琥珀色の夢の向こうで
2137年、夏。俺は時が止まった村の中を歩いていた。
抜けるような青空には真っ白な入道雲。最新技術を結集して作られた防護服の中はサウナのように暑い。見てくれを気にするより着用感を優先しろとあれだけ言ったのに、技術局の奴らはいつだって現場の声を聞いちゃいない。
「せんぱぁい、まだ着かないんですかあ。こんな調子じゃ、日が暮れちゃいますよう。汗で化粧も全部ハゲちゃいますう。貴重な出会いを逃したらどうしてくれるんですかあ」
「安心しろ。日が暮れる前にママが迎えに来るさ。化粧はまた塗れ。こんな呪われたど田舎に出会いなんて転がってるわけねぇだろ」
「えー、そんなのわかんないじゃないですかあ。眠り姫って知ってます? 長い眠りから目を覚ましたお姫様は、呪いを解いてくれた王子様と恋に落ちるんですよ?」
「その理屈だとお前が王子だろ。くだらねぇこと言ってねぇで黙って歩け。いつまでも新人気分でいてんなよ」
素っ気のない俺の言葉に、五十嵐はヘルメットの中で唇を尖らせた。
輸送車の中で「夏の新色なんですっ」と自慢げにつけていたリップが艶やかに光っている。20代の女ってのは本当に怖い。ズレてもすぐに直せねぇからやめろっつってんのに、相変わらずつけまつ毛もビシバシだ。
「もー、和哉先輩ったらお父さんみたい。そんなんじゃ、モテませんよー」
「うっせえな。先輩を下の名前で呼ぶんじゃねぇよ。長嶺先輩って呼べ。お前だって、俺に橙子って呼ばれたら嫌だろ」
五十嵐は少し逡巡して、「きもっ」とこぼした。後で覚えとけよ。
『――班。C班長嶺。聞こえるか? 応答しろ』
ヘルメット内部に怜悧な女性の声が響く。みんなのママ。常世茸特別対策本部長の阿久津佳代子だ。条件反射で喉元のスイッチを押し、「こちら長嶺」と返す。ぼやぼやしてたらここに乗り込んできかねない。
『現在地は彩目村2丁目2番2号。彩目市第3分校前。相違ないか?』
ちらりと横の建物に視線を走らせる。
この10年で好き放題のさばった雑草に埋もれるように、とても学校には見えない掘立て小屋が建っている。かろうじて残っている門には、『彩目市第3分校』と達筆な筆文字で書かれた木の看板が掲げられていた。ヘルメット内部に映し出された地図にもそう記されている。
「相違ありません。これから五十嵐と共に村の最奥――レベルレッドの区域に進入します。対象人数は10人。作業終了までおよそ6時間。ヒトハチサンマルには撤収します」
『了解。A班とB班も目的地に到着した。そこから先は胞子量が多くて通信にはノイズが混じる。不測の事態が起きた場合は発煙筒を使え。心して行けよ』
「アイ、マム。危険手当てははずんでくださいよ」
軽口を叩いて通信機を切り、鬱蒼とした登山道の入り口に佇む。足元には道祖神。前回の定期巡回で誰かが供えたのか、枯れた菖蒲が牛乳瓶に差さっている。
その色は血のように赤い――この村でしか咲かない紅菖蒲だ。彩目村という名の由来も、この菖蒲からきているらしい。
「よし、行くぞ五十嵐。逸れんなよ」
立ち入り禁止と書かれた黄色いテープと並行して張られたしめ縄を越えると、途端に視界が白く煙ってくる。
こんな呪われた土地でも青々と繁る草木や荒れた地面に降り積もる白いものは、もちろん雪じゃない。常世茸が吐き出した胞子だ。
「ひえっ……。きもい。見るだけで寄生されそう。この防護服、本当に大丈夫なんですかあ? どっかに穴とか空いてません?」
「そんときゃ村人と一緒に眠り姫になるだけだ。よかったな。王子様が来てくれるかもしれねぇぞ」
「どうせ、来てくれるのは先輩みたいなおじさんじゃないですかあ。お断りですよう」
