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いつものように彼は、風俗店に向かうつもりでいる。夜勤明けの日はいつもこうだ。彼の趣味はこれしかない。
本人が思っているほど彼は若くもないし、いい男なんかじゃない。風俗嬢が客に愛嬌を振りまくのは当然だ。惚れているなんて、妄想に過ぎない。それでも彼はそんな妄想を糧にしか生きていけないのだから仕方がない。
そんな彼にも一つ、現実に生きる糧がある。とはいっても、今ではその感情も薄れてはいるんだが。その理由が彼の側に多くあることを、彼は全く気づかない。
明日はあいつと会える日だ。嬉しいはずなのに、なんだか最近はあまり乗り気じゃない。月に一度の楽しみだったはずが、あいつの顔を見るのが辛くなる。どうしてだ? あいつが俺をあんな目つきで見るからだろうな。俺のことを完全に蔑んでいる。
彼には離れて暮らす娘がいる。十三歳。難しい年頃のようだ。彼が妻と別れた当初は、お互いに会える日を楽しみにしていた。そもそも月に一度会うことを提案したのは娘だった。両親の離婚に納得がいかず、父親と離れたくもない。彼は当時、家の中では、特に娘のいる前ではちゃんとした父親の姿を見せていた。
離婚を決めたのは妻だった。別れたいと言われても、彼には意味がわからなかった。どうして? 心当たりは一つもない。けれど、断る理由も見つからなかった。別れる理由だけでなく、別れたくない理由もなかったからだ。そんな二人の決断に、娘だけが反対をした。娘はまだ、本気で父親を愛していた。
一度離婚を決意すると、当人たちは後戻りができなくなる。離婚したがっていた妻は当然のことながら、その意味を見出せなかった彼もまた、今更撤回などできなくなる。それどころかどうしても離婚したいとの気持ちが強くなる。
私はどうすればいいの? 誰と暮らすの? 娘のその言葉は痛かった。
別れてから始めての娘との再会は嬉しかった。好きなものを買ってやり、それまではなかなか入ることのできなかったちょっと高級なレストランで食事もした。月に一度ならそれくらいの贅沢はできる。彼は慰謝料は当然ながら、養育費を一切払っていないのだから。その上それまで抱えていた住宅ローンを妻に譲っている。妻が暮らしているのだから当然だと彼は考え、呆れながらも妻がそれを受け入れた。彼は今タクシー会社の独身寮で暮らしている。
娘と顔を合わせることがぎこちなくなったのは最近のこと。中学生になり、部活動に一生懸命になり、ほんの少し世界が拡がったことが原因かも知れないと彼は考えている。しかし現実はちょっと違う。思春期の気紛れは当然あるが、彼のだらしのなさを目の当たりにしてしまったことが大きな原因だ。
今となって、娘との約束は、彼にはただの義務でしかなくなっている。娘は彼に会うたび、小言を零していく。そのだらしのなさを見れば誰でも一言三言はいいたくなるものだ。彼の部屋を始めて訪ねたとき、娘は絶句した。
娘にとっても、今ではもう彼に会いたいという気持ちは無くなっている。どうしようもない父親、私がなんとかしなくちゃの気持ちもなく、義理で会っているだけだ。
もう会うのはよそうかと、お互いに何度も考えている。それでも会おうとするのは何故なのか? わからない。会うのが自然のこと。会えない時間が続くのは非日常。彼も娘も、なんだかんだ感じていても顔を合わせている時間は好きだ。明日もきっと、二人は顔を合わせ、少しの不満を感じながらも、気づかない幸せを噛みしめる予定だった。
さぁ、もうすぐ目的地だ。このお客を降ろしてお楽しみに行こう。彼がそう感じたとき、横から強い衝撃を感じた。
街のざわめき、暴走車の音に気がつかなかった。車の運転が日常すぎて、騒音に慣れてしまっている。事故を目撃するのは日常的だ。パトカーのサイレンさへ風の音のよう。
強い衝撃に彼は苦しんだ。内臓破裂。痛みに意識を失い、別れた妻と娘の顔を思い浮かべ死んでいった。しかし、最後の最後にお店の可愛い子の顔が浮かんでしまい、その表情が苦々しい。
後部座席の客は運がよかった。シートベルトはしていなかったが、運転席側に暴走車が突っ込んだおかげで後部座席のドアが開いた。連動しているレバーが動いたようだ。お客は外に放り出され、歩道に転がった。怪我はしたが、入院するほどではなかった。タクシーはその衝撃でまるで放り出されて外にいるお客を避けるように向きを変え、電信柱に突っ込んだ。後部座席のドアが陥没した。そこにまだお客がいたら、確実に死んでいたことだろう。




