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「お兄!」
「えっ……瑠菜さん?お久しぶりです。どうかしましたか?」
龍子が連れてこられたのは雪紀の住んでいる家だった。
瑠菜もここに来るのは一か月ぶりだ。
瑠菜が玄関のドアを開けて叫ぶとしおんが出てきた。
しおんも急なこと過ぎて驚いているが、それ以上に連れてこられた龍子も驚いている。
「しー君、お兄は?」
「に、二階です。」
「お兄、ちょっと来て。いや、早く来て!」
「瑠菜さんってこんなに叫ぶことができるんだ……。」
「さすがですね。」
しおんと龍子が瑠菜の横で悪口にもとれることを言っているが、瑠菜の耳には入ってこなかった。
「お兄、いるんでしょう?」
「分かった。分かったから、なんだ?」
不機嫌で疲れ切っている雪紀がかったるそうに一階へと降りてくる。
瑠菜は雪紀の問いには答えずにはさみを手にとって言う。
「髪を切るから、写真撮って会社の掲示板に出して。」
「は?」
「楓李をどうしても連れ戻したいの。」
「……え?」
「ちょ、待て……待て。」
「瑠菜さん、考え直してください。」
瑠菜はしおんと雪紀、龍子が焦ったように止めようとしている中、はさみで肩より少し下の位置の髪をすべて切り落とした。
「……まじか……。」
「ちょっ……瑠菜さん?」
「ほら、早く会社の掲示板に載せて。あと、楓李にも写真送って。」
「それは別にいいが、あいつが本当にそんなことで帰ってくると思ってるのか?」
「知らない。」
瑠菜はなぜか満足げに笑っていた。
雪紀は言われた通りに「何か嫌なことでもあったらしい。」という言葉とともに髪を切った瑠菜の後ろ姿を写真で載せた。
龍子も瑠菜の後ろ姿とともに「瑠菜さんが急に……」と一言楓李に送った。
この結果は見なくてもわかるだろう。
「瑠菜っ!何があった?」
「本当に来た……。」
「あぁ……。」
一分もたたないうちに叫びながら家に入ってくる楓李を見て、龍子はびっくりして雪紀は大きめのため息をついた。
瑠菜に関しては慌てた様子の楓李を見てにっこりと笑った。
「久しぶり。かえ。」
「なんで髪切ってんだ?大切にしろって言ったろ?」
「ここまでしないと来てくれないでしょう?」
「……あぁ、そうだな。」
自分に抱き着く瑠菜を見て、楓李は何も言えなくなった。
急に何も言わずに出て言った挙句、連絡も無視を突き通していた。
なのにもかかわらず、自分を求めてくれる瑠菜が愛おしくて仕方がなくなった。
「会いたかったんだからね……。」
「悪かった。ほら、髪整えてやるから。」
「やだ、離れたくない。」
「……もう、いなくならねぇから。」
「楓李……。」
雪紀が楓李に声をかけたが、楓李はそんな雪紀を黙らせるように首を横に振った。
龍子も、こんな表情をする楓李を見たのは初めてで驚いた。
こんなに誰かを愛おしそうに見る楓李は誰も見たことがなかった。
(それ以上何も言うな…………ってか。)
「髪をきれいに切ってから、お前に話したいことがある。」
「……わかった。」
瑠菜はもっと抱き着いていたかった。
抱き着いていないとまたいなくなりそうな気がしてならなかった。
今まで仕事で二、三週間会えないことはたくさんあったが、一か月間全く会えずに連絡すらも取れないことは一回もなかった。
孤独や寂しさを初めて感じた気がしたのだ。
「ほら、瑠菜出来たぞ。」
「ありがとう。やっぱりかえは上手だね。」
「どういたしまして。なぁ、俺の部屋はまだあるか?」
「なくせるわけねぇだろ?お前らの部屋はどっちもそのままだ。」
「まだ一か月だしね。」
「いえ、何度も片付けようとしてたんですよ。ただできなかっただけで。」
「しおん、余計なこと言うな。」
雪紀はそう言いながら頭を掻きむしった。
瑠菜が辞め、サクラや龍子が仕事を継いだのだからいつでも物置部屋として使うこともできた。
しかし、今でもそのままなのはそれなりの思い出があったからだろう。
「いつでも帰ってきてください。瑠菜さんも、楓李さんもいなくなってから少し家が寂しいので。」