可愛くない後輩に顔を顰めつつ、黙って足を進める。人の手から離れた山道は歩きにくい。転ばないようにするのが一苦労だ。
道のあちこちには夜空を溶かしたような紺色の傘を広げた茸が見られる。頭部に茸を生やして転がる蝉や小動物の姿も。
常世茸――それがこの村を覆う呪いの正体だった。
温暖化の影響か、それとも増えすぎた人類に警鐘を鳴らす神のご意志か。10年前のある夏の日、山に群生する一夜茸が突然変異し、平和に日々を過ごしていた村人たちを襲ったのだ。
この茸の胞子を吸い込むと、鼻腔から伸びた菌糸が脳まで至り、松果体に原基を形成して宿主を眠らせてしまう。長く栄養を吸い上げるため、宿主の老化スピードはゆっくりになるものの、じわじわと命が削られていくことには変わらない。
命からがら逃げ出した村人によって急が知らされた時、世界は驚天動地の騒ぎになった。何しろ未知の症例だ。国はこの茸の名称を常世茸と改め、こぞって村人たちの救命を謳ったが、実現するまでには長い歳月がかかってしまった。
「あっ、先輩! 到着しましたよ。第1村人発見です!」
黒い手袋に包まれた指を伸ばし、五十嵐が俺を追い越していく。
最近、こいつは旧時代の動画を見るのにハマっている。『木村』と表札が掛かった玄関の前で、「ひえー。今では珍しい平屋の木造住宅ですよう。ロマンだあ……」と呟くその瞳は、アイドル雑誌を読む時と同じく輝いていた。
「お邪魔します」
「お邪魔しまーす!」
家の中は胞子が降り積もっているものの、綺麗に整頓されている。
タイル張りの古びたキッチンを抜けた先にある、古式ゆかしい仏間に設置されたベッドの上には、老女――木村多江がひっそりと眠っていた。
その額には無慈悲に傘を広げた常世茸。隣のベッドは空だ。ここには彼女の夫が眠っていたのだが、力及ばず、すでに亡くなってしまった。
そばには介護ロボットのM−38型。眠り続ける村人たちの命を繋ぐために生み出された存在だ。見た目はただの雪だるまだが、五十嵐の10倍は勤勉に働く。
「よう、M−38。お姫様の具合はどうだい?」
「リョウコウ。リョウコーウ」
M−38は突然現れた俺たちに動揺することなく、黒曜石みたいなつぶらな瞳で、多江のバイタルを確認していた。
村人たちの目を覚まさせるには、王子様のキス……ではなく、常世茸を取り除く必要がある。だが、タチが悪いことに、この茸は激しい衝撃を与えると毒素を排出して宿主を殺してしまう。
外科手術で除去しようにも、脳の深い部分に菌糸を張り巡らせているため、とても手が出せない。世界中から集まったお偉い研究者様たちが顔を突き合わせて話し合い、村人たちを救うには茸を枯らして体内に吸収させるしかないと結論付けた。
幸いにも、治療薬製作の糸口は村の中にあった。紅菖蒲だ。常世茸の胞子は紅菖蒲だけは避ける。難を逃れた村人たちは、みんなこの紅菖蒲の群生地に住んでいた。
製薬会社の利権とか、常世茸の不老性を解明して他国より有利に立とうとか、思惑は色々あったのだろうが、ともあれ、国は乏しい税金をやりくりして常世茸特別対策本部を立ち上げ、治療薬製作に邁進した。
それから10年。ようやく完成した治療薬は、残念ながら有効率100パーセントとはいかなかった。それでも実行に踏み切ったのは、世論が「村人たちを救おう」から「村人たちを見捨てろ」へシフトしたからだ。
何しろ治療薬製作は金食い虫。対策本部の運営費も、村の警備費用も、村人たちの生命維持にも全て税金が投入されている。
当初から反対の声はあったものの、不謹慎だと騒ぐ声に一蹴されていただけだ。
時が過ぎれば過ぎるほど人々の記憶も感情も鈍化していく。今では「そんな事件あったっけ?」と首を傾げる人間の方が多いだろう。事件自体を知らない子供もいる。
