第1話 帰宅部希望と言ったはずだが?
例年よりも早く咲いた堤防の桜は、もうすでに緑の葉をたっぷりと広げ、柔らかな春の陽射しを浴びていた。
窓際の席で、伊勢木大牙は腕を組み、ぼんやりとその景色を見ている。休み時間だというのに、クラスメイトたちの輪には加わらず、ただ一人ぽつねんと。
「ねえ、伊勢木くん。eスポーツ部に興味ないかしら?」
声をかけてきたのは、やけにキラキラした目をした少女だった。
ぱっちりとした二重に、ツヤのある縦ロールの髪。
まるでお嬢様キャラのテンプレートをそのまま現実にしたような見た目だ。
名前は――東雲沙羅。
「……いや、俺、帰宅部希望って言ったはずだけど」
「えっ!? うそっ!? ゲームが趣味って言ってたじゃありませんの!? え、違う人!? 自己紹介のときに『趣味はゲーム』って言ってた人、あなたじゃ……?」
「まあ、俺だけど」
「じゃあビンゴじゃない! なにその反応!? もっとこう、えっと、部活の話題を振られてドキッとしたりしないの!?」
「しない」
即答。しかも目線はずっと窓の外。
しかし、東雲沙羅はめげない。というかテンションが下がらない。机に手をついて前のめりになってくる。
「帰宅部希望だなんて、もったいない! eスポーツって夢がありますのよ! しかもあなた、顔もわりと整ってるから、活躍すれば女子にモテ――」
「断る」
「あぐっ⁉」
完璧なタイミングで遮られ、沙羅は変なポーズのままフリーズする。
それでも彼女はあきらめない。すぐに目を見開いて、力強く言った。
「いいえ、諦めませんわ! あなたにはeスポーツ部が運命レベルでピッタリなんですの!」
「……俺、帰宅部希望って言ったよな。はい、終了」
「帰宅部って……。そんなの人生の無駄じゃありません? 趣味に費やす時間がーとか言う人いますけど、eスポーツ部なら趣味も青春もゲットできて一石二鳥ですのに!?」
「俺は帰宅部希望。それ以上の説明は不要だろ! だいたいプロゲーマーを目指すなんぞ愚者の所業。アイドルより狭き門だろ?」
「誰もプロを目指せなんて言ってませんわ! サッカー部員が全員Jリーガーを目指す訳ではないのと同様に、eスポ部は必ずしもプロゲーマーを目指す部活動ではないのです。それに……えっと……あのですね?」
ふくよかな胸の前で指先を絡ませ、何やら言いたげにもじもじし始める沙羅。
大牙の額に青筋が立つ。
「何だよ。言ってみろ」
「えっと、ごめんなさいっ。わたくし先程、外見がそこそこ良いと言いましたが……あくまでもある程度良い、と申しましたが……伊勢木はアイドルを目指せるほどではないと……」
「俺が言いたいのはそこじゃなーい!」
大牙はバンと机を叩いて立ち上がった。
休み時間の教室のざわめきが一瞬にして静まる。
周りを見回し、口元を引きつらせながら愛想笑いを浮かべて座りした。
「俺は帰宅部希望だから、どこの部活にも入るつもりはない。だからeスポ部に入らない。そういうことだから、誘うなら他を当たってくれ」
「そういうこととは、どういうことなのでしょうか?」
真顔で問いかける沙羅。
大牙は眉間にしわを寄せ足を小刻みに動かしている。
しばしの沈黙の時間。
そしてはたと気付いた。
「なあ、そもそもこの学校にeスポ部なんてあったか?」
「今は無いですけど? これから作りますわ、このわたくしが!!」
胸に手を当て、なぜか誇らしげに言う沙羅。
「わたくしはこう見えてもこの学園の理事長の孫娘ですの。その気になれば金に糸目をつけずに何でもやれますのよ! おーほほほほ」
口に手を当て、高笑いする沙羅を大牙はジト目で見上げる。
「へぇ〜。理事長の孫ぉ〜? すごいねぇ〜。へぇ〜(棒)」
「な、なぜ棒読み口調ですの? まさかわたくしが理事長の孫娘であることを信じていないと? いいわ伊勢木、一高の正式名称を言ってご覧なさい」
「東雲学園第一高等学校……あ、そういうことか。たまたま名字がこの高校と同じだから。ふん、なるほど。ちょっとそういうことを言ってみたい年頃というやつだな?」
「人を中二病患者と一緒にしないでもらえるかしら-っ?」
沙羅は『キーッ』と悔しそうに地団駄を踏んだ。
それから沙羅は顎に手をつけ『うーん』と声を漏らしながら大牙の机の前を動物園のレッサーパンダのようにグルグルと回り始める。
大牙はそれをガン無視して窓の外に視線を移し、トントンと指先で机を叩いて気持ちを静めようとしている。
また時間が過ぎていく。
しばらくして沙羅は何か名案が思いついたようにポンと手を叩いた。
「そうですわっ! 今から伊勢木の個人情報を皆の前で大暴露すれば、理事長の孫って証明できますわよね!?」
「やめろぉぉぉぉ!! 俺のプライバシーが!!」
大牙が顔を向けると、沙羅はもう後ろを向いてどこかに電話をかけているところだった。
急いで立ち上がり沙羅の元へ近寄ったものの、女子の肩に手を乗せてグイッとこちらを向かせる程の勇気はない。
だがその通話は一方的に切られたようで、
「個人情報を私用で使うなど言語道断と、御爺様に叱られましたわ……ぐすっ」
ガックリと肩を落として振り向く。涙目で。
チャイムが休み時間の終わりを告げた。
大牙は大きくため息を吐く。この『お嬢様』は絶対に関わってはならない相手だと確信した。