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十六、相田 真由美(43) 主婦・パート 1


   十六、相田 真由美(43) 主婦・パート


 歩道を歩く園児たち。今日は楽しみな小旅行。近所の渓谷に、参加できる家族も一緒の遠足の日。道程の中にほんの少しだけの大通りがある。少し出し過ぎのスピードで走り過ぎる車に親は怖がり、子供達は興奮をする。まさかの事態なんて誰に想像ができようか? 親が思う心配は、あり得ないとの安心の裏返しでもある。誰もが本気の心配はしていない。

 可愛い一人息子を愛情の眼差しで背後から見つめ続けているのが彼女だ。四十手前でやっともうけた愛息子。可愛いという感情だけでは表せない。目の中に入れるには大き過ぎるが、心の中には溢れるほどいっぱいに入っている。

 赤ん坊がお腹に宿った瞬間、彼女には感じられていた。新しい命の予感。大切にしなくてはいけない。タバコもアルコールもコーヒーも、その瞬間から一切嗜んでいない。少しの迷いもストレスも感じなかった。身体の中の赤ん坊が、それらを完全に拒否してくれた。

 産みの苦しみは、辛いものではない。身体への負担があるだけで、喜びの方が大きい。お腹の中で感じる命の動き、産まれた瞬間の安心感とほんの少しの喪失感。泣き声を聞いたときの幸せは、その後百年経っても忘れられないだろう。初めての抱っこ、おっぱいをあげた瞬間。愛情は膨らむばかりだった。それはきっと、隣でずっと支えてきてくれた主人も一緒だったと思う。私と一緒に、頬を涙で濡らしていた。

 退院をしてからも、全く苦痛は感じられない。ストレスはあっても心地が良い。泣きやまない赤ん坊をあやすのは、ときには忍耐が必要だけれど、それに愛情が負けることはなかった。日々を重ねれば、愛が重なるばかり。それは今でもまったく変わらない。身体的な苦しみなんて、赤ん坊の顔を見れば治るというものだ。

 私はよく、子供を叱る。今朝もそうだった。食事の席でふざけてばかりで、しまいには茶碗をテーブルから落としてしまった。プラスティックの茶碗は壊れることがなかったが、ご飯は溢れてしまった。食べ物を粗末にしてはいけない。物事には、ふざけていいときと悪いときがある。悪いことをすればそれを教えなければいけない。私だって悪いことをすれば怒られるんだから。

 私はよく、子供を褒める。今朝もそうだった。保育園に向かう途中、転がっていた空き缶を拾い、ゴミ箱に捨てた。いいことをすればそれを教えなければいけない。私だっていいことをすれば褒められるのだから。

 どっちも当たり前のことで、いいことでも悪いことでもある。だから私は、一緒に考えることにしている。褒めるときも、怒るときも、どうして? なんで? それを大切にしている。理由がなくて悪いことをするのは困ったものだ。理由がなくていいことをするのも同じこと。必ず何処かに理由を見つけ出すのが、どうして? なんで? と考えることの意味だと思っている。なにも考えずにいいことができるってことは、それを当たり前だと思っているからだ。理由がないのとは意味が違う。悪いことだって同じだ。当たり前と思っていいことと悪いことがあるってことを考えなくてはならない。なにをするにも必ず何処かに理由がある。例えそれがどんなにつまらない理由だとしても。赤ん坊だって、理由なく笑ったり泣いたりはしないんだから。

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