国に蔓延する不安も大きな向かい風になった。どれだけ少子化対策を打ち出しても人口は減り続けるし、それに比例して物価は上がっていく。
もう国民には誰かを思いやれる余裕なんて残っていないのだ。
「よし。仕事を始めるぞ。現在時刻ヒトフタフタマル。対象、木村多江」
「五十嵐了解。現在時刻ヒトフタフタマル。対象、木村多江。投与を開始します」
手にしたアタッシュケースからアンプルを取り出した五十嵐が、M−38の背中を開き、中の窪みにセットする。
M−38は「クスグッタイ」と抗議していたが、治療薬投与のコマンドを打ち込むと俄然やる気になって、3本指の中心から注射針を生やした。
「タエサン。オハヨウゴザイマス、シマショーネ」
細い針が多江の細腕に突き刺さる。そのまま1秒、2秒……。地獄のような時が流れる。
隣では五十嵐が両手を合わせて「お願いします。お願いします。お願いします」と念仏のように唱えていた。
仏様は哀れな衆生を見離さなかったらしい。
2分後、多江は長い夢から覚めた。
「あら……? 私、居眠りしてた……? 今、何時かしら……。おじいさんのご飯を作らなきゃ……」
むせながら視線を彷徨わせる多江の額から枯れた茸を払い落とし、防護マスクを被せる。治療薬を投与してしばらくは茸の寄生は避けられるが、念には念を押してだ。
そうこうしてる間に、外からヘリの音がした。待機していた別動隊が、M−38の信号を受信して多江を搬送しに現れたのだ。
彼女はこれから辛い現実と向き合っていくことになる。本当に目覚めさせてよかったのかと葛藤するのは――今じゃない。
「木村多江さん。これからあなたを村の外へ搬送します。我々は任務でご一緒できませんが、このM−38がお供しますから」
「ボクイル。アンシン。ゴアンシーン」
おどけるように、M−38が腕の先をくるくる回す。ずっとそばで自分を見守り続けてくれた存在がわかるのか、多江は小さく微笑んだ。
それから俺たちは順調に村人たちに治療薬を投与していった。目覚めたのは多江を入れて7人。残念ながら1人は永遠の眠りについた。
残るはあと2人。この彩目村は山の斜面にへばりつくように開かれた村だ。ここから先は道もさらに荒れている。見上げた空は、微かに夕暮れの気配を帯びていた。
「おい、五十嵐」
後ろでとぼとぼと山道を上っていた五十嵐が顔を上げた。ヘルメットの中の目は真っ赤に充血している。その目の下もマスカラが落ちてパンダ状態になっていた。
まだ若いこいつには、夢の世界に残った村人を見送るのはキツかったらしい。だからつけまつ毛をするなと言ったのに。
「残る2人の家は東と西だ。1軒ずつ回ってたら撤収時間に間に合わねぇ。二手に分かれるぞ」
「えっ、それ違反じゃないですか。本部長に怒られますよう」
村に入る人間は必ずバディで行動する規則になっている。違反したら反省文だけじゃ済まない。けれど、これから向かう先にこいつがついてくると困るんだ。
「優先すべきは村人の救出だろ? これは現場判断ってやつだ。本部長だって許してくれるさ。もし駄目でも全責任は俺が取るし、お前に不利益は及ばないようにする」
「ええ……。村人さんのためって言われると……。でも、可愛い後輩をこんな山の中に1人で放り出すんですか?」
「大丈夫だよ、お前なら。シミュレーションの成績も良かったじゃねぇか。この仕事が終わったら焼肉奢ってやるからよ」
「もー。おじさんって、若者には肉を食べさせとけばいいと思ってるでしょ。高級イタリアンがいいですう。……まあ、でも、仕方ないですよねえ。村人さんのためですからね! この五十嵐ちゃんに任せとけってもんですよ!」
