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実はね・・・・ 彼女は少し言いにくそうに顔をくちゃっとさせた。そして目だけを主人に向けた。主人がまた首を振った。
俺さ、ちょっと急いでいるんだよね。悪いけど、もう行くよ。用があったら電話して。前と変わってないからさ。
彼女の雰囲気に気を使い、彼は嘘をつく。本当はもっと、話がしたい。聞きたいことだってある。しかし、そこにいる子供が誰の子供であれ、今ではそこにいる三人が家族であることに違いはない。そう思うと、彼は悲しい気持ちになってしまう。俺って、ダメな男だったんだなと、今さながらに感じているようだ。彼は彼女の脇を抜けて歩き去る。すれ違いざまに子供に手を振ると、満面の笑みを返してくれる。
それじゃあまたね。彼女の声が小さく彼の背中にぶつかった。
彼は歩きながら夢想する。あの子と彼女、本当だったらあそこで歩いているのは俺なんだ。あのとき素直に連絡していれば、こんなことにはならなかった。仕事だってクビにはなっていなかったはずだ。
現実がどうかなんて関係ない。彼はもう、そう信じ込んでいる。あの子は俺の子で、あの男は後からやってきただけなんだと。もしかしたら、彼女はまだ俺を待っている? そんな風にさえ考えている。
俺はどうするべきなんだ? こんな境遇の俺って、なんだか映画の主人公のようだ。そうだ! この話を映画にすればいいんだ。っといっても、どうやって映画を作る? 彼は真面目にそんなことを考えている。周りの景色や騒音が聞こえない程集中している。何度か赤信号を無視しそうになり、一度は実際に無視をして大きくクラクションを鳴らされている。そういえば、映画ってほとんどが小説や漫画を原作にしているな。と気がついた。絵を書くのは苦手だから漫画は難しい。だったら小説を書けばいいんだ。作文なら俺だって書いたことがある。同じようなものだろう。安易な発想だが、彼はもう夢中になっている。頭の中で必死に文章を作成している。彼にとっては初めてのまともな夢には違いないが、動機もやる気も芯がなく、きっとすぐに諦めてしまうだろう。しかし、意外にもそうはならなかった。
夢中に夢想を続けながら歩いていた彼は、目の前の危険に気がつかなかった。悲鳴や怒号も彼には聞こえていない。猛スピードでクネクネ危なく走る車にも気がついていない。歩道にはみ出した車に背後から跳ね飛ばされ、意識がもうろうとしているところを同じ車に弾かれ、死んでしまった。始めて見た夢の中で、幸せそうな笑顔を見せている。彼はきっと、夢を叶え、彼女と子供を取り戻していることだろう。
彼を轢き殺した車は、そんなことには気づいてもいないようで、ブレーキさえかけずに走り去っていく。よく見ると、よく見ないでもわかるが、その車は白黒で、頭にランプを乗せていた。