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今度もまた、誤作動に違いない。彼はそう思い、迷わず中へと入って行く。少し迷惑そうな顔をして、銀行員に愚痴の一つでも零すつもりでいたようだ。
「なんだ、お前?」
右手に拳銃をぶら下げている男が彼の目に映った。銃身の先からはわずかに煙が噴き出ている。ゆっくりとした動きでその拳銃を持ち上げ、彼に向けて構える。
「本物か?」
男が少し、警戒を帯びた声を出す。
「あっ・・・・ いやっ・・・・」
まともな言葉が出てこない。予想外の現実に、彼は冷静さを失っている。拳銃なら自分でも持っている。指名手配犯を捕まえたこともある。ビビることはない。緊急事態の知らせは警察署に届いている。ここはおとなしく言う事を聞いて助けを待てばいい。彼は大きく深呼吸をし、静かに両手を挙げた。
「なんだ、それ? 降伏しますってことか?」
当然だよ。いいから早く、僕をそっちの安全な場所に座らせてくれ。彼は心でそう願っていた。人質の一員として真ん中辺りに埋もれているのが一番なんだ。彼はそう思い、ゆっくりと足を進める。
「どこへ行くつもりだ?」
「いやっ・・・・ 人質らしくおとなしくしています」
「おいおい、ふざけるなよ。そんなものぶら下げている奴を自由にさせるとでも思っているのか?」
彼の視線が動く。拳銃・・・・ これでこいつを逮捕する・・・・ ほんの一瞬だけ、そんな考えがよぎった。しかしすぐ、そんな無茶をしても意味がないと思い直した。彼が今まで解決してきた事件は、安全を確保したうえでの出来事だった。具体的な説明をしてもつまらない。油断している犯人を偶然に捕まえたとか、サッカーでいうごっつぁんゴールみたいなものだと考えてくれれば構わない。
「なにをやってる! そいつはどこから迷い込んできた?」
別の男の声が聞こえてきた。行内の奥から、もう一人の男の姿が浮かんでくる。そっくりな服装。似たようなサングラス。髪型だけが違っていた。奥からやってきた男は、ビートルズのようなブラックマッシュルームを首の上に乗せていた。隣で彼に拳銃を向けている男は、バービーボーイズのようなツンツンヘアーだ。
「一人でそこから入ってきたんだよ。バカな奴だ。ここがこいつのお散歩コースなんだろうな。なんの警戒もせずに入り込んできたよ」
「んっ? もしかしてこいつ、いつもの奴か?」
「そうだと思う。顔は覚えていないけどな」
ブラックマッシュルームの男が彼の側にまでやってくる。大きなカバンを二つ手にしている。銀行の金か? 羨ましい。一体いくら入っているんだ? 彼はじっとカバンを見つめている。
「それよりどうした? 外が騒がしいな。こいつのお仲間がやってきたってことか?」
「みたいだな。どうする? 逃げるなら早いほうがいいだろ?」
ブラックマッシュルームの男が彼に視線を向けた。そして、ニヤッと白い歯をのぞかせる。
「いいことを思いついたぞ」
ブラックマッシュルームの男はカバンをツンツンヘアーの男に渡し、懐から拳銃を取り出し、彼の頭に突きつける。
「おい! 行くぞ!」
その勢いのままに外へ出ていく男たち。
「そこのパトカーに乗り込むぞ!」
彼の頭に拳銃を押しつけたまま、脅しの言葉を放ち、パトカーを強奪する。突然の出来事に驚き、普段から動きの鈍い警察官たちの動きはさらに鈍くなる。二人の男のいいなりにパトカーを渡し、逃走を許してしまった。
銀行の中には取り残された人質たちがいる。窓を開け、彼の頭を外に突き出し、男が叫んだ。
「爆弾を仕掛けておいた! 急がないと人質ごとボンっ! だぞ!」
慌てる警察たち。車は勢いを増して遠ざかっていく。
「さて、どうするかな? こいつのおかげで無事に逃げられそうだな」
運転席にいるブラックマッシュルームの男がそう言った。
「おいおい、嘘だろ!」
後部座席からツンツンヘアーの男がそう言う。その言葉は慌てているというより、楽しんでいるように聞こえる。
「あれ、警察か? いきなり信号待ちのバイクを奪って追いかけてくるぞ!」
「あんっ? 本当だな。危ない運転しやがって。一般市民を巻き添えにするなんて最低な奴だな」
あっ・・・・ なんて彼の呻きが漏れた。サイドミラーに映るバイクの男。彼には見覚えがあった。警察署内では知らない者がいないほどの有名人だ。刑事課の勘違い男。ドラマに憧れて刑事になった柴田さんだ。同じ名字の役者が演じる刑事を気取り、服装から髪型、仕草や言葉遣いまで真似をしている。ドラマのように無茶をしてよく問題を起こしている警察署内の厄介者だ。
「お前の知り合いか? 俺は嫌いじゃないな。ああいうバカとの追いかけっこは楽しむにかぎるぜ」
ブラックマッシュルームの男はそう言うと、スピードを上げ、運転が荒くなった。映画でも見ているのか? それともこれはジェットコースターか? 彼は暴れる車の中、揺れに身を任せるしかなかった。パトカーに乗せられるとすぐ、手錠を奪われ後ろ手に嵌められた。丁寧にシートベルトを掛けてくれたけれど、足と頭の揺れまでは抑えてくれない。ちなみに足首はガムテープで固められている。なんだ? 強い衝撃を感じる。なにかにぶつかったのか? 車は一瞬スピードを緩めたがそのまま走り続ける。
「そろそろいいんじゃないか?」
ツンツンヘアーの男がそう言う。なにがそろそろなんだ? サイドミラーに映っていた柴田さんの姿が見えなくなっている。逃げ切ったのか? けれどこんな目立つ車でこんな乱暴な運転。すぐに見つかるに決まっている。
「そうだな。この車は俺の趣味じゃない」
「で、こいつはどうする?」
「決まり切ったことを聞くなよ」
車はスピードを緩めて細い路地に入りこんでいく。どこへ向かう気だ? 彼の不安は高まる。決まり切ったこと? それってまさか・・・・
路地を抜け、河川敷へと車は迷い込む。草むらの中へと迷いもなく入り込んでいく。
「さて、俺たちはここでおさらばだ」
車が停車し、二人の男が外に出る。荷物を引っ張り出しているツンツンヘアーの男。ブラックマッシュルームの男は助手席側のドアの横に立ち、彼を見下ろしている。拳銃を構え、白い歯を見せる。
「それじゃあな。ここまで一緒に来てくれて助かったよ」
彼の目に、ブラックマッシュルームの指の動きが映る。額から流れる汗。背中までびっしょりだ。殺される。覚悟はできていなけれど、諦めを感じている。そして、ズドンッ! と重たい音が脳に響いた。彼は痛みを感じる暇もなく、重たい響きの中で死んでいく。