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ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き  作者: 中島 茂留


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17/24

第17話  風の仕度

3月5日

午後


3月の風は、まだ冷たさを残していた。

けれど、その風の奥には、春の匂いがわずかに混じっている。

庁舎の窓の外で、旗が静かに揺れていた。


役場2階の第2会議室。

机の上には、資料の束とノートパソコンがずらりと並び、

若手職員たちが真剣な表情で向き合っていた。

ホワイトボードの中央には、太字で書かれた言葉。


「風の通る家 整備準備会議」


「……寄付金の受け入れ体制について、財務課から報告を。」

矢野が立ち上がり、資料を掲げた。

「信託口座の設置については、複数の金融機関と協議を進めています。

 事業の管理・運用は民間機関に委ね、

 町は監督と情報公開の責任を担う一般的なスキーム案を整理中です。」


橋爪が続けた。

「入居希望者の審査体制についても検討しました。

 第三者を含む倫理委員会を設けます。

 構成案は……医師、臨床心理士、弁護士、町民代表、

 そして町内のNPO団体代表など、専門性と地域性を兼ね備えたメンバーで調整中です。」


「理念や運営指針をどう位置づけるかが課題ですね。」

水野が言った。

「施設整備より先に、『町としての約束』を形にしておきたいですね。」


会議の隅で静かに聞いていた林が、そこで口を開いた。

「制度を作るときに一番大切なのは、『心の入口』を忘れないことです。」

「心の入口?」と水野。


林は、手元のメモを見ながら穏やかに続けた。

「入居審査や寄付契約は、誰かを線で分ける作業ではありません。

 『この町で一緒に風を感じられる人かどうか』を見つける作業です。

 仕組みの中にも呼吸を通す。

 そうすれば、制度が硬くならずに、人の温度を保てます。」


広海は頷いた。

「……仕組みにも風を通す、ですね。」

「ええ。風は数字ではなく、人の関わりの中で生まれます。」



午後の後半。

白山がタブレットを掲げた。

「全国からの問い合わせ、昨日までで32件です。

 『子の将来を託したい』という相談がほとんどで、

 すでに寄付金の概要説明を求める声も届いています。」


「思っていたより早いですね。」

水野が驚くと、白山はうなずいた。

「報道の影響もありますが、『町が本気で受け入れようとしている』と伝わったようです。

 中には、『風の通る家が完成したら必ず訪ねたい』という手紙もありました。」


静寂が流れた。

紙をめくる音だけが響く。

広海は胸の奥に、確かな重みを感じていた。

……誰かが、この町に希望を託そうとしている。


「倫理委員会の発足は一週間以内に。」

森が確認した。

「平行して寄付契約書案の整理と、運営をお願いするNPOの公募準備も進めましょう。」

「分かりました。」と水野が答える。


林が手を上げた。

「寄付金が動き始めたときにこそ、『見守る仕組み』が必要です。

 お金を扱うことは、思いを預かることでもあります。

 風は、一方向だけでは吹きません。

 託す側にも、受け取る側にも流れるんです。」


会議室の空気が静まり返った。

その静けさの中で、全員が同じ想いを共有していた。



夕方。

庁舎の屋上から見下ろす町は、淡い光に包まれていた。

広海は資料を抱えたまま、遠くの丘を見つめた。

その向こうに、改修予定の古民家がある。

今はまだ静かな屋根だけれど……

風が吹けば、そこから町へ新しい空気が流れ出す。


背後で扉が開く音がした。

町長・大迫が立っていた。

「ようやく形が見えてきたな。」

「はい。あとは寄付金が入るのを待つだけです。」

「風が吹くまで、土をならすのが俺たちの仕事だ。」

そう言って、町長は空を見上げた。

「風を止めないこと。それだけは、忘れるな。」


広海は小さく頷いた。

冷たい風が2人の間を通り抜ける。


彼は資料の端に書かれた文字を見つめた。


「整備準備完了 3月5日」


風、通る。


広海は胸の奥で静かに息を吐いた。

「……これで、仕度はできたな。」


丘の向こう、まだ誰もいない家の屋根の上を、

春の風がやわらかく撫でていった。


……風の通る家は、まだ完成していない。

けれど、そのための『風の通り道』は、もう町の中にできていた。


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