第12話 議場の風
2月13日
午前
町庁舎の3階、議場にはスーツ姿の議員たちが整然と並んでいた。
傍聴席には報道関係者や町民、そしてNPO代表・林 明里の姿もある。
いつもより空気は張りつめていた。
議長が静かに宣言した。
「それでは、臨時議会を開会します。
議題は1件のみ……企画課より提出の『生涯共生信託制度(モデル案)』について。」
一斉に視線が前方に向く。
演壇に立つのは町長・大迫。
関係者の席には、田嶋広海、水野結衣、橋爪慎吾などのプロジェクトチームの若手の姿があった。
「この構想は、いわゆる『ひきこもり』や孤立状態にある方々が、
安心して生き続けられる仕組みを作るものです。通称『ひきこもりの町構想』」
大迫の声が、マイクを通して静かに響く。少しのざわめき。
傍聴席の記者達が忙しく手帳に文字を刻み始める。
「親が子の将来を心配して残す資産を、町が信託として預かり、生涯支援に充てる。
町は直接の利益を得ません。
ただ、責任を持って『見守る』という役割を果たします。」
説明が終わると、すぐに手が挙がった。
議員席の中ほど、古参議員・大西が立ち上がる。
「町長、聞き捨てならんですな。
町が人の人生を『預かる』? それは行政の範囲を超えている。
もし事故やトラブルが起きたら、誰が責任を取るんですか。」
大迫は表情を崩さずに答えた。
「町が取ります。」
「簡単に言わないでください!」
大西の声が議場に響いた。
「町は慈善団体じゃない。税金を預かる立場です。
あなたの『情』で動いたら、町が潰れる。」
議場の空気が一気に重くなる。
傍聴席の誰かが小さく息を呑んだ。
その時、議長が議席を見回しながら言った。
「この構想を最初に提案したのは、環境衛生課の職員だと聞いています。
田嶋さん、よければご説明をお願いします。」
ざわつく議場。
広海は短く深呼吸し、立ち上がった。
さすがにいつもの作業服ではなく、落ち着いて控えめな色のスーツだった。
「田嶋さん、今日は見違えて恰好良いですね。」と橋爪。
「信念を語ろうと決意した人の姿ね。」と水野。
広海は、胸のポケットに軽く指を触れる。
演壇に上がり、マイクの高さを少し下げて前を見据える。
「私は、ごみ収集の仕事をしています。
町の隅々を回りながら、人の暮らしの痕を見てきました。
その中で、忘れられない光景が一つあります。」
静まり返る議場。
「一人の青年がいました。
親御さんが亡くなり、誰にも知られず、
数日後にその部屋の片隅で発見されました。
あの家の静けさを、私は今でも覚えています。」
広海の声は穏やかだが、空気を震わせていた。
「その青年は保護された後、行方が分からなくなりました。
……もし、この町に『仕組み』があれば、
誰かが気づけたんじゃないか。
そう思ったんです。」
議員たちの視線が彼に集まる。
広海は一呼吸おき、
声の芯に静かな熱を宿した。
「この構想は、優しさを形にする挑戦です。
『助ける』のではなく、『見放さない』という約束を、
町として記録するための制度です。」
沈黙。
やがて、大西が再び立ち上がる。
「田嶋さん、なぜ町がこれをやらなければならないのですか。
裕福な家庭なら、民間の支援会社に頼めばいい話ではないですか。
行政の範囲を超えているんじゃないですか。」
空気がぴんと張り詰めた。
広海は視線を逸らさず、淡々と、しかし確かな熱を込めて答えた。
「……確かに、民間にも優れた取り組みがあります。
けれど、この構想で扱う『人生の信託』には、大切な条件があります。
それは、『長く続くこと』と、『誰に対しても開かれていること』。
企業は事業であり、契約でつながります。
でも、町は『暮らし』でつながっている。
この制度は、町が町民を孤独にさせない、
『見放さない文化』を公の責任として形にすることなんです。」
彼の声が、冷たい空気の中をやわらかく通り抜けていく。
「最初は寄付を原資に施設を運営します。
けれど、目的は『共に生きる文化』を育てること。
その文化を守り、世代を超えて引き継ぐためには、
行政が関与する『変わらない仕組み』が必要です。
町は、誰の利益にもならなくても、
誰かを守る場所であるべきなんです。」
言葉は静かだったが、議場の奥まで届いていた。
広海が一歩下がろうとしたとき、
別の若い議員が手を挙げた。
「田嶋さん、もう一点。
『誰に対しても開かれている』と言いましたが、
高額な寄付ができる家庭しか救われないのでは?
貧しい家庭の子は取り残されるのではないですか?」
再び静寂。
広海は頷き、穏やかに答えた。
「……おっしゃる通りです。
今の段階では、すべての人を対象にできません。
でも、目的は『特定の誰かを救うこと』ではなく、
町全体が『共に生きる仕組みを持つ』ことです。
この施設を共生の核として、
関わる人、支える人、訪れる人……
そのすべてが触れ合える場所にしていきます。
入居する方の生活は守られなければなりません。
でも、同時に、町の誰もが立ち寄れる。
孤独を感じた人が『あそこに行けばいい』と思える町にしたいんです。」
議員席のあちこちで、
うつむいていた顔が静かに上がった。
その表情には、否定ではなく考える色が浮かんでいる。
「だからこれは、特定の人を救う制度ではありません。
町が『人を受け止める文化』を形にする始まりなんです。」
言葉が終わると、議場の空気が少しだけ緩んだ。
風のような静寂。
そのあと、傍聴席の一角から、ゆっくりと拍手が起こった。
林 明里だった。
その拍手が隣の席へ、さらにその隣へと広がっていく。
「静粛に。」
議長がやや強い声で注意する。
拍手はすぐに収まり、
再び静寂が戻った。
けれど、その静けさの中に……
確かに『風』が通っていた。




