アンスリウムに飾られた心
何がダメだったのだろうか。
気を使わせてしまったのだろうか。
無理をさせてしまっていたのだろうか。
後悔の念だけが思い浮かぶ。
瑠菜に別れを告げられた時、楓李は必死になって止めた。
自分が発した言葉すらも覚えていないほど、楓李は真剣になった。
「かーいにい、かえにぃに。」
「ん?どうした……あっ……ごめん。明日のご飯だったな。」
「んぅ……。だいじーぶ?」
「あぁ、大丈夫だ。……ちゃんと話し合わないとな。」
楓李は瑠菜と一緒にお風呂に入っていたみなこの頭を拭きながら、瑠菜に振られた理由を考えた。
先ほどまでの後悔とは打って変わってまた別の可能性を考える。
(この前のけんかの延長か?いや……まさか。……それとも別に好きな奴でもできたのか。)
ズキッと楓李の胸が痛む。
一番あっていてほしくない、最悪の可能性。
楓李はもしそうであったら、瑠菜にもし自分以外の人を好きになったからと言われた場合、きっと瑠菜を止めることなどできない。
首を縦に振り、あっさり分かれて瑠菜の幸せを願う。
何が何でも、「いやだ」という三文字を楓李は言えなくなってしまう。
「かえ?お風呂入ってきていいよ。」
「……。」
「あ……、みなこちゃん一緒に寝ようか。」
瑠菜は楓李の表情を見てすぐに目をそらした。
楓李はそんな瑠菜に対して、少しの怒りとともに悲しいという感情が強くなった。
いや、瑠菜にすがりつくような格好悪い必死さを見せたばかりで、楓李も目を合わせられなかったのだ。
これ以上格好悪い姿を見せたくないというのは、楓李が瑠菜を好きな証拠でもある。
「瑠菜!」
「……後でね。……お風呂、掃除までしてきてくれたらうれしいな。」
「……ごめん。」
「アハハハ!まじで?お前らこの前もけんかしてたろ?」
「雪紀兄さん、笑いすぎですよ。うーん、まぁ……瑠菜はいつもぶっ飛んでるからなぁ。」
楓李がお風呂の中で電話に出ると、あきと雪紀、きぃちゃんの声がした。
スピーカー機能を使っているらしい。
それを知らずに雪紀だけが聞いてると思って、瑠菜のことについて相談した楓李は自分を恨むことになった。
ここまで三人から笑いものにされるとは思ってもみなかったのだ。
「様子見で電話したらおもしれーこと聞けたなぁ。あぁ、おかしい。」
「こっちはそんな余裕ねぇよ。」
大笑いしすぎて苦しそうにする雪紀に対して楓李は、そのまま窒息してくれねぇかなと思う。
「雪紀、邪魔。で?どうすんの?楓李君。」
「どうするもこうするも……瑠菜がどういうつもりなのかわかんねぇし。他に好きな奴でもできたとかなれば分かれるしか……。」
「は?手放すつもり?」
きぃちゃんはあり得ないとでも言いたげに楓李に言い返した。
それだけではない、あきも雪紀も驚いている。
「いや……さすがに。手放すというか……。」
「一つだけ、教えてあげるわ。」
「え?」
「瑠菜ちゃんは楓李君のこと好きだと思うわよ。」
「なんでそんなこと……そうとも限らねぇし。」
「いや、瑠菜ちゃんの今までのやり方的にそうでしょ。だって、楓李君はまだ、瑠菜ちゃんが別れを切り出したことに納得していないじゃない。」
きぃちゃんはあっさりと言う。
楓李はそれを聞いて少し考えた。
今まで瑠菜と付き合った男は何人か見てきた。
来るもの拒まずな瑠菜は、二股とまではしないものの基本的に告白を断らない。
だからこそ、一年のうちに何人とも付き合ったりしていることもあったりするのだ。
「まだ、別れの歯車に乗せられていないってことか。」
「楓李君のことが好きすぎて乗せきれなかったんじゃない?」
あからさまに残念そうに言う雪紀と、知らないけどと言いながら笑うきぃちゃんはとても楽しそうだった。
後輩の恋愛は見ていてかわいいものだということは、龍子を見てきた楓李にとって当たり前で、これが普通の反応であることは確かに理解できる。
しかたがない……が、さすがにこれはひどいと楓李は思った。
そのころ瑠菜は落ち着かなかった。
ほぼ勢いで言ってしまった発言によって楓李の様子がおかしいのは誰が見てもすぐわかる。
(謝ったほうが良いのだろうか。)
ふとそんな思いが頭をよぎる。
