表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/83

2

 この国ではお金で結婚する夫婦が多い。専業主婦がほとんどで、仕事をしていてもアルバイト程度。本当の共働きって、意外と少ないように感じられる。結婚相手を選ぶときも、年収を気にするのは当たり前。私のやってることと少しも変わらない。愛のない家族は、きっと、この国が世界一多い。私の国では、お金はなくても愛だけがある夫婦も多い。

 子供達は元気かな? パパは仕事頑張っているかな? フィリピンの家族はどうかな? 頭の中はいつもそればかり。車を運転していても音楽すら聞かない。音楽は好きだけど、思考の邪魔になる。テレビなんて特にそう。見なくても楽しく生きていける。家の中、食事中にテレビを見る習慣が、彼女には理解ができない。テレビに顔を向けていては、食事が楽しめない。家族とのコミュニケーションに、テレビの音と映像は邪魔でしかない。

 車の中に一人でいると、寂しさを感じる。街のざわめきをこの密室で感じるのが怖くてたまらない。早くアルバイトを終えて家族に会いたい。リビングで、家族と共に過ごしたい。

 彼女はいつも、車を降りると電話をかける。旦那との電話は一日十数回。声を聞くだけで安心する。彼女からかけることも、旦那からかかってくることもある。誰かに、それは束縛なの? お互いに信頼が足りないんじゃないの? と言われたことがあるけれど、彼女には意味のわからない言葉だった。まめに連絡を取るのは、愛しているから。その存在をいつも感じていたいから。それ以外の感情は少しもない。誰かは言っていた。そんなに心配なの? 浮気とか? お互いに信頼していないんだね。そんな言葉を使う発想が、私には理解できない。寂しい心なんだと、私も少し寂しくなった。

 彼女は旦那の仕事をよく知らない。けれど、それでいいと思っている。仕事の内容は大事じゃない。持ってくるお金は大事だけど、一番大事なのは、その人の心。その人を見ていれば、きちんとした仕事をしているんだと感じられる。心のない仕事ではないのだけは確かだ。

 こうしていることが幸せなんだとわかっている。だから早く、車から出ていきたい。こんなにも信号待ちが長く感じるのはどうして?

彼女には思い出したくない過去が一つある。車の中で起きた、事件にはならない事件。フィリピン時代の、旦那にも言っていない闇がある。

 彼女はそのことを忘れようと、心の奥底にしまい込み、実際に忘れてしまっている。こう言ってはなんだが、どこの国でも日常的に行われている事件。交通犯罪のような感覚で蔓延している。それを肯定なんてするはずもない。情けのない現実だ。

 全てを忘れるのは難しい。彼女もそうだ。頭の中では忘れていても、心が覚えている。しまい込んだ奥深くから、その感情が漏れてしまう。車に一人でいると、十年経った今でもその感情に襲われ気分が悪くなる。心の傷は、一度受けてしまえば癒されることはあり得ない。旦那や子供たちの愛でさえも、完全に癒すことはできなかった。忘れてしまうことが精一杯だ。消すことはできないでいる。車の中に一人でいると、時々理解できない不安に襲われる。

 街のざわめきがどんなに大きくなっても、彼女の耳には感じられない。不安の中で長く感じる信号待ち。運転席側のドアが開けられて初めて街の異変に気がついた。

ドアを開けるサングラスに黒い縦縞のスーツの男。額に浮かぶ汗に気をとられ、男の行動に気が向かない。

 彼女はその男に左手で引っ張り出された。右手には拳銃が握られているが、使うつもりはないようだ。彼女を道路に放り出すと助手席に向かって拳銃を放り投げた。

 彼女の乗る高級車はドイツ製。けれど右ハンドル。左ハンドルにしていればよかった。もしもそうなら、車道に放り出されることはなかった。安全な歩道で自転車にぶつかり怪我をする程度で済んだかもしれない。スピード過剰な車に轢かれて身体全体を潰されることもなかっただろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