瑠菜の嘘
女子会をした次の日、瑠菜のもとにはたくさんのメールが届いていた。
仕事をしなくなってから一件のメールも届かなくなっていたため、瑠菜はそれを見てびっくりした。
しかし、それを開いてみるとすべて同じ人からの物だということが分かって安心した。
「……電話、してくれていいのに。」
瑠菜は一番新しいメールを一件だけ見てすぐに電話をかけた。
「る……瑠菜さ……。」
「すぐ向かう。話はあとで聞くから。」
「はい……。」
泣きそうな声だった。
いや、泣いていたのかもしれない。
瑠菜は久しぶりにあの小さい小屋へと顔を出した。
「龍子君、どうしたの?」
「あ、瑠菜さん……。」
「瑠菜さん!楓李様を今すぐに連れ戻してください。」
昨日会ったにもかかわらず久しぶりのように明るくなるサクラを無視して、龍子は瑠菜に駆け寄って縋り付く。
「どうしたの?」
瑠菜は困ったようにサクラを見た。
サクラも苦笑いをして首をかしげている。
わからないというより、仕方がないとでもいうようである。
「龍子君、頑張ってるって噂聞いてるわよ。すごいじゃないの。」
「もう、もう無理なんです!瑠菜さん、楓李様は今どこにいるんですか?」
「それが分かればこっちも苦労しないんだけどねぇ。」
「連れ戻してきてください!」
龍子は瑠菜の胸に抱き着きながら言う。
これには瑠菜も困ったような表情で龍子の頭をなでている。
龍子は子供のように泣いていた。
相当頑張っていたのだろう。
もともと、龍子は楓李にしか尊敬のまなざしを向けたりなついたりしていなかった。
サクラは雪紀やきぃちゃんに頼ることができたし、リナやみおりだって一緒に頑張るうえで心の支えになっていた。
一方、龍子は青龍くらいにしか対等に接する人がいなかった。
そして楓李が残した多くの弟子をまとめなければならない。
今までほぼ対等、もしくはちょっと頼りになるお兄ちゃんだった人にどれくらいの人がまともについてくるだろうか。
まず、対等に思っていた人たちは反発心を抱くだろう。
青龍のほうがいい、なぜ龍子がと陰口をいう人が出てきていることも事実だ。
「……龍子君、もう少しだけ頑張れる?」
「……。」
龍子は無言で首を横に振る。
「私も、楓李とは連絡取れてないの。返事も来ないし。」
「……。」
「大丈夫。もっとみんなを頼っていいんだよ。リナも好きに使っていいし、あきもどんどん頼っちゃって。」
「……楓李様は、帰ってこないんですか?」
「……わかんないわ。」
龍子は瑠菜にがっしりと抱き着いて泣き喚いた。
そして、そのまま小さい子供のように寝てしまった。
「……大丈夫、なんでしょうか?」
「彼女なら支えればいいでしょう?」
「そうですよね……。」
「冗談よ……っていうか龍子君大きくなったわねぇ。」
170センチ前後の大きな体で抱き着かれた瑠菜は少し寂しさを感じる。
20センチ差なのは雪紀や楓李、あきもなので慣れてはいるが、まさか年下までこうなるとは……。
「大きすぎますよ。」
「これに襲われたらどうしようもないわね。」
「はい、昨日も……って何言わせるんですか!」
言わせるつもりはなかったが、疲れたように言うサクラを見て瑠菜は笑ってしまった。
顔を赤くしているサクラはかわいくてかわいくて仕方がない。
「いいわねぇ、仲良くて……。」
「……よく眠れるようになる方法って何か知りませんか?」
「寝かせてもらえないの?」
「ち、違います!」
ニヤニヤとしている瑠菜を見てサクラは顔を真っ赤にしながら否定した。
そして、下を向いて困ったように言う。
「いつも、寝てないんです。……楓李兄さんがいなくなってから。」
「……そうねぇ。いろいろあるけどお金ないだろうから無料の物を教えましょうか?」
「お願いします。」
瑠菜はにっこり笑ってサクラをぎゅっと抱きしめた。
強くもなく弱くもない、ちょうどよい力加減。
瑠菜の体の柔らかいところも暖かいところも感じて心地がいい。
しかしサクラは、どうしてよいのかわからなかった。
「……瑠菜さん、これ……おかしくなりそうです。」
「おかしくなっていいよ。」
「こんなの初めてで……どうすれば……?」
「そっか。背中に手をまわして、体をくっつけて。うん。手はこっち……そうそう。」
「……痛くないですか?」
「大丈夫。」
「……落ち着かないです。」
「大丈夫。」
サクラはずっとそわそわとした様子だった。