しかし、よぎった考えはすぐにかき消されることとなった。
どう謝ればよいのかもわからない。
きっと楓李ならどんなつもりだったのかとか聞いてくる。
その時、楓李が納得してくれるような理由を瑠菜は言えるはずがないと思ったのだ。
みなこを寝かせて一息ついた瑠菜はテレビをつけた。
夜のニュースはその日一日に何があったのかを教えてくれる。
『お風呂の事故ですか。』
『はい、倒れてそのまま……。』
(かえ、まだお風呂入ってるのかな。)
いつも長風呂しない楓李がなかなか上がってこないことに瑠菜はようやく気付く。
掃除まで頼んだとはいえ遅すぎる。
『お風呂の事故は命にもかかわる……。』
ピッ。
瑠菜はうるさいほどお風呂の事故について語るどこかの教授に嫌気がさしてチャンネルを変えた。
変えたのが悪かった……。
楓李はどうしてこうなったのかを考えた。
電話をしていた分、お風呂に入っていた時間が長くなってしまったが、瑠菜に言われた通りしっかり掃除までしてここへ来たのだ。
暑かったため上半身は裸でリビングに入ったところだった。
「遅い」という文句とともに「変態」と言われる覚悟はしていた。
しかし……まさか泣きつかれるとは思ってもみなかった。
楓李はとりあえず瑠菜の腕をそっと自分の腰から離させて、こうなった原因であろうテレビの電源を消した。
「なんでホラーなんかつけたんだ?いつも避けてるくせに。」
「……気づかなくて……その、面白そうなドラマだなって……。」
「だからって別れたい男に抱き着いてくるか?」
「……ごめん……。」
「俺と別れたいんだよな?」
「……無理……。」
ため息が出そうになる。
いや、うれしいことなのかもしれない。
瑠菜自体がそれどころではなくなったのだ。
瑠菜の「無理」がどんな意味を持つかはわからないが、少なくとも今は別れ話が白紙になりそうなのだから。
楓李に対してすがるようにぎゅっと巻き付く白くて細い腕。
瑠菜が今、楓李を必要としていることは言わずもがな。
ただ、これに対して喜んでよいものなのかという不安はあるが、その事実には変わりない。
「瑠菜、もう寝たいんだけど。」
「……わかった。」
離れるつもりなど全くなさそうな瑠菜は楓李から少し離れると、すぐに楓李の手をつかんだ。
かわいい。
瑠菜と楓李の身長差は約二十センチ。
同じ年だと思えないくらい幼く見えるのは身長のせいだろう。
楓李は瑠菜を少し無視するような感じで自室へ行き、電気を消す。
「……電気……。」
「自分の部屋で寝ればいいだろ?」
「なんでも……するから。」
「……ったく。」
楓李は嫌というわけではないが、どうしても今日は一緒に寝たくなかった。
昨日、コムの墓参りをしてからというもの、夜中になると涙が出てきてしまうからだ。
最近、瑠菜がコムの姿と重なるのと同様、コムと全く同じ道を瑠菜が歩いてしまう気がしてならなかった。
コムのように突然消えてしまいそうだと思うと涙が出てきてしまう。
そして、瑠菜が死んだときにこの涙が出るかというと出なさそうで。
そうなった未来の自分すらも怖くなる。
だから一緒に寝たくはなかった。
しかし、電気をつけてベッドの横に立っている瑠菜を見るとすぐに気が変わった。
「……ありがとう。」
「それは期待してるってことでいいのか?」
「え?」
意地悪な笑顔で楓李は瑠菜を見る。
「何でも、するんだろう?」
「い、いや……ほら、おつかいとか。」
「おつかいなんか行かせると思うか?」
こんな夜中にと言いたげに窓のほうを見る楓李。
どうやら楓李は振られたことすら記憶からぶっ飛んでいるらしい。
「えっ……あ、あの…………。」
「何してもいいんだよな?」
「……はい。」
「何されたい?」
瑠菜の体がぞわっとする。
いやだとかそんなことではない。
ただ、楓李の目を見ていると体がウズウズする。
恐怖より快楽を求めていることが分かる。
この時、瑠菜は思った。
(相当教え込まれてんだなぁ……私は。)
その日の夜は瑠菜にとって長い夜だった。
何をされたかはあえて書かないが、まぁフルマラソンを走った後くらいにはきつくなった。
