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 奈緒子に返事を書いた翌日、俺の家族は引越しをした。すぐ近所の一軒家。自分としては引越した意識さえしていなかった。それは俺だけじゃなく、親父もお袋も同じだった。郵便局に転送の届け出をしなかったんだ。奈緒子からだけでなく、色々な手紙が届かなかったはずだけど、誰もそのことを気にしなかった。年賀状なんて書いたことのない家族だったし、くるのは光熱費の明細書と宣伝くらいだ。サラリーマン家庭では、中身を確認しなくても、誰も少しも困らない。

 去年のライヴ、出番を終えて人気者達のライヴを楽しんでいるときだった。客の中に懐かしさを感じる女の子を見つけた。可愛いだけじゃなく、とても気になる女の子だった。なぜだか不思議と、目を離すのが怖かった。俺はじっと、その子の横顔を見つめていた。

 久し振りだね、と声をかけられた。その子は俺の顔を見ずにそう言った。じっと見つめていた横顔が、いつの間にか目の前に近づいていた。その横顔が、そっと動き、正面を向いた。俺の瞳を見つめる。俺は戸惑い、立ち尽くす。目を逸らしたいけれど、全身金縛り状態だった。

 私のことなんて覚えていないわよね。手紙だって全然返事をくれなかったもの。

 その子の言葉は意味がわからなかった。俺はまだ気づいていない。けれど、その声が可愛いと感じる。

 俺はすでに恋していた。そうなんだ。産声をあげたときからの恋が、ようやく動きを取り戻していた。

 覚えてないんならいいけど、またね。

そう言って去って行った彼女の背中を、俺は見つめることしかできなかった。去り行く背中に声をかけられなかった自分が情けない。彼女の正体には、まだ気づいていなかった。

 偶然は続いていく。それって必然? いいや。世間は狭い。求めていれば必ず繋がりを見つけられるってだけのこと。俺は彼女を求めていた。彼女もまた、そうだったはずだ。

 大学の構内をふらふらしていると、なにかを感じたんだ。いい匂いがして、いい予感がした。遠くから近づいてくる彼女を見つけたんだ。俺を真っ直ぐ見つめていた。その瞳に、俺はようやくなにかを感じた。俺はこの子を知っている。記憶が戻る瞬間は、前触れもなく突然にやって来る。

 俺は彼女に向かって近づき、側にあったベンチへと誘った。埃を振り払い、彼女が座る姿を見つめる。気になる横顔。懐かしい横顔。彼女の横顔に、突然思い出が重なった。奈緒子! 思わず叫び、抱き締めた。驚く彼女を無視して、デートの誘いをした。自分でも驚いたが、緊張も恥ずかしさもなかった。彼女も驚きを見せたのは抱き締められた瞬間だけで、デートの誘いにはまったく驚かなかった。柔らかい口調でいいわよと言われ、初デートの約束をした。

 それからの俺たちは、会えなかった時間を取り戻すように仲良くなり、昔の話や今の話、空白の時間の話をいっぱいした。デート自体は今日で三度目だけど、沢山の電話やメールをしている。学校でも常に一緒で、学食でも一緒に食べるし、行きの電車で会うことや一緒に帰ることもある。正式には付き合ってくれとは言っていないけれど、好きの言葉は伝えている。それは奈緒子の方も同じだ。

 デートの数が少ないのは、俺のバンド活動と奈緒子のアルバイトが忙しいからだ。俺は毎週ライヴをするし、ほぼ毎日練習をしている。それに加えて機材を揃えたりするためのアルバイトもしている。俺のアルバイトは自分のため。けれど奈緒子の場合は違う。両親共に亡くなっている。貯金なんてほとんどない。保険金も葬式代で消える程度だった。中学生の妹を面倒見るのに、遺族年金だけでは足りないようだ。国立の大学を選んだのは、費用の問題と、就職に有利だからだ。それともう一つ、俺が子供の頃、国立大学に行くことをずっと宣言していたからでもある。

 俺は親父と、公立の名門校を卒業して国立大学へ行くことを約束していた。当時流行っていたシールを箱ごと買ってくれると言ったんだ。俺は学校中に触れ回ったよ。その約束は守られなかったが、小遣いとギターを買ってもらった。

 奈緒子は音楽が好きだ。俺がやっているロックンロールも大好きだ。たまの息抜きに、中学時代からライヴハウスに通ってもいた。今も俺のライヴにはほとんど顔を出す。アルバイトの都合で途中で帰ってしまうが、次の日の奈緒子はとてもテンションが高い。俺はそんな奈緒子の表情が大好きだ。

 ロックンロールを聞きながら、彼の気持ちは高ぶっていく。彼女のことと音楽が頭から溢れている。周りの雑音なんて聞こえない。

 信号待ちをしているとき、助手席の窓の向こうから放たれる視線と異様な殺気に気がつかない。窓の向こうから向けられた拳銃が轟音とともに煙をあげる。音楽に合わせて頭を振る彼のこめかみを、銃弾が突き抜けた。

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