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ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き  作者: 中島 茂留


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第21話  風の通り道

4月10日

午前


丘の上の空き家に、人の声が戻ってきた。

朝の陽ざしの中、十人ほどの男たちが、庭に腰をかがめて雑草を抜いている。

軍手の白が土の色に染まり、笑い声がときおり風に乗って坂道の下まで届いた。


作業に加わっているのは、町の退職者会のメンバーや、説明会に顔を出していた初老の男性たち。広海も参加していた。

「いやあ、久しぶりに鎌なんか握ったよ。」

「ここ、昔は立派な庭だったんだよ。懐かしい。」

そんな声があちこちで飛び交う。


林明里は門のところで作業全体を見渡しながら、帽子のつばを押さえた。

春の風が強く、髪が頬にかかる。

それを押さえながら、彼女は横に立つ一人の青年に声をかけた。


「図面、確認できますか?」

「はい。」

青年は地域おこし協力隊の空き家担当で、一級建築士の資格を持っている。

広げた図面の上には、柱の配置と、新しく設ける予定の窓の位置が丁寧に書き込まれていた。


「この窓をもう少し北側に寄せれば、風の抜けが良くなりますね。」

「なるほど……。それから、建物が古いので今の基準に合うように構造的な補強も必要です。」

「必要な対応は全てして頂いて、でも経費はなるべく抑えて頂けると助かります。」


林は、図面に指を滑らせた。

「『風が通る』というのは、設計でも気持ちでも同じことだと思うんです。

 どこかに『抜け』がないと、息苦しくなります。」

青年は少し考えてから、笑った。

「……たしかに。建物も、人も、同じですね。」



庭の一角では、広海が黙々と作業をしていた。

熊手を握り、落ち葉と枯れ枝をかき集めては袋に詰めていく。

汗が額を伝い、シャツの袖が土で汚れている。

休憩の合図がかかっても、もう少しだけと手を止めなかった。


その姿を見ていた初老の男性が声をかける。

「兄ちゃん、ずいぶん真面目だな。」

「いえ、昔からこれが性に合ってるだけです。」

「そうか。……でも、こうやって汗かくのも悪くないな。」

男は笑いながら空を見上げた。

その空には、薄い雲が流れ、風が静かに丘をなでていく。



昼前になると、縁側の前に長机が並べられた。

町内の女性たちが、お茶のポットとおにぎりを運んでくる。

説明会で広海の話を聞いていた主婦たちだ。


「お昼の時間です。無理しないでね。」

「これ、うちの畑の菜の花漬け。春の味だから。」


林はその様子を見て、胸の奥が温かくなった。

「ありがとうございます。こうして誰かが来てくれることが、一番うれしいです。」


女性たちの笑い声、湯気の立つポット、草の匂い。

すべてが混ざり合って、まだ生気のなかった空き家に「人の気配」が宿っていく。


広海は縁側に腰を下ろし、黙ってお茶を飲んだ。

湯気の向こうに、林と建築士が図面を見ながら話し合っている姿が見える。

その姿に、希望のようなものを感じた。


「……風の通り道、できるといいな。」

誰にともなく呟いた言葉を、春風がさらっていった。



午後、作業が再開された。

若者と年配者が混ざり合い、庭の奥から小道を作る。

倒れかけた竹垣が取り払われ、家の裏側にも風が流れ込むようになった。


最後に林が室内の窓を一つ開け放った。

それに合わせるように、広海が反対側の扉を大きく開く。

……ふわりと、柔らかい風が吹き抜けた。


誰かが「あ……」と声を漏らした。

一瞬の静寂のあと、畳の上に舞った埃が光を反射して踊る。

風が抜けたあとの空間は、どこか軽くなったように感じられた。


林はそっと呟いた。

「ここに、最初の『風の通り道』ができましたね。」


広海がうなずいた。

「やっと、風がこの家を見つけたんですね。」


2人の言葉に、誰もが静かに頷いた。

丘の上の空き家は、まだ古びたままだった。

けれど、その内部を確かに何かが通り抜けた。


……町の風が、初めて『形』になった日だった。


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