ホラー系の番組を見て怖がっていたことを忘れるくらいには。
「……かえ。」
「ん?」
楓李に体をきれいに拭いてもらい、服を着せてもらう。
それが終わった後瑠菜は楓李に近づいた。
「なんだ?水か?」
「ううん……。好きな人ができた。」
「……そうか。」
「だから、別れ……。」
「嘘だろ?」
瑠菜が言い終わるか終わらないかのところで楓李は言った。
瑠菜はうそをつくとき、小刻みに手が震える。
不思議なものだ。
いつも、こはくやコムに言われないと気付かなかったのに、この時の楓李は瑠菜の手が震えていることにすぐ気が付いた。
「う、嘘じゃ……。」
「本当は何で別れたいんだ?」
「……。」
「……言いたくないならいい。さっさと寝ねぇと一時間もしたらみなこ起きるぞ。」
楓李はそう言って瑠菜を抱きしめた。
鳴き声を殺してヒクヒクと肩を震わせる瑠菜を落ち着かせようと背中をさする。
それこそ、小さい子供をあやすようにゆっくりと優しくする。
瑠菜はそれが心地よくてすぐに眠ってしまった。
(泣き疲れたか。)
楓李はそう思いながら瑠菜の頬を撫でた。
少し赤くなっている頬はとても暖かい。
そのぬくもりにほっとしながら、楓李も眠った。
それから少しの時間がたった後、楓李の横へもぞもぞと何かが動く感覚がした。
楓李は瑠菜だろうと思い、また眠った。
朝起きて、楓李は叫びたくなった。
(何があったんだ……これは。)
右腕の上では瑠菜がすやすやと寝ている。
左腕の上にはみなこの小さな体がギュっと抱き着いている。
右を見ても左を見ても天国でいいじゃないかと思われるかもしれないが、楓李にとってこれは地獄以外の何物でもなかった。
腕が痛い。
体が固まりそうで寝がえりをしたいのに動けない。
「る、瑠菜もうそろそろ起き……。」
「……おやすみなさい……。」
楓李はそのまま二時間ほど我慢することとなった。
「ごめんって!えー、みなこちゃんいつ来たの?」
「……まっくななとき。」
「そっかぁ。」
「そっかじゃねぇよ、そっかじゃ。」
瑠菜が甘々でみなこと話していると、楓李が悲痛な様子で言った。
(湿布を張ってあげただけでもいい彼女だと思うけど。)
瑠菜は申し訳なさはあったが、少ししつこいと思った。
「ねぇー。ご飯……。」
「え?……あ、おなかすいた?まだお昼には早いけど。」
「朝起きられなかったからって朝食少なくしたりするから。」
少しのパンしか朝食に食べなかったみなこは瑠菜に空腹を訴えた。
瑠菜はみなこの顔を見て仕方がないと言わんばかりにお菓子を持ってきた。
楓李はその姿を見てギロリと瑠菜をにらむ。
「どこから持ってきた?」
「私の部屋……。」
「いつ食べてたんだ?」
「えっと……。」
「まさか、夜中に……。」
「いや、ないない!」
疑いの視線を向ける楓李に瑠菜はしっかりと否定する。
「夜中にお菓子とか食べてたら肌荒れるぞ。」
「食べてないよ。」
「体長も崩すし。」
「だから食べてないって。空き時間に少しずつ食べてたの。」
瑠菜がそう言っている間にも、みなこは自分でも開けられるようなお菓子を見つけてはパクパクと食べていた。
相当お腹がすいていたらしい。
それを見た楓李はそっとみなこからお菓子を取り上げる。
「にぃー?」
「食べ過ぎたら昼食食べれなくなるだろ?いくつ食べるか決めてからな。」
「そうだね。じゃあ、みなこちゃん。どれが食べたい?」
「んぅー。……こえと……こえとこえ!」
みなこが小さなおやつを三つだけ選ぶと楓李は何も言わずに残りのお菓子をかき集めた。
瑠菜は幸せそうなみなこを見てニコニコとしている。
しかし、楓李の行動に気が付くと目の色を変えて飛びついてきた。
「かえ、それ……。」
「今後、みんなで分けような。」
「少ない給料ためて買ったのに。」
「太るぞ。」
「私の!」
「やめとけ。また暴飲暴食して体悪くすんだろ?」
「うぅ。」
過去にそれなりのことがあったであろう瑠菜はそれを聞いて何も言えなかった。
瑠菜自身、過去のことなどほとんど覚えていない。
ここ数か月のことは覚えていても、半年、一年前となると全く記憶がない。
それでも瑠菜は何となく思った。
(絶対過去に何かあったんだな。)