「しおん……そうだな。まぁ、……あぁ。」
雪紀はしおんの後ろで何かを言おうとしてすぐにやめた。
言う必要はないと思ったのだ。
「ありがとう、しー君。」
瑠菜は短く切り揃えられたサラサラの髪を揺らしながら言った。
しおんは瑠菜と目が合った瞬間驚いたように目を見開き、下を向いた。
「あ、あぁ……あの、はい。」
「え?どうしたの?……ちょ、顔赤くない?大丈夫?」
「瑠菜。」
しおんを心配してしおんに近寄る瑠菜の肩をつかんで、楓李は瑠菜を自分のほうへと引き寄せる。
しおんは楓李に睨まれた気がしたが、その行動にはとてもほっとした。
あれ以上近寄られると、自分でもびっくりするようなことを言ったりしてしまっていた可能性がある。
「あぁ、俺がしおん看とくからさっさと二人で話し合って来い。」
「そうさせてもらう。」
楓李の視線に気づいた雪紀が瑠菜にさっさと行くように言う。
瑠菜は楓李に手を引かれてそのままついて行ったが、しおんを心配しているようにキョロキョロとしている。
それでも楓李の手を振り払いたくないようで止まることなくついて行く。
「まさかなぁ。」
「やめてくださっ……。」
瑠菜の姿が見えなくなり、雪紀はニヤニヤとしながらしおんを見る。
しおんも顔をあげることなくその場にしゃがみこんだまま訴える。
「ドがつくくらいタイプだったか?」
「うぅ……。」
「よかったな。お前ももう大丈夫だな。」
「大丈夫ではないです。」
しおんは涙目で訴える。
初めて感じた気持ち。
瑠菜と数年間も生活していて下着姿を見たとしても何も感じなかったのに急だった。
自分に恐怖すらも感じてしまう。
「恋心か……いいなぁ。若いって。」
「こい……ごころ?」
「お前が少しずつ過去の傷をいやしてるってことだな。」
「そうなん……ですか?」
「安心しろ。無理やりここから追い出したりしねぇから。」
にっこりと笑う雪紀に安心しながらしおんは自分に何が起きたのかよくわかっていなかった。
ただ体が熱くなってこっぱずかしさを感じただけ。
今まで感じたことのなかったそれは、しおんを少しだけ成長させたらしい。
「俺を帰ってこさせるためにそこまでするか?普通。」
「龍子君、相当頑張ってたよ。もうそろそろ変わってあげなよ。あの子にはまだ荷が重いから。」
「それは、分かってる。」
楓李はそう言いながらも瑠菜の髪を触っていた。
さらさらと茶色い髪がまだ落ちてくる。
生まれつき茶色がかった髪なのだと瑠菜は言っていたが、どうやらそれは本当のようだ。
「髪は女の命だっていうくらいなんだから大切にしろ。」
「私の命は心臓と顔だから。髪は剥げてない限りどうでもいい。」
「お前なぁ。」
楓李はあきれたように言う。
瑠菜自身は通常通りであっておかしなところは全くないが、楓李の反応を見ている感じ言ってはいけないことを言ってしまったらしい。
「……かえ、嘘つき。」
「あ?」
「ずっとそばにいるって言ってくれたのに。」
「……言ったか?そんなこと。」
「言った!」
瑠菜は力強くうなずく。
「喧嘩した時に言ったよ。」
「……そうだったな。」
楓李はそう言いながら水を飲む。
まるで何事もないように。
瑠菜はその様子を見て少し落ち込んだ。
いや、結構落ち込んだ。
瑠菜が忘れてしまうことは多いが、楓李に忘れられることはほとんどない。
どうでもよいことなら別に良いがそれ以外はやはりつらいものだ。
「……なんで出て行ったの?」
「……。」
「ねぇ、楓李!」
「会社が遺伝子についてのメール出してたろ?」
「見てない。」
「だろうとは思った。簡単に言うと、俺らの子供は障害を持つ。」
「それが何?」
瑠菜は意味が分からなかった。
親が両方とも異常なほどの才能を持っていると、子供の脳に多少影響が出てしまうのは有名な話だし仕方がない。
前からわかっていたことだ。
なぜ今頃楓李が気にし始めたのか、瑠菜にはわからない。
「もし、子供ができて、障害を持っていたらその子がかわいそうだ。」
「じゃあ産まなければいい。」
