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ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き  作者: 中島 茂留


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10/24

第10話  風の準備

2月10日

午後


会議室の窓から、淡い冬の光が差し込んでいた。

議会開催まで、あと3日。

臨時議会の議題として……「生涯共生信託制度(モデル案)」が正式に記された。


「ほんとに、あの町長が出すとは思いませんでしたね。」

資料を手にした水野が、半ば呆れたように言う。

「『俺たちの町に風を通してみせる』なんて……詩人みたいでしたよ。」


「でも、本気ですよ。」

広海は静かに笑った。

「たぶん町長なりの『覚悟』なんだと思います。」


企画課の一角に集まったプロジェクトチームの職員たちの机の上には、資料の山。

福祉課の橋爪、建設課の高瀬、広報課の白山……皆が自分の分野で資料を整えている。


その中心に、「説明者」として広海の名前が置かれていた。


「町長、あえて田嶋さんを指名しましたね。」

水野が紙を指でとんと叩く。

「普通なら企画課長がやるところを。」

「……現場で風を感じた人間の言葉でないと届かん、って。」

広海は小さく苦笑した。

「町長室で言ってました。」


橋爪が口を挟む。

「つまり、魂で語れってことですかね。」

「そんな立派なもんじゃありません。ただ、ちゃんと伝えたいだけです。」

広海の声には静かな力があった。


机の上には、林が送ってきたメールのプリントが一枚。

文面の下に短い一文……


「風は、誰かが信じたときに通り始めます。」


その言葉を見つめながら、広海は息を吸った。



夕方。

議会の傍聴席を見上げると、薄暗い天井の向こうに古い照明が灯っていた。

広海はひとりで壇上に立ち、マイクの高さを確かめる。


「ここで話すのか……。」

声を出すと、静まり返った議場にわずかに反響した。


ドアの開く音。

入ってきたのは町長・大迫だった。

「練習か?」

「ええ。雰囲気だけでも慣れておこうと思って。」


「そうか。」

町長はゆっくり議場の中央まで歩くと、腕を組んで前を見た。

「ここはな、風が通らん場所だ。」

「……え?」

「長年、形式と前例で固まってる。

 質問しても、答えは『検討します』ばかり。

 ここに必要なのは、あんたが言ってた『風』だ。」


広海は静かに頷いた。

「町長、ありがとうございます。でも……本当に僕でいいんですか。」

「お前がいい。役職じゃなく、言葉を持ってるからだ。」

「言葉……。」

「言葉は風だ。正面から言えば、どんな壁にも隙間はできる。」


大迫は背を向け、議場を見上げた。

「3日前の報告で「風の通る家」の名前を聞いたとき、心の中で何かが動いた。

 お前たちが作ろうとしてるのは、ただの施設じゃない。

 町の空気を変える仕掛けだ。

 ……なら、俺もその風を通す側に立つ。」


広海は一歩前に出て、深く頭を下げた。

「……分かりました。魂で、伝えます。」


町長は振り返り、わずかに笑った。

「いい風を吹かせろ。お前の言葉でな。」



夜、役場の資料室。

蛍光灯の下で、水野と橋爪が原稿のチェックをしていた。

林から届いた新しい資料には、彼女の手書きのメモが添えられていた。


「風は、押すより、通す。

強く語るより、信じて話す。」


水野が呟く。

「……林さんの言葉って、不思議ですね。

 静かなんだけど、心が動く。」

「たぶん、『風の声』なんですよ。」

広海が答えた。


外の風が、窓をゆっくり叩いた。

3日後、この風が議場に入る。

人の心の中に、通り道ができるかどうか。

その鍵を握るのは、言葉だった。


広海は深く息を吸った。

胸の奥に、まだ見ぬ『議場の風』を感じながら。


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