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ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き  作者: 中島 茂留


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8/24

第8話  風の声

1月27日

午後


冷たい北風が、町の広場を吹き抜けていた。

灰色の雲の合間から、わずかに陽が差し、アスファルトに細い光の線を描く。


広海は、役場の資料室でパソコンの画面を見つめていた。

水野が隣に座り、湯気の立つマグカップを両手で包みながらつぶやく。


「……『信頼できる第三者』って、なかなか見つかりませんね。」

「はい。どこも『寄付金管理』止まりで、共生まで踏み込んでいません。」

「行政が直接受けられない以上、NPOか財団の候補が要になるんだけど……」


画面には「社会的孤立者支援」「共生信託」「居場所づくり」などの検索結果が並んでいる。

そこで広海はブラウザのブックマークに仕舞われたサイトをクリックする。


「……これ、見てください。」


一枚のサムネイルに、若い女性が映っていた。

白いブラウスに薄い灰色のカーディガン。

背景には緑の木々と、『風の集うカフェ』の看板。

「NPO法人 つながりの灯(代表:林 明里)」


「東京……」

水野がつぶやく。

広海は再生ボタンを押した。


動画の中で、林 明里は静かに語っていた。

その声は柔らかく、それでいて芯があった。


「『支援する・される』という線をなくしたいんです。

ここでは、誰もが何かをもらい、何かを渡しています。

それが『関わる』ということです。」


彼女の後ろでは、障がいを持つ若者や外国人のスタッフが笑顔でパンを焼いていた。

木漏れ日の揺れる明るさが、画面越しにも伝わってくる。


「……この人。」

広海の声は小さかったが、確信があった。

「この人なら『信頼の管理』のヒントをくれるんじゃないかと。」



数日後、広海は上京していた。

正式な出張ではない。ただ、自分の足で確かめたかった。

『宿題の続きを見つけに行く』……そう心に決めていた。


東京の空気は乾いて冷たく、人の流れは絶え間なかった。

スーツ姿で街の音の中を歩きながら、広海は胸の奥にあの町長室の空気を思い出す。

風を通せ、と町長が言った。

その言葉の意味を、いま試されている気がした。


NPO「つながりの灯」は、古い商店街の一角にあった。

胸のポケットに軽く手を触れる。

扉を開けると、来客を知らせる鈴が鳴り、焼きたてのパンの香りと、誰かの笑い声が迎えてくれた。

奥から現れた女性が、少し驚いたように首を傾げた。


「こんにちは。ご予約の方ですか?」

「いえ、突然すみません。」

広海は上着の内ポケットから小さな名刺を取り出した。

白地に黒文字で「環境衛生課 田嶋広海」。

それは、ごみ収集員だった彼が初めて自分で作った名刺だった。


林はそれを受け取り、目を瞬かせた。

「……環境衛生課?」

「はい。町の現場を回る部署です。」

「役場の福祉関係でない方が、どうして……?」


広海は少し息を整え、テーブルの上に手帳を置いた。

「『ひきこもりの町構想』という取り組みを始めました。

 裕福な家庭の高額寄付や信託を通じて、社会的孤立者を生涯支援する仕組みです。

 でも、町の中だけでは『信頼の受け皿』が作れません。

 あなたの活動を見て、話を聞かせてもらえないかと思って。」


林は紅茶を出し、椅子に腰を下ろした。

「なるほど……。でも、なぜ私を?」


広海は窓の外の光を見つめながら、ゆっくり言葉を探した。

「僕は、ごみ収集の仕事で、いくつもの家を見てきました。

 誰にも気づかれず、時間が止まったような家です。

 ……助けを呼ぶ声が、届かないまま風が止まっている場所。

 そういう現場を、何度も見てきました。」


林のまなざしが、わずかに揺れた。

広海は続けた。


「偶然気づいて救えた人もいました。

 でも、それはたまたまです。

 『偶然』に頼らずに、風が届く仕組みを作りたい。

 だから、あなたの『関わり』という考え方が必要だと思ったんです。」


林は紅茶の湯気の向こうで静かに頷いた。

「……私にも、忘れられない出来事があります。

 弟がいました。

 長い間、家から出られずにいた子です。

 私はずっと『助けなきゃ』と思っていた。

 でもある日、彼を本当に苦しめていたのは『助けられること』そのものだと気づいたんです。」


外の風が扉の鈴を鳴らした。

林の声がその音に溶けるように続く。


「だから、私は『関わる』と決めました。

 同じ空気の中で生きて、共に風を感じること。

 それが、私にできることです。」


広海は静かに頷いた。

「……その風を、町にも通したいんです。」


しばらくの沈黙ののち、林は微笑んだ。

「いいですね。『風を通す町』。

 もしよければ、私もその風に関わらせてください。」


広海は深く頭を下げた。

店の奥から子どもの笑い声が聞こえた。

パンの香りとともに、柔らかな風が通り抜けていく。



夕暮れ。

広海が駅に向かう道すがら、携帯が震えた。

画面には新着メール。差出人は「林 明里」。


件名:風の通り道へ

本文:ここから、あなたの町へ。

   きっと風はつながります。

   あなたの言葉は、風のように私の胸を通り抜けました。

   弟が生きている時に、あなたに会いたかった。


広海は画面を閉じ、冷たい空気を深く吸い込んだ。

胸のポケットに静かに触れる。

街の灯が、少し滲んで見えた。


……風は、誰かの思いを運んでいる。


彼はゆっくりと歩き出した。

その歩幅の先に、確かに『風の通り道』が伸びていた。


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