サクラには両親がいない。
どこかにいるのかもしれないが、会ったこともなければ会いたいとも思わない。
いないのが当たり前だ。
だから抱きしめられたのも初めてなのだ。
施設の人たちの中に抱きしめてくれる人などいなかった。
瑠菜からもこんなに長く優しく抱きしめられたことなどなかった。
いつもバタバタとしていてそんな時間はなかったから。
「……瑠菜さん……実は私も……。」
「うん、ごめんね。無理させちゃってたね。こんなの良くないよね。」
「正解もわからなくて……何をどうすればよいのか……。」
「ありがとう。」
「いつ間違えるかも怖くて。」
「そうだよね。」
サクラは泣きながら今の気持ちを言葉にした。
急に瑠菜の跡継ぎになって、今まで仕事を頑張ったこと。
正解も不正解もないことはわかっていても、頭では理解していても自分の行動を自分で評価してしまう。
その恐怖は、瑠菜が一番わかっている。
(私は、生きてるから寄り添える。)
瑠菜はそう思いながらサクラをぎゅっと抱きしめた。
「瑠菜さん……?」
「私はこうしてもらいたかったんだ。」
「……え?」
「大丈夫。君のやることはすべて正解だから。それを否定する人は全員間違ってる。ありがとう。継いでくれて、頑張ってくれてありがとう。」
瑠菜の腕に力がこもってサクラはびっくりしたが、その言葉を聞いてうれしくなった。
サクラが陰ながら言われたいと思っていた言葉だったのかもしれない。
意識はしていなかったが、そういう気持ちはあったらしい。
サクラは龍子と同じように泣いてしまった。
龍子が横で寝ていなければ声をあげて泣いていた。
静かに泣くのはきつかったが、瑠菜が泣き止むまでずっと抱きしめていてくれたおかげで安心して泣けた。
少し落ち着いて、瑠菜から離れてものどや目の奥に少し違和感が残っていて泣き足りないと体が訴えている気がした。
「龍子君にもこうしたら寝てくれるでしょうか?」
「うーん、安心してくれるんじゃない?サクラは安心した?」
「しましたけど……瑠菜さんみたいな言葉……私には……。」
サクラは瑠菜のように相手の気持ちをぎゅっと捉えることは言えないと思った。
瑠菜の真似をしても「何言ってんだお前?」と言われるのがオチだろう。
「……無言でもいいんじゃない?」
「え?」
「何も言わずに近くにいて安心するのが恋人よ。」
瑠菜はそう言って立ち上がった。
サクラはその姿を見てポカンとしている。
「瑠菜さんは……楓李兄さんにそうだったんですか?」
「うーん、そうかもね。」
「どういう恋人だったんですか?」
「わかってくれる彼氏、だったよ。」
「わかってくれる……。」
瑠菜はサクラのことは見ずに遠くを見て行った。
相当忙しかったのか、もしくはなれないことがい良くて大変だったのか小屋の中は前よりも散らかっている。
片づける余裕もなかったのだろう。
「私、片耳が聞こえてないのよ。昔つぶしちゃったらしくてね。」
「え?知らなかったです……なんで?」
「さぁ?で、私はいつもイヤホンが片方余るのが嫌だったの。なくしちゃいそうで。」
「続けるんですか……。」
「誰にも言わなかったんだけど、楓李が気付いたみたいであるときから私がイヤホンすると片方奪っていくようになってね。」
「奪うって……。」
サクラはツッコミどころしかない瑠菜の言葉にあきれているような反応を見せる。
少しの間瑠菜と離れて龍子と恋人としての生活を送っていたサクラにとって、瑠菜の迷惑そうな言葉は不自然に感じる部分が多かった。
しかし、その言葉を発している瑠菜自身はとても幸せそうに話していた。
まるでサクラの言葉など届いていないように。
その表情を見ているとツッコミの言葉は出てこなくなってしまった。
「楓李がいないときに、音楽を聞いていたらいつもつけているほうの充電がなくなっちゃったの。その時、いつも楓李が奪っていくイヤホンを使ったらいつもと違うくてね。」
「まぁ、つけにくいですよね……。」
「ううん、そうじゃなくて……音が。」
「音?」
「同じ曲なのにいつもと違うくて、あいつはいつもこんなのを聞いてるのかぁって思った。」
「え?」
「右と左で少しだけ違うの。今度やってみなさい。」
「はい……。」
やっとサクラのほうを見た瑠菜は、おすすめと言いながら二コリと笑う。
瑠菜の笑顔は子供のようで、サクラは一瞬年下かと錯覚した。
