第16話 風の説明会
2月28日
夜
「ひきこもりの町構想 風の通る家建設 町民説明会」
横断幕の文字が、少し硬い。
入り口で配られた資料には、丁寧な文章で『趣旨説明』が書かれている。
だが、その文面を読む前から、来場者の多くはすでに『噂』で心を決めていた。
「町がひきこもりを集めるんだってさ」
「税金で面倒を見るって話じゃないのか?」
「うちの子が働いても、報われない町になる」
そんな声が、あちこちでささやかれていた。
壇上には、町長、司会の水野、隣に橋爪、高瀬、山本、矢野、白山、森。
そして一番端に、ごみ収集員の作業服を着た田嶋広海。
スーツを着ないまま壇上に立つ彼に、会場の視線が集まった。
最初に、町長・大迫がマイクを取った。
「今日は、町がこれから進めようとしている新しい取り組みについて、
皆さんに正面からお話しする場を設けました。
……『ひきこもりの町構想 風の通る家建設について』ご説明いたします。」
その言葉を聞いた瞬間、客席がざわついた。
『その言葉』が持つ棘が、音になって跳ね返った。
「誤解もあるでしょう。反対の意見もあると思います。
けれど、誤解を恐れて何も言わなければ、町は止まったままです。」
そう言って大迫は壇上の広海を見た。
「この構想を最初に提案したのは、現場の職員です。
町を毎日走る、ごみ収集員の田嶋君。
彼の言葉で、この取り組みの意味を話してもらいます。」
マイクが渡される。
広海は一度、深く頭を下げた。
壇上から見下ろす会場の町民たち……怒り、疑問、不安、そしてかすかな期待。
それらが複雑に混ざっていた。
「この構想の目的は、ひきこもりの人を『集める』ことではありません。」
広海の声は低く、けれどよく通った。
「孤立して生きざるを得ない人が、
最後に安心して暮らせる場所を町の中に作るということです。」
前列の男性が声を上げた。
「安心? それを誰が負担するんだ! 俺たちの税金か!」
広海はうなずいた。
「いいえ。税金は使いません。
親御さんが生前に寄付や信託で資金を預け、
その運用益で支援を続ける仕組みです。
町はお金を受け取らず、監督と倫理を守るだけです。」
「そんな金持ちが本当にいるのか?」
「いなければ、どうするんだ?」
会場のあちこちから声が飛ぶ。
それでも広海は、声を荒げず淡々と答えた。
「私は……」
少し間を置いて、広海はまっすぐ正面を見つめた。
会場のどこを見るでもなく、ただ一点、空気の中を見透かすように。
声は静かで、どこか祈るようだった。
「私は、ごみ収集の仕事の中で、一つの光景を見ました。
親御さんが亡くなり、一人になった青年の家。
カーテンが閉まったまま、誰も気づかず、
数日後、ようやくその存在が知られました。
あの静けさは、今も耳の奥に残っています。
世界が閉じていく音というのは、ああいうものなんです。」
会場が静まり返った。
ざわめきも、咳払いも止んだ。
聞いている誰もが息を呑んでいた。
ただ、広海の声だけが、静かに空気を震わせていた。
一拍の沈黙のあと、彼は言葉を続けた。
「……運が良ければ助かる。
そんな偶然に頼らない町を、作りたいんです。」
静寂が再び訪れる。
その静寂の中で、何人かの町民がゆっくりと姿勢を正した。
誰もが、もう目をそらすことができなかった。
「この言葉……『ひきこもりの町』……には棘があります。
だから、痛い。
でも、痛みがなければ、誰も考えない。
この町に住む私たちが、『見ないふりをしてきた人たち』のことを
一度でも考えるきっかけになってほしいと思っています。」
*
そのとき、会場の後方で車いすが動いた。
ひとりの男性が、静かに手を挙げる。
年齢は三十代半ばほど。
細身の体に、少し緊張した面持ち。
水野が小走りで無線マイクを持っていく。
男性は深く頭を下げた。
「先日は助けて頂きまして、ありがとうございました。」
会場がざわめく。
広海の目がわずかに見開かれる。
「私は、佐伯翔太と申します。」