褒め慣れてない五十嵐は頬を紅潮させると、弾んだ足取りで西へ向かって行った。
素直で馬鹿な可愛い後輩。利権が渦巻く特別対策本部の中で、純粋に村人を救おうとしてたのはお前だけだったよ。だから、俺はお前をバディに指名したんだ。
「……じゃあな、五十嵐。高級イタリアンとやらは本部長に奢ってもらえよ」
小さな背中が完全に消えたのを確認して、俺は東に足を進めた。もうヘルメット内に地図を映す必要はない。
この10年、いや、もっと前から俺はこの山を歩いていた。
たった3ヶ月の村人として。
あれは10歳の頃。紅菖蒲が鮮やかに咲き誇る中、俺は1軒の家の前に佇んでいた。
繋いだ母さんの手の甲にはできたばかりの青あざ。糸がほつれた長袖の下にも、コーヒーの染みがついたスカートの下にも、同じあざがあると知っている。
そして、俺の体にも。
「パパとお別れしたら迎えに来る。それまで先生と一緒に良い子にしてられる?」
幼い頃に両親を亡くした母さんには身寄りがない。どうも、昔世話になった施設の職員を頼ってきたらしかった。
とはいえ、子供の俺にはそんな詳しい事情なんて知る由もなかったし、切れた口の中が痛くてまともに話せなかったので、ただ黙って頷いた。
血縁関係のない老婆と暮らす俺に村人たちは奇異の目を向けてきたものの、今までよりも遥かに恵まれた生活だった。
何しろ飯が腹一杯食える。夜も怯えなくていい。俺の体についた傷は日を増すごとに1つずつ減っていった。
青柳圭太と出会ったのもその頃だ。
忘れもしない。まだ今よりも多少綺麗だった分校で「短期間ですがよろしくお願いします」と大人びた挨拶をする俺に、「うわー! 初めての同級生だ! 嬉しい!」と太陽みたいな笑顔を向けてきたのが、長く続く腐れ縁の始まりだった。
圭太はこの辺りでは有名な『青柳ぶるわりー』の1人息子で、まだ電話番程度とはいえ、県内外のホテルや酒場に自社のクラフトビールを卸す手伝いをしていた。
「内緒だよ」と言いながらこっそり工場を見学させてもらったのは、20年以上経った今もまだ記憶に残っている。
だが、俺は正直酒には良い印象を持っていなかった。親父が暴れる時、決まってアルコールの匂いがしたからだ。
「俺は大人になっても、きっと酒は飲まねぇ。親父みたいになりたくねぇから」
そうぼやく俺に圭太はいつも、「カズは親父さんとは違うよ」「僕はカズが思わず飲みたくなるビールを作る! 約束する!」と励ましてくれた。
紅菖蒲が枯れ、空に入道雲が登っても、俺たちは朝から晩までそばにいた。
思いつく限りのことをしたな。ザリガニ取り、川遊び、スイカ割り、肝試し……。何度振り返ってもあれは青春だったと間違いなく言える。どんな日々よりも濃い3ヶ月だった。
母さんが親父と離婚して俺を迎えにきた後も、俺たちは付かず離れずの関係を保ってきた。
とはいえ、会うことはほとんどない。俺は東京、圭太は遠い彩目村にいたし、成長していくにつれてお互い忙しくなってきたからだ。
それでも、スマホの画面に踊る『今日は何食べたの?』なんて、たわいの無いやり取りが何よりも嬉しかった。
それが一変したのは、俺が就職試験に全滅した時だ。
『このままじゃ無職だぜ。ダッセェ』とSNSで愚痴る俺に、『電話していい?』と珍しい返答が来た。
了承した俺に圭太は緊張した声で言った。
「俺の工場で働かない?」
親父さんを早くに亡くした圭太は、若干21歳にして後を継いだところだった。今思うと、あいつは俺の助けを必要としてたんだ。けれど、当時の俺にはそれが上から目線の施しに思えて、つい声を荒げちまった。
「俺は酒なんて好きじゃねぇよ!」