サクラがびっくりしている間に、瑠菜はまた遠くを見つめて言う。
「何も言わなくても気づいてくれた。昔から。」
「良い彼氏ですね。」
「うん。とっても。」
サクラはようやく瑠菜がどこを見ているのか気づくことができた。
ほんの数か月前まで楓李が作業をするのに使っていた机。
今は龍子が使っている場所なのだが、瑠菜にとっては思い出の場所なのだろう。
瑠菜はそれ以上楓李のことは話さずに小屋を出て行った。
ここにいるならまた仕事をしろというのは絶対に避けたいらしい。
「……片方だけって……寂しいんですね。」
サクラは音楽を聴きながら外を眺めた。
もし、龍子が起きて一人だったら、寂しいし悲しいと思ったから。
待っている暇つぶしだ。
瑠菜が小屋に来た日から約一か月が経った。
それまでに楓李から返信があったとか既読が付いたとかいう進展はない。
あった進展と言えば、瑠菜がまじめにゲームを始めたくらいだ。
「今日は何をしようか……。」
最近始めたゲームは、ブロックの世界でサバイバルをするというものだ。
もうすでにすべてを自動化しているうえに町まで作ってしまったため放置する以外のやることはなくなっている。
暇すぎて進めまくっているうちにここまで発展してしまった。
「お、新しいやつだ。」
ガサゴソと段ボールの中を探っていると違うゲームのカセットを見つけた。
赤や青などのカラフルな小人を使って物を運んだり敵を倒したりするゲーム。
瑠菜はもともとゲームが得意ではないので、簡単なものしかできない。
少しでも長く続けるには多少難しいゲームをすればよいと思いながらも、難しいゲームは一年かかってもクリアできる兆しが見えなかったのだ。
瑠菜はゲーム機にカセットを入れてゲームを始めた。
最近は学校に行くことさえもめんどくさくてこういう生活を送っている。
今日は久しぶりに学校へ行って、少し嫌なことがあったためゲームで気を紛らわせていないと落ち着かなかったのだ。
というのも、大学へ受かってからの学校の瑠菜への対応はよいものではなかった。
受験期間でピリピリとしているのはわかるがはらわたが煮えくり返るほどの怒りと不快感があった。
「……は?」
瑠菜は自分のスマホに来た一件のメールを見てついそう言ってしまった。
「サクラが風邪をひきました。」
「そう。」
「仕事が進みません。」
「リナとみおは?」
「その二人にしっかり仕事を教えましたか?」
「……。」
「そういうことです。」
龍子は淡々と言った。
その言い方とは真逆で顔自体はげっそりとしている。
前まであったくまがなくなっているところを見るとあれからよく寝れているらしい。
瑠菜は最初メールを無視してゲームを続けていた。
返信すらも返していなかったのだが、そのあとから鬼電が始まったのだ。
まるで時間通りになっても止めてもらえなかった目覚まし時計のごとく何度も何度もなり、ついついうるさいと叫びながら遠くのほうへ投げてしまいそうな感覚がしてからようやく重い腰を上げた。
メールを見て瑠菜が向かった場所はいつもの小さな小屋。
そして、当たり前のように龍子は瑠菜を迎え入れて、今に至る。
「……お兄に相談した?」
「したら呼べと言われました。」
「あのクソ兄貴。」
「仕方がないんですよ。今会社はてんてこ舞いなので。」
瑠菜は大きなため息をついた。
そして、全く連絡のつかない楓李のことを思い出しながら首を縦に振った。
楓李がいたら仕方ないなとでも言いながらこうするだろうから。
「わかったわ。やる……やるからあなたたちは自分の仕事を終わらせなさい。」
「はいっ。」
「やったぁ!」
「ありがとうございます。」
「お礼を言いなさい。まったく、みおちゃんしかお礼を言わないのはおかしいでしょ?」
「はーい。」
「ありがとうございます。あ、仕事は溜まっていますよ。」
瑠菜はやめる前と変わらない後輩たちのいつも通りの雰囲気に少し安心しながらも頭を抱えたくなった。
コピー機の周りに積み重ねられた資料。
使われていないことを証明するようにたまった綿埃。
「最後は誰が掃除したの?」
「さぁ?」
「楓李がやってるのを最後に掃除してる人なんて見てないよ。」
「楓李様と呼べ、リナ。」
「はーい、ごめんさーい。」
リナはいつも通りと言わんばかりに適当な返事をした。
龍子はそれに腹立たしく感じながらも仕事と向き合う。
