第19話 風の伴走
3月12日
午後 倫理委員会後
庁舎の掲示板に、一枚の告知が貼り出された。
タイトルは、
「『風の通る家』運営団体 公募のお知らせ」
公募は一般競争入札形式ではなく、内容を競うプロポーザル形式。
「価格」ではなく、「理念と実行力」が問われる。
応募条件の欄には、こう記されていた。
単なる支援ではなく、『関わり』を目的として活動すること。
一般的なことを除く資格要件は3つ。
1.ひきこもりや社会的孤立に関する支援経験を有する者が、当該団体に所属していること。
2.寄付による信託運用の理念を理解し、その趣旨に沿った運営ができること。
3.倫理委員会の指導に従い、共生の理念に理解があり、
町内外の人々と協働して事業を行える団体。
水野が印刷を終えた掲示文を手に取り、深呼吸をした。
「これで、告知完了です。」
橋爪がうなずく。
それでも、2人の表情には緊張が残っていた。
「『ひきこもりの町』って言葉、まだ誤解されますからね。」
「ええ。でも、棘があるから届く……田嶋さんがそう言ってました。」
水野は微笑み、掲示板の紙をまっすぐ整えた。
*
一週間後。
庁舎2階の小会議室には、長机の9脚の椅子が並んでいる。
本日は、『風の通る家』運営団体プロポーザル審査会。
会長は副町長。
倫理委員会から選ばれた5名と、町の執行部から3名……
総務課長、財政課長、企画課長。
計9名の審査員がそろった。
副町長が資料を確認しながら口を開く。
「本日の応募は一団体のみです。
ただし、採点で基準点を満たさなければ契約対象外となります。
形式は崩さず、通常どおりプレゼンテーションと質疑を行います。」
その言葉に、一人の委員が小さく呟いた。
「……『ひきこもりの町』という言葉が、やっぱりハードルを上げたのかもしれんな。」
会場に小さな沈黙が流れる。
誰も否定しなかった。
けれど、その沈黙の奥に、誰もが『それでも前へ進まなければ』という思いを抱いていた。
副町長が軽く頷き、前方の席を見やる。
「それでは、発表者の方、どうぞ。」
林明里が入場し、前方の席に立ち、深く一礼した。
プレゼン時間は15分。
モニターには、柔らかな風にそよぐ木立の写真が映し出される。
「NPO法人 そよぎ 代表の林です。 『そよぎ』という名前には、風が吹く前に木の葉がふるえる……
その『前触れ』を大切にしたいという思いを込めました。」
彼女の声は静かだった。
「私たちは、人を助けるのではなく、隣で風を感じる存在でありたい。
支援ではなく、関わりを。
制度ではなく、日常を。
その積み重ねが『風の通る家』の文化になると信じています。」
発表中、審査員たちはメモを取り続けていた。
質疑応答では、財務課長が尋ねた。
「運営資金の収支見通しは?」
「運営開始から数年間は寄付者の了解の元、寄付金の一部を直接活用させて頂きます。
残りの寄付金について、当初は5割を安定性の見込める複数の銀行系に信託し、残りは現金で保有します。
世の中の状況を見ながら、信託と現金保有の割合を変えて行く予定です。
この辺はNPOの繋がりで金融関係に強い複数の方にも助言をもらえることになっています。
長期間で運用をした時に信託による受益で運営費が賄える線が得られることを目標にします。
捕らぬ狸の……ではありませんが、新たな入居者に伴う寄付、この活動への賛同の寄付にも期待しています。
その上、町はふるさと納税でもこの事業を対象とし、その収入をこの事業に当ててくれる予定だとも聞いています。
いずれにしましても、経費節約、明朗な収支報告に努め、堅実な運営を心がけます。」
明快な答えだった。
医師の委員が小さく頷く。
「事業の内容をよく理解している。机上の理想じゃない。」
プレゼンの後、全員が採点票を記入し、提出する。
副町長が合計点を確認すると、小さく頷いた。
「……基準点を大きく上回っています。
提案内容、理念、実現可能性ともに高評価。
審査会として、『NPO法人そよぎ』を運営委託候補として決定します。」
室内にわずかな拍手が起こった。
林は小さく頭を下げ、深く息をついた。
その表情には安堵と、静かな覚悟が同居していた。
*
その日の夕方。
町長室。
机の上には、審査結果報告書が置かれていた。
森が読み上げる。
「……審査会の決定により、NPO法人そよぎを契約相手候補として選定。
全会一致です。」
大迫町長は報告書に目を通し、しばらく無言だった。
やがて、ゆっくりと決裁欄に印を押す。
「……風が吹かないなら、自分で起こす。
そういう人間が、やっと現れたな。」
森がうなずく。
「はい。町にとっても、大きな一歩です。」
窓の外には、春の光が差し込んでいた。
庭の木々が、ほんの少しだけ揺れている。
まるで、町全体が「そよぎ」を感じているように。
*
庁舎を出た林は、夕風に顔を向けた。
静かな町の坂道を、書類の入った鞄を抱えて歩く。
『風の通る家』はまだ建っていない。
けれど、その中で流れる空気は、すでに動き始めていた。
遠く丘の上に見える屋根が、やわらかい光を受けてかすかに光る。
林は立ち止まり、そっと呟いた。
「……ここからですね。」
春の風が頬を撫で、髪を揺らす。
木立の枝先が、かすかにそよいだ。
……町の『風』が、確かな形を得た瞬間だった。