それから何度か連絡が来ていたが、一度も返さなかった。子供じみた意地だとはわかっていた。それでも、「ごめんな」の一言がどうしても言えなかったんだ。何かが変わっちまうのが怖くて。
そして、再び圭太の名前を見たのは常世茸について報じるテレビ画面の中だった。
「久しぶりだなアンバー。元気だったか?」
立て付けの悪くなった引き戸を開け、ずかずかと中に踏み込む。
昔は社員食堂だった広い部屋の隅で、雪だるまみたいな介護ロボットは俺を歓迎するように両腕を広げた。
視線の先には俺よりも遥かに若い姿で眠る圭太の姿。ぼろぼろのサイドテーブルの上には2人で遊び回っている時に見つけた琥珀が置いてある。その隣に、俺もズボンのポケットから取り出した自分の琥珀を並べた。まるであの日の続きを始めるように。
「……ようやく、お前と飲める日が来たよ」
10年前から稼働し続けている冷蔵庫から1本のビール瓶と2つの冷えたグラスを取り出す。瓶のラベルには『琥珀色の夢』と書かれている。
本部に配属されて初めてここに足を踏み入れた時、圭太はダイニングテーブルの上に突っ伏して夢を見ていた。
そばに俺宛ての手紙と、このビール瓶を置いて。
圭太はずっと俺との約束を覚えていたんだ。思わず飲みたくなるビールを作る、という約束を。
「よし、アンバー。お待ちかねの治療薬だ。頼むぞ」
「オマカセヨー。ケイタサン、オハヨウゴザイマス、シマショーネ」
木村多江の時と同じく、細い針が圭太の腕に飲み込まれていく。
それから1分、2分……5分以上が経過しても圭太は目を覚まさなかった。
乾いた笑いを漏らす俺に、アンバーが焦ったように腕の先をくるくる回す。
「コ、コウカニハ、コジンサガアルヨー。マダキボウハ……」
俺が背中のスイッチを押すと同時に、ブツっと音を立ててアンバーは静止した。慰めの言葉は聞きたくなかった。
「これがお前を傷つけた報いかよ」
ビールの栓を開け、水滴が浮いたグラスに中身を注ぎ込む。
窓から差し込む夕陽に照らされた琥珀色の液体は、まるで紅菖蒲のように鮮やかな赤に染まっていた。
「10年も待たせて悪かったな。そっちに行ったら感想を伝えてやるよ。――乾杯」
グラスを掲げてヘルメットを外そうとした瞬間、こちらに駆けてくる足音が聞こえた。
「ちょっと待ったー!」
けたたましい音を立てて引き戸が開き、ヘルメットを押さえつけられた。
五十嵐だ。咄嗟に振り払おうとしたがビクともしない。筋力増強の機能を使っているのだろう。こういう時ばっかり抜け目のないやつだ。
「何やってんすか! ホント、何やってんすかあ!」
「離してくれ! 俺も眠らせてくれ! せめて夢の中でこいつと会いたいんだよ!」
「ふざけんじゃねぇですよ! 先輩の王子様なんてまっぴらごめんですからね!」
さらに体重をかけられる。曇るヘルメットの中で嗚咽が漏れた。
「……何で、わかったんだよ。俺がこうするつもりだったって」
「わからいでか。先輩が私を褒めることなんてなかったでしょ。事情はわかんないですけど、本部長からも『長嶺を見張っとけ』って言われてましたし。それに……この子が信号を飛ばして教えてくれたんですよ。『カズ、トメテ』って。だから、引き返して追っかけて来たんです。私、足だけは早いですしね!」
油が切れた機械みたいにぎこちなくベッドを振り向く。動きを止めたアンバーの背中には、入れた覚えのないコマンドが残されていた。
そのとき、確かに見た。枯れ枝のように痩せ細った指がぴくりと動くのを。
「圭太……」
馬鹿みたいに声が震えている。それに応えるように、誰よりも優しい瞳が俺の姿を捉えた。
「遅いよ、カズ。僕、待ちくたびれちゃった」
琥珀色の夢の向こうで、圭太は笑った。