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子供が保育園に通うようになり、彼女は仕事を再開した。ホテルのベッドメイキング。簡単とは言い切れない仕事だけれど、ちょうど空いている時間に仕事ができるのが魅力だ。人数も多く、休みも簡単に取ることができる。今日は子供と一緒に遠足に行きたくて休みを取った。
彼女の旦那はまだ、子供にあまり強い興味を感じていない。自分の子供だという気持ちはあるようだが、確かに愛には溢れているが、現実としての実感が足りていないようだ。三年を過ぎてもまだ、どうしてそこに子供がいるのか不思議に感じることがある。本当に自分の子供なのか? そっくりな眉毛をしているのにそう感じてしまう。それでも愛情は注いでくれている。今はそれだけで満足している。きっともう直ぐ、二人は兄弟になる。その距離が確実に縮んでいるのを日々確かに感じている。
彼女と旦那はお見合いで知り合った。好きでも嫌いでもなく、一人でいるのが嫌でお見合いパーティーに参加をして、出会った一月後には結婚をしていた。正直、相手なんてどうでもよかった。二人ともが、そんな感情を抱いていた。お互いに、一人でいることの寂しさから出会いを求めていただけだった。最初に席が隣同士でなかったら、違う誰かと一緒になっていたことだろう。結婚しようの言葉も、お互いに出会ったその場で伝え合った。結婚だけが目的で、それ以外の興味はなかった。それでも二人は幸せだった。相性がいいというのか、一緒にいて楽しいと思える相手だったようだ。誰でもいいから側にいて欲しいと感じていたのは束の間で、初めてのデートの日には、この人とずっと一緒にいたいと思うようになっていた。子供ができるまでの長い時間、特に大きな喧嘩もせずにいられたのは、そこに確かな感情があったからだ。しかしお互い、なにか物足りなさを感じているのも事実だった。それは今でも足りていない。子供の存在がそれを埋めてくれると信じていたが、そうはいかないのが現実だった。なにが足りないのかは、一生わからないことだろう。足りないなにかを求めながら生きて行くのが人生なのかも知れない。一緒にそれを探せる相手がいることは、とても幸せなことなんだと思う。
息子は少し、人見知りをする。保育園でもまだ、馴染みきれていない。家ではあんなにうるさいのに、外ではおとなしい。笑顔の数も少なくぎこちない。そのうち自然と馴染んでいくとは思っていても、心配は消えてなくならない。平日の遠足について行く理由がそこにある。けれど今日、その心配が少し軽くなった。息子は少し背の低い女の子の友達と手をつないで歩いている。楽しそうな会話は聞き取れないけれど、その笑顔を見るだけで嬉しくなる。
街中に響くサイレンの音、そのざわめきに気がついたときにはもう遅かった。初めに感じたわずかな恐怖をもっと真剣に捉えるべきだった。後方から突っ込んでくる乗用車は彼女の脇をかすめ、前を歩く息子に突っ込んでいく。息子は振り向くこともなく友達の手を離し、横に突き飛ばした。自然な反応だった。息子は驚きと笑顔と恐怖の入り混じった複雑な表情を見せている。少し離れた横では、突き飛ばされ地面に倒れこんだ女の子が泣いている。
急ブレーキをかける乗用車。鈍い音が聞こえてくる。跳ね飛ばされた息子の姿が見えた。血だらけで、苦しんでいる。一瞬固まっていた彼女は、まっすぐ息子の元に吸い込まれるように走り出す。
そのとき、息子を撥ねて停車していた乗用車が物凄い勢いでバックをした。そしてその勢いのままに彼女を轢き殺し、切り返して前に消えて行く。
彼女は即死だったが、息子は生きている。悲しいことに、彼女は息子が死んだと思い込んだまま死んでしまったようだ。無念の憎しみが表情に表れている。その後元気になった息子は、突き飛ばした友達との距離をさらに縮めたことだろう。