そんな二人を横目に、瑠菜はサクラが終わらせることができなかった仕事とともに掃除を始めた。
綿埃に霧吹きで水をかけて大きな一つの綿埃にする。
それをそのままごみ箱の中に放り投げるだけ。
瑠菜はそこまで掃除をするほうではないため、掃除の仕方などわからない。
雪紀がこの小屋を使っていた時には雪紀が、雪紀がこの小屋を使わなくなってからは楓李が掃除をしていたからだ。
(任せっきりだったからなぁ。)
雪紀がこの小屋を使わなくなった当初は誰も掃除をしなかったので埃がたまって、仕方なく瑠菜が掃除をしようとした。
しかし、楓李やあきが瑠菜にやらせるくらいならと言って掃除をするようになり、不器用すぎるあきはすぐに楓李から追い出されてしまったのだ。
そのため、楓李がいつも一人で掃除をするようになった。
「こんなのいつ使ったのよ……。」
「それこの前、サクラの頭の上に落ちてきて大変だったんですよ。」
「……そう。資料を少し減らしましょうか。」
「そうしたほうがいいです。」
みおりは大きくうなずいてから荷物をまとめて立ち上がった。
どうやらこれから外回りの仕事があるらしい。
「行ってきます。今日は私直帰なので。」
「気を付けてね。」
「僕も行く!もう、みお。待ってってばぁ!」
さっさと出ていくみおりをリナは必死に追いかける。
(みおりの冷静さと丁寧さは仕事にはいいんだけどねぇ。)
部屋の空気が少し重く感じる。
サクラにはそれを明るくする力があった。
それは誰にでも簡単にできることではなかったのだなぁと瑠菜はしみじみ思う。
「龍子君は?今日はずっとここなの?」
「いや、この仕事が終わったら外に言ってサクラのところに行きます。」
「そっか。どう?サクラの抱き心地。」
「っ……。」
ゴンっという音が響き、瑠菜はからからと楽しそうに笑う。
足を机に打ったのか龍子は痛みに悶えている。
「だ、抱き心地って……。」
「いいわねぇ。」
「…………瑠菜さんは、いつも誰かのことを気にかけていますね。」
「そう?」
「サクラを泣かせることはしないので安心してください。」
「残念。もう泣かせてもいいわよ。サクラが嫌がって私のとこに来ない程度ならね。」
「泣かせないです。」
「がんばってね。」
瑠菜はご機嫌に資料を取り出す。
瑠菜が手に取った資料はすべて捨てるくらいの覚悟なのだろう。
それくらい時間をかけて選びながら手に取る。
「……瑠菜さんはここに帰ってこないんですか?」
「……。」
「帰ってきたらサクラだって……。」
瑠菜は龍子のこの質問には何も言わなかった。
帰ってきたくないと言えばうそになる。
楽しかった思い出やここにいてよかったと思うことはたくさんある。
しかしながら、戻ってきたいかと聞かれるとそれはまた別問題だ。
大変なこともたくさんある。
仕事によって、睡眠や自由な時間が少なくなることは確かだ。
だからこその瑠菜の答えはこうだ。
「……もう少ししてから決めたいの。まだ先のことは予想もできないからね。」
「……そうですね。」
「それに、コムさんに会うために私はここに残っていたの。もう、コムさんのことも終わったんだからいる必要はないからね。」
楓李のことも大学に入った後に瑠菜がどんな生活をするのかもまだわからない。
「もう終わったので行ってきます。」
「え?あ……うん。気をつけてね。」
「はい。」
龍子が外に出ていくのを見届けてからも、瑠菜は片づけを続けた。
(懐かしいなぁ。これ。)
瑠菜が見つけたのはコムが消えたことに対するファイルだった。
コムを見つけるために瑠菜が作ったファイルだ。
コムが生きている信じて、コムに帰ってきてほしくてちょうど一年前に作り始めた。
「……ここまで頑張ったのに。」
瑠菜はそんなことを言いながらファイルをめくった。
そして、ある一ページで手を止めた。
瑠菜が手を止めたページにあったのは会社に送られた「た」という文字が書かれた紙だ。
どう見てもコムの文字。
とてもきれいとは言えないような字。
これを書いた後に殺されたのか、これが会社に届いたころにはもう死んでいたのか。
今となっては全くわからない。
「すみません、忘れ物をしまし……。瑠菜さん?」
「龍子君、その仕事中止!」
「え?」
「ついて来て!」
「あ、は……はい。」
瑠菜に手首をつかまれて、龍子はどこに行くかも知らされないまま小屋を後にした。