今日はただの散歩ではないようだな』
重低音の声が響く。
「ああ、ちょっと遠出をしようと思ってな」
『ほう。どこまで共をすればいい?』
イグニスが、黄金の瞳でワシを見下ろす。
「王都だ」
『断ると言ったら?』
「一人で行く」
『…………』
イグニスは、呆れたように溜息をついた。いや、ドラゴンが溜息をつくと、炎が漏れるのじゃが。
『わかった。乗れ』
「助かる」
ワシはイグニスの背に飛び乗った。
『しかし、ガルドよ』
「ん?」
『お前の体からは、ただならぬ殺気を感じる。そこまでの怒りは、数十年ぶりではないか?』
「……そうかもしれん」
ワシは、静かに答えた。
『何があった?』
「ワシの宝を、リリアを傷つけたのじゃ――許すわけにはいかん」
『ふむ。その犯人が王都にいるのだな』
イグニスは、翼を広げた。
『では、行くぞ。しっかり掴まっておれ』
「ああ」
バサァァァッ!!
巨大な翼が、一度羽ばたく。轟音と共に、ワシとイグニスは大空へと舞い上がった。森の木々が、風圧でなぎ倒される。
「おお、久しぶりの空じゃのう!」
『我も、久々に全力で飛ぶか』
イグニスは、王都へ向かって加速した。風が、顔を叩く。星空が、美しい。
じゃが――ワシの心は、穏やかではなかった。
「待っておれ、リリア」
ワシは、静かに呟いた。
「爺ちゃんが、すぐに全部片付けてやるからのう」
イグニスの背で、ワシは剣の柄を握りしめた。
――ワシの可愛い孫娘を虐めた者よ。覚悟せい。
こうして、かつて「王国最強」「歩く災害」と呼ばれた伝説のドラゴンスレイヤー、ガルド・ヴァーミリオンを乗せ、レッドドラゴンは大空高く飛び立ったのだった。
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☆『ワシの可愛い孫娘を虐めたのはどいつだ!』短編シリーズ☆
▶︎1作目:『ワシの可愛い孫娘を虐めたのはどいつだ!』
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▶︎2作目:『「女王様って素敵」と呟いたら、脳筋爺ちゃんが王国を乗っ取った件』
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▶︎3作目:『紅蓮の女帝の帰還〜脳筋爺ちゃんズが正座させられた日〜』
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▶︎4作目:『辺境伯夫人エレオノーラの優雅な交渉 〜脳筋爺ちゃんの尻拭い〜』
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▶︎5作目:『元王太子セドリックの心の叫び〜ヴァーミリオン家とはもう関わりたくありません!〜』
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短編シリーズでは、個性豊かなキャラクターたちが織りなす破天荒な日常や物語の舞台裏など、一話完結でお届けしています╰(*´︶`*)╯♡




