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ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き  作者: 中島 茂留


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22/24

第22話  風の設計

5月初旬

午後


丘の上の空き家に、薄い雲の影が流れていた。

午前中の草取りで庭はすっきりとし、風が低い音で垣根を撫でていく。

縁側の前にブルーシートが広げられ、その上で図面が何枚も重なっていた。


地域おこし協力隊の青年が、図面を1枚そっとめくる。

「ここでは『個室』と呼ばず、『静かの間』にしたい、と伺いました」

林が頷く。

「名前からして閉じたくないんです。

 息が整う場所、という意味で。鍵はつけますが、誰かの『気配』がかすかに感じられる曇りガラスの窓は残したい」


青年は窓の位置に指を滑らせた。

「見通しを確保しつつ、視線が刺さらない角度を…この袖壁を15センチ延ばしましょう。

 それから、共用の『囲み食卓』はここ。配膳動線は短く、出入りは広く。

 室内の風は——この抜けを芯に据えます。

支援室、相談室……そう呼ぶと、壁が分厚く感じます」

林が図面の余白に鉛筆を走らせる。

「ここは関わりの間。

 支援は行為、関わりは関係。行為は時間で切れるけれど、関係は風の跡みたいに残ります」


青年が微笑む。

「名前が設計の姿勢も変えますね」

「ええ。言葉は、最初に通る風ですから」

林の声に、縁側の簾がふっと揺れた。


「……大体方針は決まりました。経費を抑えるために材料は最大限流用しましょう。

 それと、実は町内のホームセンターから、材料の提供のお話も受けています。

 今日の除草もそうですが、作業には地域の男性達がボランティアで協力してくださるそうです。

 建設費において、人件費は馬鹿になりませんからね。」


広海は黙って聞きながら、古い窓ガラスを拭いていた。

水を含ませた布が、じわ、と茶色を吸い取る。

拭き跡の向こうで、庭の緑が鮮やかに立ち上がった。



午後3時。

大迫町長がふらりと現れた。上着を肩にかけ、玄関の柱に手を置く。

「ずいぶんと、風のことばかりだな」

冗談めかして言い、図面を一枚手に取る。

「風を入れるということは、誰かを迎えるということだ。迎えたら、背負うことも増える」

語尾だけが少し重かった。


広海は手を止めて、ゆっくりと頷く。

「覚悟は、あります」

大迫は短く「そうか」と言って、庭の方を眺めた。

丘の下、商店街の幟がわずかに揺れている。

「責任は見えないから、忘れやすい。

 風は見えないけど、音はする。

いつも、その音を聞くんだな。」

そう言い残して、町長は坂を下っていった。


残された静けさの中で、林が小さく息を吐いた。

「…音、か」

広海は窓の桟に指を当て、木の震えを確かめる。

「はい。聞こえる音と、聞こえない音が、あります」



夕方。

打合せは、玄関脇のホワイトボードに要点が整然と並んだ。


玄関:段差解消、土間にベンチ一脚。靴音が響きすぎない素材。

囲み食卓:視線の角を落とす配置。出入りは交差しない。

関わりの間:半透明の仕切り。内と外をゆるくつなぐ。

静かの間:鍵は内側にも外側にも「呼び鈴」を。扉はやや重く。

風の抜け:玄関→縁側→北窓。床下通気口の増設検討。

予算:流用最優先。提供資材を効率よく。作業はボランティアを活用。


青年がペンを置く。

「図面は明朝更新します。現状の写真撮影は、今日のうちに」

「お願いします」

林が頭を下げると、青年は軽く会釈して帰っていった。


空き家に3人だけが残る。

西日が斜めに入って、畳の目を金色に縁取っている。

林と水野が道具を片付け、広海は最後に縁側の鍵を確かめた。


「帰りましょうか」

水野が言うと、林はもう一度だけ図面を見た。

「ここに、最初の夕食の匂いが漂うのを想像してしまって。

匂いは、風の記憶ですから」

広海が笑った。

3人は戸を閉め、坂を下り始める。



夜。

広海は一人、再び空き家へ戻った。

玄関の灯りだけをつける。

薄闇に、紙と木の匂いが満ちる。


縁側に座り、胸ポケットから小さなお守りを取り出した。

折りたたまれた写真の感触が指先に触れる。

目をつぶると2人の輪郭が、かすかに頭の中に浮かび上がった。


……聞こえなかった日々。

……風が止まっていた時間。


広海は窓を、ほんの少しだけ開けた。

夜風が細く入り、障子紙がかすかに鳴る。

その音は、遠い記憶の底に溜まっていた静けさと、どこかでよく似ていた。


「運に頼らず届く風を」

誰にも聞こえない声で、言葉を置く。

指先が写真の角を撫で、胸の奥で何かが静かに整列していく。


外で、街路樹がざわ、と揺れた。

風は、通り道を探している。

通り道が見つかれば、きっと、迷わず吹き抜ける。


灯りを落とし、広海は扉を閉めた。

坂の上に、夜の冷たさだけが残る。

暗がりの向こうで、ほんの短い、しかし確かな風の音がした。


……次に開く窓は、きっと過去だ。

そこを通った風は、またこの家へ戻ってくる。


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