「お前の遺伝子は他とは違う。ここで途絶えさせるのはもったいない。」
「何それ……会社から言われたの?そんなの会社の考えに流されてるだけじゃん。」
「っ……。」
瑠菜に言われて楓李はハッとした。
会社の考え方。
それはよい遺伝子を残すこと。
遺伝子によって物事を覚えやすくなったり、体力があったりするため、よい遺伝子を持った人の子供を後継ぎとして残してほしいのだ。
そうすることで会社は楽に回る。
例を出すとすれば雪紀の家系がそうだ。
雪紀は将来会長の地位に立つ。
今の会長もその前の会長もずっと雪紀の祖先がやっているらしい。
「どうせ会社から言われたんだろうけど、私にはかえが必要なの。」
「でもっ……。」
「かえじゃないと嫌だから。」
「……。」
「お互いに別に好きな人ができたら別れるでいいじゃん。それとももう彼女いるの?」
「それはいない。」
瑠菜は、やっとまともにしゃべった楓李を見て安心した。
会社に勤めているのだから会社の考えに飲み込まれてしまうのは当たり前だ。
それでも自分を忘れてはいけない。
瑠菜も楓李もほかにも多くの社員が会社のやり方に対して反対している。
ただ、会社に対して何も言えない。
権力も財力も会社にはある。
反対派の人間が何人集まろうと向こうからしたらありの攻撃にしか感じない。
それでも反対している人がいるのは、それなりの権力を持っている人がいるからだろう。
「瑠菜……わかったから。」
「もう、いなくならない?」
「いや……、ここには住まない。」
「なんで?」
楓李が申し訳なさそうに言った言葉に対して、瑠菜は驚いたように言う。
本当にあり得ないとでも言いたげだ。
瑠菜の噛みつくような勢いも楓李にとっては久しぶりすぎてビビってしまうのは、瑠菜には伝わっていないだろう。
(……しゃーねぇか……。)
「お兄!私聞いてないんだけど?」
「おぉ、びっくりした。なんだ?お菓子ならもうねぇけど?」
「違う!かえだけ一人暮らしとかずるいっつってんの!」
雪紀はそれを聞いて瑠菜の後ろに隠れるようにして立っている楓李をにらんだ。
(瑠菜にだけは言うなって言ったはずだが……。)
雪紀はずかずかと近寄る瑠菜の肩をつかんでため息をついた。
こうして、楓李のことを聞きに来たのは瑠菜が初めてではない。
ちょうど一か月なるかならないかくらい前に、雪紀は似たような感じできぃちゃんにも問い詰められた。
あの時は仕方なく、瑠菜には内緒だと言って教えたが、まさか瑠菜までこうして聞きに来るとは思いもしなかった。
「二か月だけな。二か月。」
「は?」
「え?」
その言葉に最も早く反応したのは瑠菜ではなく楓李だった。
楓李も初めて聞いたらしい。
「マンションの一室が空き部屋になったから住んでもらってるだけだ。あと一か月で出て行ってもらう。」
「はぁ?聞いてねぇし。」
「知り合いから頼まれたんだよ。二か月もありゃ、瑠菜がどうにかして連れ戻すだろうし。」
「まさか、次に住む人が決まるまで?」
「そうそう。」
楓李はそれを聞いて怒ろうかどうか迷った。
あまり話を聞いていなかったのは楓李の責任だ。
瑠菜と離れられるならと思っていたところで一人暮らしの話が出たものだから二つ返事で承諾した。
「私に頼めばよかったのに。」
「お前、家事そこまでできねぇだろ普通に心配だから。それに楓李ならしっかりしてるし大丈夫かと思って……。」
「今の私だって一人暮らしみたいなもんだし。」
「それはそうでも、ダメ。」
「私もそこで暮らしたい。」
「ダメ。おこちゃまに同棲生活は早い。」
「ここでも暮らしてたじゃない。」
「ここはシェアハウスみたいなもんだからな。」
雪紀はそう言って瑠菜の頭をポンッとたたいた。
雪紀の中で瑠菜は愛娘か妹の立ち位置なのだろう。
楓李はその様子を見ていていら立ってきたため、瑠菜を自分のほうへと引き寄せた。
瑠菜はそれに驚いてびくっとする。
「……わかった。遊びに行くくらいならいいぞ。」
「やったぁ!」
「その代わり男装してけよ。」
「え?」
「男専用だからな。」