近くの初老の男性が驚いた声を上げた。
「え? 翔太君? お母さんが亡くなってから探してたんだよ。」
佐伯は静かにうなずいた。
「それはお手数を掛けました。
でも、僕はあの家にずっと住んでいたんです。
皆さんには知られないように。……いわゆる、ひきこもりでした。」
会場の隅で、年老いた女性が小さな声で言った。
「翔太君のお母さん……通り魔に殺されたのよ。」
「ええ。」佐伯は頷いた。
「最初は帰りが遅いだけだと思っていました。
でも数日後、ネットのニュースで知りました。
犯人は『誰でもいいから殺そうと町を彷徨っていた』と。
その中で、両手に買い物袋を提げて歩いていた母が、
『簡単に殺せる』と狙われ命を奪われました。」
会場が息を飲む。
佐伯の声は震えていない。ただ、静かだった。
「母が居なくなってから、何度か……多分役場の方だと思いますが……
訪問してくれました。
でも僕は身を隠していました。
何をどうしたらいいか分からず、部屋で過ごしていました。
やがて死んでいくんだろうと思って、母に遺書も書きました。
『もうすぐそっちへ行くよ』って。
……死んだ人に遺書なんて、おかしな話ですよね。
でも、それしかできなかったんです。
……そんな中で、そちらにいる田嶋さんに助けてもらいました。
気づいてもらえたんです。」
会場が静まり返る。
広海は真っすぐ佐伯を見ていた。
佐伯は続けた。
「かなり衰弱していた僕は、しばらく入院していました。
何もする気が起きなかった。
でも、病院のベッドの上で『ひきこもりの町構想』のニュースを知りました。
関連する記事や町議会の録画を全部見ました。
そこで田嶋さんが言っていました……
『助けるではなく、見放さないという約束を町として記録する制度だ』と。
……そんな約束をしてくれる町なら、
僕も生きていけると思いました。
初めて、生きようと思えたんです。」
沈黙。
その中で、先ほど翔太君と呼んだ初老の男性が口を開いた。
「……私ら、近所では仲良くしてきたつもりだった。
でも、人の家の中のことには口を出しちゃいけないと思ってた。
だから、翔太君があんなに苦しんでたなんて気づかなかった。
そして今、あなたの話を聞いて思いました。
『運が良ければ助かる、そんな偶然に頼らない町を作りたい』……
その言葉が、今、身に沁みました。」
彼は深く頭を下げた。
「今日の説明会では、どう納得させてもらうかばかり考えてた。
でも、本当は私ら自身が何とかしなくちゃいけなかったんだ。
だからお願いします。
この『風の通る家』、ぜひ作ってください。
何ならボランティアで大工仕事も手伝います。
ぜひお願いします。頼みます!」
下を向き、目頭を押さえる人たち。
そんな中、涙をぬぐいながら女性が拍手した。
それに釣られるように、会場全体が拍手に包まれた。
その音は、大きいだけではなく、温かさも帯びていった。
大迫が静かにマイクを取った。
「……ありがとうございます。
この町は今、風が通ろうとしています。
止めることも、背を向けることもできます。
でも、私は信じます。
この風は止まらず、この町を優しく変えていくことを。」
拍手が続いた。
その音に混じって、どこかで誰かのすすり泣きが聞こえた。
風が、町の壁を抜けた。
*
説明会が終わり、スタッフたちは静かに会場を片づけていた。
誰も多くを語らなかった。
けれど、その沈黙には確かな手応えがあった。
「……今日のこと、忘れられませんね。」
水野がぽつりと言った。
広海はゆっくりと答えた。
「ええ。
あれほど重く澱んでいた空気が、動きました。
誤解も批判もあったけれど、それごと動かした風……
それが、この町の本当の始まりかもしれませんね。」
会場の外から夜風が吹き込み、ガラス戸を揺らした。
その音は、町全体が呼吸を取り戻すような、静かで確かな響きだった。
……『風の通る家』は、まだ完成していない。
けれど、その『風』は、もう町の中に吹き始めていた。




